阿波の国と安房の国とセレソンの国の「ビッグひな祭り」
最近はあまり良い話題がない。こういう時代は学校にもかなりの悪影響を与えている。我が家の息子の卒業式でも、校長先生やさまざまな演壇者の口から、不透明な世界情勢や国内政治状況や不況の話などが口からこぼれ出て来た。子供たちの門出を祝う場面でも、そんな調子だから、若者たちはこの重苦しい時代に意気消沈しかねない。そういうご時世である。これも前原、菅、岡田、仙石の日本潰し内閣のおかげであろうヨ。
そんな時代だから、今日のひな祭りの話題として、数年前、私の昔のブログに書いていたものを再掲して、女の子の日のお祝いとしておこう。以下のものである。
さて、この中にある、「徳島のひな祭り」というのは、徳島県の勝浦郡勝浦町という地域の伝統的ひな祭りである。参考までに、紹介しておくと、以下のものである。
第23回 ビッグひな祭り
(24日 午後3時 勝浦郡勝浦町大字生名字月ノ瀬 人形文化交流館へ 100段の雛壇を見に)
この徳島県の「勝浦」とまったく同じ名前の地名が千葉県にある。千葉県勝浦市である。不思議なことに、ここにも「ビッグひな祭り」の風習が残されている。以下のものである。
ビッグひな祭り
実は、「阿波の国」である徳島県と「安房の国」である千葉県は古代において結びつきがあったという。簡単に言えば、阿波の人間が黒潮に流されて千葉に漂着し、そこに住み着いて安房の国としたのである。事実、千葉県南東部には徳島県内にあるさまざまな地名とまったく同じ音の地名が多く存在する。
全国有数の農業県・千葉県と「総の国」の由来
にはこんな記述がある。
「ふさの国」の由来
この豊かな県土
を示す古代の説話が、約1200年前、平安時代の初期にまとめられた『古語拾遺(こごしゅうい)』という文献にのせられています。この文献は、宮廷のお祭りを担当した忌(齋)部(いんべ)氏の来歴を記したもので、忌部氏の先祖・天富命(あめのとみのみこと)が房総半島に移住し、麻を植えたところ良く育ったので、麻の別名・「ふさ」の名を取って、その地を「ふさの国」と名付けたとされています。「ふさの国」を上下に分けた上総・下総の国名は、奈良県明日香(あすか)村石神(いしがみ)遺跡や橿原市藤原宮(ふじわらきゅう)跡で出土した木簡(もっかん)(文書など記した木札)に記されており、 1,300年以上前の7世紀後半には成立していたと考えられ、房総が「ふさの国」と呼ばれたのは、それ以前であったと考えられます。これらの木簡に記されたフサの字は「総」ではなく、手偏(てへん)に「求」と書く文字です。この文字は、『大漢和辞典』によると「盛る」という意味がある一方、房となって実った果実を意味し、その意味から「ふさ」と読まれたのでしょう。何れにしろ「ふさの国」は、豊かで実り多い土地を示す国名だったと思われ、それは、現在の農業県・千葉を支える豊かな県土へと受け継がれているのです。
なお、安房の国については、養老2年(718)に上総国から分かれ、その後、一時、上総国に合併されますが、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(757)に再び独立、上総・下総・安房国が成立しました。名前の由来は、『古語拾遺』では四国の阿波国の忌部が移住したことによるとされています。こちらは、四国と房総の黒潮を通じた交流を物語る地名と言えるでしょう。
私の妻の母方の先祖は、この阿波忌部氏に繋がるという話である。
そんなわけで、徳島県の勝浦に住むようになった阿波の国の人々が、千葉県の勝浦に住むようになり、安房の国を開き、そこで古来の伝統のビッグひな祭りを開花させたという可能性が非常に高いのだろうと私自身は考えているというわけである。
最後に、おまけとして、セレソンの国のビッグひな祭りも再度ここにも紹介しておこう。
ロナウド発見! サンパウロカーニバルにて
by Kikidoblog | 2011-03-03 15:03 | アイデア・雑多