「情けは味方、仇は敵」:「トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件」の教訓!
武田節(三橋美智也)
みなさん、こんにちは。
「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」という言葉は、「風林火山」の武田信玄の哲学を歌にして、現代にまで語り継がれている、「武田節」の一説にある言葉である。これは「人間」の世界では、いつでもどこでも通用する真実でもある。しかしながら、私のように、山梨県出身者には常識の1つだろうが、他の地方の人々はもちろん知らないにちがいない。
しばらく前に「ねずきち氏」の
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件
明治23年(1890年)の出来事です。
トルコ皇帝ハミル二世が日本に派遣した特使一行を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号が、帰路、暴風雨に遭遇してしまいます。
そして、和歌山県串本町沖合で、岩礁に衝突し遭難した。
この遭難事故で、トルコ特使を含む518名が死亡してしまいましたが、死を免れた69名は、地元漁民の手厚い救護により一命を取りとめます。
このとき串本の村人たちは、台風により漁ができず、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護しました。
貧しい村人たちにとっても、ほんとうに命がけの救助と介護だったのです。
そして遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。
にあったように、当時の日本の田舎の漁民たちが行った親切をトルコ国民は未だに忘れない。いまも教科書で、極東日本人の行ってくれた親切として紹介し、国民全体が骨身に沁みているというのである。
それに対して、どうも日本に住む在日系の人々はそういう人間の機微というものを理解できないらしく、事ある度に、悪さを働いているようですナ。まあ、悪い事をするときは日本人のせいにしろ、いい事をするときは自分たちのおかけだと言え、というメンタリティーが生きているからだと言われている。
わざわざ「言わずと知れた」というのが、古来の日本人の「情緒」の1つであるが、もちろん、世界もそうである。「言わなくては分からない」というのはウソで、それは悪魔主義に毒されたアメリカの一部の人たちの話である。どこの世界の人でも「分かる人には分かる」、「わざわざ言わなくても、その行為から分かる」のである。ここを誤解してはならない。まあ、私個人はそう考えているということですナ。
さて、再びそのトルコの東部で大地震が起きた。今回は、前回の救助のために駆けつけた日本人のうち2人が被災したようである。しかしながら、やはりトルコ人は日本人に親切だった。以下のニュースである。
トルコ余震でホテル倒壊、日本人女性1人救出
【カイロ=田尾茂樹】米地質調査所(USGS)によると、トルコ東部ワン県で9日午後9時23分(日本時間10日午前4時23分)ごろ、マグニチュード(M)5・7の地震があり、ロイター通信によると少なくとも3人が死亡した。
ホテル2棟を含む約20棟が倒壊し、100人以上ががれきの下で生き埋めになっている可能性がある。10月に起きた地震の被災者支援のため現地入りしていた日本人2人も巻き込まれた。そのうち1人は救助された。
在トルコ日本大使館などによると、巻き込まれたのは日本の非営利組織(NPO)「難民を助ける会」メンバーの近内みゆきさん(32)と宮崎淳さん。倒壊した「バイラムホテル」に宿泊していた。
このうち、近内さんは救助隊に助け出された。病院に搬送された近内さんと大使館員が電話で話したところ、近内さんは頭に重傷を負ったものの、意識はしっかりしているという。近内さんが救助隊の手で担架に乗せられ、救急車に運ばれる様子はトルコ国営テレビで流れた。
倒壊したホテルの下にいて、地上と会話できる男性がおり、宮崎さんの可能性があるとの情報もある。
今回の地震は震源の深さが約4・8キロ。被害は県都ワン一帯に集中している模様だ。ワン県では10月23日にM7・2の地震があり、600人以上が死亡した。今回はその余震とみられる。
(2011年11月10日11時12分 読売新聞)
これを見ても、「情けは味方、仇は敵」という事がいまもって真実であるということが分かるだろう。まあ、それはあくまで我々地球人類の中のお話だが、欧州貴族のように、外宇宙からの使者が先祖だということを自慢しているというような特殊な民族にはきっと通用しないのかもしれないですナ。
by kikidoblog | 2011-11-10 12:41 | 真の歴史