東日本大震災後の日本:いまこそバックミンスター・フラー建築で蘇れ!
福島第一原発の放射能漏れに関して、いかにいわゆる秀才、東大型のエリートの脳みそが通用しないかよくわかったことだろう。このまま行けば、東大秀才と共に、東京時代は終焉することは間違いないだろう。目先の効く在日朝鮮人は大阪へ、在日韓国人は母国へすでに引っ越したという噂は絶えない。今では母国から相変わらずの電通CIA指令を行っているのだろうヨ。
さて、そんな東大秀才の吹きだまりの東電が出したアイデアがこれまたひどかった。「建屋を巨大な箱で覆う」
(こういうのを「机上の空論」、「荒唐無稽」、「絵に書いた餅」。現実無視の大本営の絵に描いた建屋ですナ。)
というものである。私はこれを聞いて、あまりの馬鹿さ加減に恐れ入った。なぜなら、それは物理法則のスケーリング概念を全く知らないということが明白だからである。
このスケーリング概念は物理学の、常識中の常識。基本中の基本である。物体をその見かけの形を保ったまま、スケール(倍率)を変えると、例えば、建物の大きさをL倍すると。その表面積はL×L=L^2。体積はL×L×L=L^3倍に増えるという考え方である。
つまり、もともとの建屋を覆うために、その2、3倍の建屋を作るとなると、物資が8、27倍に跳ね上がる。それにより、時間も経費もそれ以上にかかるようになるということである。だから、巨大建築の場合は、こういうふうにしてはならない、というのが、建築学者の常識である。
建築の場合には、厚いコンクリートの天井や壁を作るよりは、「トラス構造」
(木造立体トラス)
で天井や壁を作る方が軽くかつ強度の強いものを作ることができるのである。
しかしながら、これではまだ問題がある。それは、この構造をつくるためには、パーツの種類が多すぎるのである。柱のパーツ。屋根のパーツ。天井のパーツ。梁のパーツなどに分かれ、さらにそのそれぞれが内部パーツに分かれてしまうからである。緊急時にこんなにたくさんのパーツを作ったり、集めることは不可能である。
言い換えれば、この場合は、最大の効果を上げるのに最多数のパーツを要してしまうということである。
かつてこういう問題を見事に解決した20世紀の天才がいた。そしてこの人物の真の後継者は日本にいる。それがアメリカの建築学者のバックミンスター・フラー(http://www.bfi.org/)
であり、後者が「犬のしっぽ」で有名な建築家の梶川泰司氏
(かなりのハンサムガイですナ。)
である。
バックミンスター・フラーの「私が知ることのすべて」
バックミンスター・フラー
このリチャード・バックミンスター・フラーの思想は「Do more with Less」(最小で最大の効果を引き出す)というものである。
その結果考え出されたものが、「フラーのメガストラクチャー」
(Architecture on Film)
(A Community Dwelling Machine)
(メガストラクチャーで覆えば、放射性物質が来ても中には入らない。)
というものであった。
この1つに有名な「フラードーム(ジオデシックドーム)」
や「フラーテント」
がある。こんなやつもある。これもオリジナルはフラーのもの。
Chuck Hoberman 01
これを傘に転用したのが、私のこれ。
(ジュネーブ国際発明展開幕)
このフラードーム構造は、同一(たった1種類か数種類)のパーツの繰り返しだけで出来上がるのである。だから、1、2日あれば、それなりの巨大建築が出来上がる。仮設住宅作りにおいてもすぐにできるのである。被災者たちが数人で協力すれば
すぐにこんなハウスができあがる。
(神山のコットンフィールドにて。前にいるのが、10年前の私である。)
地震の多い場所には、そもそも始めから地震の揺れに強い、日本の「五重塔」のような建物が適している。日本のビルが地震に強いのもそれと同じ1軸構造(大黒柱構造)を真似たからだが、フラーも同じことを1920年代に考えていた。それが「ダイマキシオン・ハウス」であった。
バックミンスター・フラーの「ダイマキシオンハウス」
東電の人、東大の人、もっと博識になってもっと頭を使わないと、ほんと東京は滅ぶぞ!
まあ、俺にはどうでもいいはなしだがナ。
おまけ:
ついでに加えておくと、1970年の大阪万博
の時、まだこのバックミンスター・フラーが現役であった。世界はこの偉大な現代建築学者の思想圏にあり、世界中がフラー建築を目指したのである。これこそ「21世紀の建築」だと当時の世界人類は考えたのである。だから、大阪万博で初めて「パビリオン」という名前の巨大建築、フラー建築のオンパレードとなったわけである。
(EXPO '70を懐かしむ・「1970年大阪万博の軌跡」展)
(私はこれをそっくりそのまま残しておいて欲しかったナア。まあ、「もうかりまっか」の大阪人にはフラーの偉大さは理解できなかったのだろうヨ。)
私は当時小6で、その巨大な建築物に21世紀への思いを馳せたものである。今こそこの時代精神に戻るときである。私はそう思う。
おまけ2:
ちなみに、フラー建築の思想的弟子たちは、日本国内にも数多く存在する。
日大建築学部。
武蔵野美術大学。
出よ、フラーの弟子たち! 今こそ君たちの時代だ!
by Kikidoblog | 2011-04-19 10:57 | フラー