医師でサッカー選手のソクラテス氏死去!:伝説の黄金のカルテットの1人だった!
いやー、本当にいろいろなことが起きる。かの医者にしてサッカー選手だった、伝説のブラジルミッドフィールダーのソクラテス氏
が死去した。享年57歳。まだ若か過ぎる死である。
元ブラジル代表ソクラテス氏が死去
1980年代にACFフィオレンティーナでも活躍したソクラテス氏が4日、57年の生涯に幕を閉じた。
サッカー史上最も優雅なMFの一人に数えられるソクラテス氏は、ブラジル代表として60キャップを獲得し、1982年と1986年のFIFAワールドカップにも出場。このセレソン(ブラジル代表の愛称)の元主将は、現役時代の多くを祖国ブラジルのクラブで過ごしたが、1984-85シーズンにフィオレンティーナでプレーした経験も持つ。
「彼がフィオレンティーナに来た頃、私はけがをしていたんだが、それでもあの頃のことは鮮明に覚えているよ」と話したのは、ビオラ(フィオレンティーナの愛称)でチームメイトだったジャンカルロ・アントニョーニ氏。「彼はフットボールと人生について確固たる見識を持った偉大な人格者だった。それになんと言っても、真の勝者だったよ」
元イタリア代表GKディノ・ゾフ氏は次のように述べた。「ソクラテス氏はサッカー史でも特別な位置を占める偉大な選手でありキャプテンだった。プレーも素晴らしく、(1982年の)ワールドカップで彼が決めたゴールは今でも覚えているよ。あんなゴールを決められると、人々はどのDFに責任があったかを探し始めるものだが、あのようなゴールは偉大な選手にしか決められない種類のものだったんだ」
ソクラテス氏は最終的に50歳まで現役を続け、2004年に引退。イングランドのアマチュアクラブ、ガーフォース・タウンFC(当時はイングランドの10部に所属)が最後の所属クラブとなった。
(三浦知良選手、上には上がいるぞ。50歳過ぎまで現役で頑張れ!)
82年、ブラジル、「黄金のカルテット」、8番がソクラテス。10番がジーコ。15番がファルカン。
82年ワールドカップ ブラジル対イタリア(2次リーグ)
(この時代は、日本がワールドカップに出るということは、夢のまた夢のまた夢だった。ところで、この映像を見れば明白だが、この頃のイタリアのプロサッカー選手はだれも入れ墨をしていなかった。今はほとんど全員が入れ墨をしている。いったいだれがサッカーに入れ墨文化を持ち込んだのだろうか?)
惜しまれるソクラテス氏。
サッカー、ソクラテス氏の死悼む ブラジル「市民の模範だった」
【リオデジャネイロ共同】サッカーの元ブラジル代表主将ソクラテス氏の死去を受けブラジルでは4日、ルラ前大統領が「市民の模範だった」と述べるなど、著名人らが医師免許も持つ往年の名選手の死を悼んだ。この日のサッカー全国選手権では試合前に1分間の黙とうがささげられた。
代表チームで「黄金のカルテット」と呼ばれる中盤を組んだジーコ元日本代表監督は自身のウェブサイトで「高潔、誠実で最も大事な人物の一人だった」と振り返り「ただ良き日々を思い出している」と追悼。ファルカン元日本代表監督も「相手によって態度を変えるようなことはなかった」と人格を褒めたたえた。
R. I. P.
by kikidoblog | 2011-12-05 21:42 | サッカー&スポーツ