日本の大学にも「政教学分離の原則」が必要だろう!?
ついでにあまり日本の普通の人はご存じないことをメモしておこう。日本の大学のことである。
かつて私がユタ大の大学院生だった頃、約25年前のことであるが、ある日本人が日本の就職先を探していたので、私が「良い研究者がいる九州大学の物理学はどうですか?」というと、その人は「いや、あそこは共産党に入らないと職がとれない」と答えたことがあった。その時は、私も若かったので、そんなものか、という程度にしか受け取らなかった。しかしながら、そういうのはあながちウソとはいえないのである。
実際、共産党の志位和夫氏
は、東大工学部物理学出身である。それゆえ、九州大学の素粒子に就職するには共産党に入らないといけないということが本当にあったかもしれないのである。たぶん実際に一時期そういうことがあったのだろう。(個人的印象では、東北大理学部数学もかなり怪しい。)
ユタ州のプロボという都市には有名なBYUというモルモン教の大学がある。この学生になるためには、まずモルモン教徒にならなくてはならないと言われていた。それゆえ、モルモン教徒にはならない人はユタ大学など他に入学する。それでもユタ大学の7、80%はモルモン教徒である。
これと同じようなことは日本の大学にもある。例えば、ミッション系の大学や仏教の大学、さらには創価学会の大学や天理教の大学などである。
日本国憲法では、「信教の自由」、「学問の自由」、「思想・良心の自由」は保証され、「政教分離」の原則も一応は唱われているが、どうやら「政教学の分離」は明記されていないようである。そのため、大学と宗教、大学と政治の分離はかなりあいまいである。
したがって、「学問の自由」から大学の独立、「大学の自治および学校の自治」が導かれるらしいが、「政教学の分離」がないために、「大学職員は全部共産党員でなくてはならない」というようなことが、まかり通るわけである。現在は知らないが、少なくともかつてはまかり通ったのだろう。
問題は、日本の共産党と言えばいわゆる「唯物史観」というものである。いまやイルミナティー(フリーメーソンリー)のメンバーであったと証明されているカール・マルクス
(マルクスの右手を見よ。左胸に隠すという坂本龍馬と同じ姿勢で写真に写っている。これがフリーメーソンの伝統である。)
の「物質主義的価値観」や「唯物論」に毒されているのである。
それゆえ、仮に短い期間であったとしても、日本の大学、特に理工系の職員が共産党ゆずりのかなりラディカルな唯物史観や唯物論に引きずられることがあったとすれば、非常に問題のあったことになるわけである。すべてはイエスかノーか、正か否か、本物か偽物か、という二元論的思考のみが最優先されてしまうからである。
私個人の想像では、この共産党的唯物史観が日本の大学に永年にわたって有力となり、それが根付いてしまったことが、日本社会の高等教育の世界において非常に即物的、唯物論的見方しかできない大卒者や学者を生み出した一番の原因だったのではないかと見ている。
われわれ人間は固体ではない。かなりソフトな物質からできている。活動においても歯車のようにきちきちに出来ているというよりは、かなり遊びの必要なシステムからできている。もちろん、頭脳もそうである。この意味では、人間にはあそび(余裕や隙間やスペースのこと)が必要である。
ある数学者はいう。「証明できないことは全部ウソです。」 またある物理学者は言う。「実験で示されないことは全部ウソです。」、「だからオカルトは全部ウソです。」 たしかに言わんとするところは分かるが、果たしてこの世界がこれほど二元論的にできているかどうか。これをどうやって証明するというのだろうか。
たとえば、ウィリアム・クーパーが言うには、そもそも「オカルトとはhidden(秘密)という意味である」という。つまり、太古の昔からあるメンバーだけが知ることの出来るかなり内密の知識、そういうものを「オカルト」というのである。我々がいう、変な怪しい意味の「オカルト」のイメージとは異なるようである。この世界には、こういうものも現実に存在する。
今では米空軍の「エリア51」はマジェスティックなものである。MJのメンバーでない限りそこで行われていることの総体を理解できるものはいない。隠された知識である。これすなわち「オカルト」である。この意味では、「米軍はオカルト組織である」と言うことが出来るのである。
では、自分に証明できるだけの資料や情報や知識がもたらされることがないわけだから、それすなわち「証明されないことは存在しない」ということになるのだろうか。そんなはずはない。「あんたが無知なだけだろ」ということである。
この浅はかな二元論的思考を日本の科学者に蔓延らせた元凶は、共産党だったのではないかと私個人は考えている。
いずれにせよ、大学にも政教学分離の原則が必要であるようですナ。
by Kikidoblog | 2010-09-13 20:08 | 真の歴史