「リチャード・コシミズ」講演:サブプライム破綻で創価学会には金がない!
今回はまったく別の話題である。最近見かけたリチャード・コシミズ氏の大阪公演の模様である。昨年の衆議院選挙前のものらしい。実に興味深い内容が満載である。興味のない人はスルーしてくださいヨ。
1/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
ここには、公明党=創価学会=北朝鮮、自民党=統一教会=韓国の図式、今の日本の政治、日本のマスコミの関係が見事に説明されている。今度の夏の参院選までの実に興味深い予想もあり、示唆的である。
ところで、最近の生物学でかなり分かって来たことにこんなものがある。ミトコンドリア

などは一種の寄生生物(パラサイト)で、宿主生物の中で生き、宿主と寄生生物はもちつもたれつの関係で共生している。ところが、それだけに終わらない。本来後から侵入して来て寄生しているはずの生物が実は共生においてはその共生システム全体の時間リズムを決定してしまうというのである。後から入った、ミトコンドリアが宿主細胞のリズムを決めるのである。
これと似て、カマキリに針金虫が寄生すると、

寄生生物の針金虫がカマキリの身体を乗っ取り、細胞リズムをコントロールし、最後にはカマキリの行動すらコントロールしてしまうのである。どうやら、時間遺伝子、時計遺伝子と呼ばれる遺伝子の研究からそんなことが分かって来たらしい。
実は、私が研究している、ネットワーク理論で言えば、考えているシステムが生物細胞か社会組織かはまったく関係ない。同じようなネットワークが組まれていれば、ほぼ同じようなことが起こると考えているのである。そして、多くの場合、スケールフリーネットワーク構造をつながりにして、細胞内でも社会内でも似たようなネットワーク構造をしているという多くの証拠がある。
この意味では、カマキリや単細胞生物に言えることは、我々の日本社会にもアメリカ社会にも言えるのである。
そこで、我々の社会に目向ければ、アメリカがパラサイト種(寄生種)である、いわゆるユダヤ人イルミナティー(カザール人=偽ユダヤ)に乗っ取られてしまったわけだから、今度はアメリカ全体のリズム運動を支配するのがこの寄生生物ということになる。これはすでに毎日のケムトレイルなど政治・非政治のどの分野を見てもだれにもわかることだろう。事実、アメリカでは、人口においてほんの数パーセントのユダヤ人がハーバード大学教授の60%を占め、共和党や民主党のおそらく90%を占めている。マスコミやハリウッドではほぼ100%の支配であろう。そういう人々がごく普通の95%のアメリカ人をコントロールしているというわけである。ちなみに、イギリスは偽ユダヤ人のロスチャイルドに乗っ取られたわけである。
では、日本はどうか? と言えば、実はすでに日本もまたこの例外ではなかったことになる。
かつて、司馬遼太郎(という、日本人かそうではないかちょっと不明の人)が「この国のかたち」という随筆を書き続け、多くの人々の共感を得た。私もよく読んだものである。しかし、はたして彼が描いた日本が本当の現実の日本のかたちかといえば、どうやらそうではなかったようである。司馬が描いたのは主に日本の戦前(太平洋戦争前)の話であり、戦後南北朝鮮から何十万人もの移民が渡って来た後の話ではない。
ところが、今我々が存在している社会、現実の社会は、司馬が描かなかった(おそらく意識的に描かず避けて来た)宿主と寄生種の問題がもっとも決定的なのである。要するに、我々の日本という国は、もはや宗教であれ、政治であれ、マスコミであれ、軍事であれ、やくざであれ、企業であれ、何であろうが、この問題を避けては通れない時代に入ってしまったわけである。
これは、アメリカがユダヤ人問題を抜きに語れないのと同様の問題と見ることが出来るだろう。要するに、民族的には寄生種である南北朝鮮人出身(もちろん、古代ではなく、戦後のこと)の人々が、この日本社会を乗っ取り、ほぼコントロールしてしまったということである。まあ、一言で言えば、世界でユダヤ人が行って来たこととまったく同じことを日本国内で在日の人々がやっているということである。
ここで言っておくが、寄生種か宿主かはあくまで最初にどちらが存在したか、どちらが数において支配的かということを意味していて、私が朝鮮人を蔑視して朝鮮人を寄生種だといっているわけではない。あくまで歴史的意味から派生した生物用語の使用に過ぎない。学問的には、どちらかが宿主でありどちらかが寄生種なのである。(なぜなら、我々日本人の60−70%の遺伝子は朝鮮人と共通のものである。アジアでもっとも近い人種は朝鮮人と日本人であるからである。実際には北方モンゴル人とは70−80%は共通のものである。時には西アジアのウィグル族と100%に近い遺伝子を持つ日本人もいるようである。)
また生物学の話に戻ると、はたしてもしその寄生生物が宿主生物をむやみに殺してしまったとしたらどうなるか? 自分が生き続けたいのであれば、また別の宿主を探さなくてはならないが、それが見つからなければ、宿主を生かし続けなくてはならない。さもなくば自分も居場所をなくし共倒れするわけだ。
今や、日本にいる朝鮮人もまたこれと向き合わなくてはならないわけである。日本人が滅べば、日本の寄生種である、朝鮮人や中国人やユダヤ人や欧米人もまた滅ぶのである。あるいは、どこか別の国々へ移住しなくてはならない。
この意味では、その昔の役人が、「百姓は生かさず殺さず」といったというが、それはまったくにおいて正しい。寄生種は宿主に対して「宿主は生かさず殺さず」ということである。要するに、「日本人は生かさず殺さず」ということになるわけである。
今やわれわれ理論物理学者というものは、こういう感じで我々の社会すら厳密な数式に乗せて密かに研究し、楽しんでいるというわけである。信じる信じないは別として、私個人の妄想のようなものだから、どうでもいいのだが。最後に、こんなふうなことを考えさせてくれたリチャード・コシミズ氏のYouTube番組感謝する。またいずれこのテーマではここに紹介するときもあるだろう。実に興味深いテーマである。
いやはや、寄生生物と宿主の問題は実に興味深い。
by Kikidoblog | 2010-04-12 13:00 | コンスピラシー