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日本の天才たち4:苫米地英人博士3「俺は釈迦を超えた」

みなさん、こんにちは。

前回のコメントにプロメテウス氏より、苫米地英人博士のまた別のしかし似たような番組を紹介してもらったので、これもここに紹介しておこう。以下のものである。

博士も知らないニッポンのウラ 30 超天才Dr.苫米地英人の「洗脳」秘録 苫米地英人

博士も知らないニッポンのウラ 36 超天才Dr.苫米地のスピリチュアルのウラ 苫米地英人

両方とも非常に興味深い。特に、俗にいう新興宗教、スピリチャリズムの危険性などを指摘しているところが圧巻である。

まあ、基本に扱っている数学的発想は、我々物理学者のいう「原子論」、数学者のいう「アルゴリズム」や「集合論」や「関数論」が基調になっているため、いわゆる「還元論」が中心になっている世界観と言えるだろう。それゆえ、基本的には「1+1=2」となる線形思考がベースであり、重ね合わせ思考の効く世界の発想である。それが情報空間のなかで行われるという発想のようである。したがって、情報空間である脳内空間でも同じような重ねあわせが行われるために、経験を方法としてみた場合にはいくらでも偽の経験を生み出せるというのである。こういう発想で、スピリチャリズムや洗脳などの社会問題を論じているということだろう。

しかしながら、我々がまだあまり知らないのは、そういう線形的な世界の外、重ね合わせの効かない世界の場合にはどうなるか、つまり、「1+1=4」となるような場合はどうか、ということである。この場合は、通常のアルゴリズムはうまく行かない。

私の個人的考えでは、数学の集合という考え方では、いま、あ、い、う、という3つの要素が集まる対象があると、あ、い、う、の要素がどういう順番で集まったとしても結果は同じ事になる。そこに何ら歴史的流れは含まれる事はない。つまり、本来「集合論」には非線形性は含まれていない。しかし、非線形な世界の場合には、あ、い、う、と集められたか、い、う、あ、と集まられたかによって、異なる結果を生じるのである。そこに歴史性[=歴史(アルゴリズム)の差]が生じる。つまり、集合の成り立つ歴史が本質的になることがあるというわけである。

例えば、何かのおもちゃを組み立てる場合、パーツは同じものであったとしても、組み立て方の順序を間違うと、異なるものができるというようなことである。

還元論的な(線形世界観)物理学では、原子分子は常に同一の存在と考えるため、いまある世界は電子がどういう順番でそこにいようが、簡単に真空から生成消滅するため、電子の順番を問う事は意味がない。しかし、宇宙が非還元論的に成り立つと考える場合には、電子にはそれぞれの歴史性が加わる。太陽ができる前の電子と太陽ができた後の電子は異なる存在であるということになるわけである。

我々の世界が、どうやら還元論的ではない、ということはごく最近になって分かって来たばかりなのだが、この辺りはどう考えるのか、その辺りに私個人は興味を持つ。

いずれにせよ、苫米地英人博士には学ぶべきところが多いのは確かである。今後を期待したい。

  by Kikidoblog | 2010-02-04 12:32 | 人物

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