「国の原発対応に満身の怒り」:東大の児玉龍彦博士の提案は通じたか?
いやはや、遅きに失した観があるが、”たまには”東大にもまともな科学者もいる。福島原発の崩壊事故に対する政府の対応への提言を行なった、児玉龍彦博士の意見陳述である。
2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦
まあ、こんな素晴らしい科学者の意見や提案やアイデアであったとしても、今の朝鮮民主党政権では「どこふくかぜ、馬の耳に念仏」だろう。なぜなら、棺桶直人の天命とは「死神」。日本に「引導を渡す」ことだからである。要するに、日本という国をこなごなに破壊することだからである。それゆえ、時間を稼げば稼ぐほど、日本は潰れるわけである。だから、必死で居座るわけである。
私が理解できないことは、鳩山や小沢、あるいは他の国会議員たちがこんなことがどうして分からないのか/分からなかったのか、ということである。菅直人、通称、棺桶直人の顔つきを見れば一目瞭然であろう。人間の顔をしていない。死神の顔である。この人物はいつからかこういう顔つきになった。
これは、一説には、どこかでマインドコントロールの脳指令プログラムが発動されると、人格が変わるとあるように、菅直人にもそういう指令が来て、マインドコントロールを受けた結果、棺桶直人に変わったのかもしれないというわけである。このように、今の日本社会は世界史的に見ても実に奇々怪々の状況にあるわけである。しかし、横田幕府のジャパンハンドラーズはおそらくそれをおもしろがって見ているに違いない。
はたして、東大の児玉龍彦博士の言説は国会議員の琴線に触れたか?
今後を見守る他ないが、連日韓国倶楽部通いの噂のある民主党政権では無視されるだけで終わるのだろう。今の日本のすべての科学技術の責任は東大教授たち、東大の学者たちにある。彼らに全責任を取ってもらう他ないだろう。
ところで、「御用学者」という呼び方があるが、これは実に語弊がある。なぜなら、日本の大学にいる学者(私のようなフリーの科学者を除き。最近ではフリーランスのジャーナリストは少し脚光を浴びているが)は、定義からすると、原理的にはすべて「御用学者」である。なぜなら基本的に文部科学省の研究資金を受けているからである。だから、政府や東京電力の都合のいいことだけ言いふらすものが「御用学者」というわけではない。特定の会社に飼われたものだけが「御用学者」というわけではないのである。小出博士や児玉博士や武田博士のような人々は例外中の例外に過ぎず、ほとんどすべての大学職員は「御用学者」なのである。
だから、大学の学者は「分かり切ったことしか話さない」、「異端はトンデモ、少数派は極端、標準的なことだけを語る」のである。それゆえ、当たり障りのない、だれにも反論されないような話でお茶を濁す。そうしておけば、自分の地異や名誉が安泰となるからである。年収1000万ほどの給料がそれで手に入るからですナ。
こういうわけだから、日本の大学の学者の頭からは、本当の新技術の発明や革命はまったく出て来ないのである。欧米の著名な科学者の手の平に乗り、あぐらをかくことしかしないからである。まあ、飼いならされてしまったわけである。
まあ、そんな日本の学者でも、自分の尻に火がつくとさすがにあちー、あちーと騒ぎ出す。がしかし、時既に遅しというわけである。
もし今回の福島原発の事故処理ができないのなら、日本物理学会など廃業解散したほうが良い、と私は見ているのである。無用の長物である。税金の無駄使いである。なぜなら、文部科学省の物理科学部門の研究費は全部物理学会会員のみで分配されるからである。私など一銭も手に入らない。
日本物理学会とともに、東大とともに、東京や関東が終焉する。日本が終焉する。
「滅びの哲学の国の歴史」としては、なぜかいい響きがするのが不思議だが、彗星エレニンや惑星ニビルが来るまでもなく、日本は東大や物理学会と福島原発とともに終わりを告げる。これもまた大いなる進化の歴史の中の一こまに過ぎないのだろうヨ。
by Kikidoblog | 2011-07-30 11:30 | 原子炉被災