「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」:謎の映画メトロポリスの主題
さて、新年の第8番目の話題は、やはりこれだろう。もうすでに他のものの中で何度かメモしたので、知っている話題である。以下の「謎の映画」、「メトロポリス」である(これは結構長い。)
Metropolis(1927年)
(1時間15分50秒目辺りから始まる、暗黒面に落ちたロボット・マリアの妖艶なダンスが見物である。この意味では、マスゴミで妖艶な踊りで金稼ぐ歌手の類いはみな暗黒面のロボットということですナ。)
メトロポリス
ストーリー
2026年、ゴシック調の摩天楼がそびえ立ちメトロポリスと呼ばれる未来都市では、高度な文明によって平和と繁栄がもたらされているように見えたが、その実態は摩天楼の上層階に住む限られた知識指導者階級と、地下で過酷な労働に耐える労働者階級に二極分化した徹底的な階級社会だった。
ある日、支配的権力者の息子・フレーダーは労働者階級の娘マリアと出逢い、初めて抑圧された地下社会の実態を知る。
「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」
マリアが階級社会の矛盾を説き、「脳」(知識指導者階級)と「手」(労働者階級)の調停者「心」の出現を予言すると、労働者達にストライキの気運が生じる。マリアはフレーダーがまさに調停者になる存在であると見抜き、フレーダーもまた美しいマリアに心を奪われる。
この様子をこっそり見ていたフレーダーの父であり支配的権力者のフレーダーセンは危機感を抱き、旧知の学者のロトワングに命令してマリアを誘拐させ、マリアに似せたアンドロイドを作り出させる。このアンドロイドをマリアとして地下社会へ送り込み、マリアが作りだした労働者の団結を崩す考えである。
しかしかつてフレーダーセンと恋敵であったロトワングが影で意図したのは、フレーダーセンが支配するメトロポリスそのものの壊滅であった。ロトワングの意を受けたアンドロイド・マリアは男達の羨望の的となり、乱痴気騒ぎをさせる一方で階級闘争を過激に扇動するようになる。フレーダーは豹変したマリアが別人であることを見抜くが、興奮した労働者に追いたてられる。
アンドロイド・マリアに扇動され、暴徒となって地上の工場へ押し寄せた労働者達は、メトロポリスの中枢コンピューターを破壊し、地下の居住地区を水没させてしまう。しかし地下にはまだ労働者の子供たちが大勢残されていたのだ。扇動による行為が自分達の首を絞めていると気付いた労働者達は、自分達を扇動したマリアを糾弾し火あぶりにする。炎の中でマリアはアンドロイドに戻り、労働者達は自分達を扇動していたものの正体を知る。
一方、ロトワングから逃げ出した本物のマリアと地下で再会したフレーダーは、残されていた子供達を水没寸前で地上へと避難させ、時計台の上でロトワングとの決着をつける。そしてすべてが終わった後、調停者として父と労働者達との仲介を図るのだった。
というのも、ヒトラーがこの映画を絶賛したと言われるように、この映画にはイルミナティNWOの国家転覆の手口のイロハが見事に表現されているからである。おそらく、私の個人的推測(妄想)では、少なくともギリシャ・ローマ時代のイエス・キリストとマリアの時代から、この手口が連綿と西洋政治の世界では行われて来たように感じるからである。
ギリシャ・ローマの時代では、やはり現代のイルミナティの先祖と目されるユダヤ人がローマ帝国を乗っ取り崩壊させたという可能性が高い。それが以後西洋世界で何らかの理由でいったん封印されていたが、先祖がローマ帝国カエサルの兵隊であったという、東欧のハザール人(カザール人)(「偽ユダヤ人」)が、チンギスハンに追われて西洋に入植するようになって、再びその鎌首を持ち上げたという感じである。それが1700年代に英蘭のアングロサクソン国家でフリーメーソンとして花開き、敵対するフランス王国、ドイツ帝国、ロシア帝国などの国王元帥をいただく国家を次々と破滅させて乗っ取るという歴史の流れを生み出したと見ることが出来る。新大陸アメリカはそれ相応に発展するまで放牧しておき、しかるべき時期がくれば、再び乗っ取る。それが戦後でありここ最近のアメリカである。
聖母マリアと大娼婦マリアの「ヤヌスの面」的二面性を持つヒロインやヒーローを利用し、一般大衆をいかにしてマインドコントロールして社会転覆を行うか、そしてその際にいかにマッドサイエンティスの最先端科学テクノロジーとその病的な野望を利用して行くか、こうした一般社会にいまも存在する普遍的テーマをこの映画は見事に描いているのである。
かつてのローマ時代の聖母マリア、

フランス革命のジャンヌ・ダルク、

クリミア戦争のナイチンゲール、

の役割もこういう観点から見ることができるかもしれないからである。
一般社会で、ヒーローがどうして善人面と暗黒面の両面を持つものとして描かれることが多いのか、あるいは、実際にそういう面が存在するのはなぜか、ということを知る上で、この映画の分析は必須であろう。
また、弱者に優しく啓蒙思想やメシア待望やメシア降臨を説く「聖母マリア像」、それと、その一方で世のインテリや指導者層を好んで酒池肉林の邪悪な色気で惑わす「大娼婦マリア像」。そして、この両者を巧みに操り、社会を破滅させ、表の支配者を葬り去ろうとする、裏の真の支配者との関係。こうした問題を如実に理解する必要がある。
一般大衆(ゴイム、B層)は「身体」や「筋肉」や「手」である。支配者は「脳」である。そして、「意志」と「筋肉」、「脳」と「手」の仲介者」は「心(心臓)」である、というのが、この映画の結論であるというのである。
現代社会で言えば、「心」は、「情報社会」や「マスコミ」である。メディアが「脳」と「手」の仲介者となる。この両者をうまく結びつけることが出来れば、社会は安泰だというだが、はたしてそうだろうか? 心臓は脳の奴隷であるとしたら、どうだろうか? 実際、心臓(心)は脳(精神)のあり方によって変わる。
いずれにせよ、一般大衆や民衆にありもしない幻想を描かせて同じ民族内で戦争を起こし、既成の国家を転覆させて、次々と国家を銀行家のものとして奪い取って行く、というこの方法こそがユダヤ伝統の手法であり、ユダヤ人の伝家の宝刀であるようである。その際に、必ず「聖母マリア」と「大淫婦マリア」の両面を巧みに操る。これぞマッチポンプの手法であり、ショックドクトリンの方法、「問題・反応・解決」の手法、「上下からの圧力」の手法、「ヘーゲルの弁証法」の手法というものである。
まあ、そういうわけで、この映画には、俗にいう「イルミナティーNWO」や「シオニスト」や「ユダヤ人」の典型的な世界観や社会観が出ているということのようですナ。
ところで、ハーバードとは何か? と言えば、それは「聖母マリア」のサイドである。一方、ハリウッドとは何か? といえば、その「大淫婦マリア」のサイドである。そのハリウッドやアメリカのミュージックにおける「現代のマリア」のYouTubeを見つけたので、いくつかメモしておこう。いずれせよ、こんなものに騙されて、悪魔の誘惑されてはいけないヨ。ユダヤ人は「悪いことを良いこと言い」、「駄作を名作と呼ぶ」、「邪悪を芸術と呼ぶ」、「偽物を本物という」、「娼婦を聖母という」という民族だよとプラウディ牧師はかつて述べていたことを喚起しておこう。
Madonna

Beyonce / In Da Club [Fan Made Video]


Lady GaGa Bad Romance Live レデ・ーガガ バッドロマンスライブ


いやはや、イルミナティの人々はほんとよくやるナア。何が楽しいのかネー?
by Kikidoblog | 2011-01-13 11:54 | コンスピラシー