人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである。」:HSさん、こっちで失礼します。

「戦術的ピリオダイゼーション理論」

”サッカーはカオスであり、かつフラクタルである。”

–––ビトール・フラデ(Vitor Frade)博士

「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである。」:HSさん、こっちで失礼します。_e0171614_13213888.jpg


みなさん、こんにちは。

以下は個人的メールである。しかし内容が興味深いものにつながっているので、あえてこっちにもメモしておくことにした。関心のない人はスルーを。

––––––
HSさん、どうやらそちらのメールサーバーからこちらの返事がいつもリターンされるようで、お返事を書いてもそちらへ到達しません。この状況は初夏頃から生じているようです。すみませんが、こちらの方で失礼いたします。

HS様

拝復、
明けましておめでとうございます。謹賀新年メールをどうもありがとうございました。

井口様

明けましておめでとうございます。
昨年は突然のお手紙を読んでいただきありがとうございました。
井口さんのブログで日々勉強していますが、真の平和がこの地球に
訪れることを願うばかりです。まだまだ小心者で大きなものへ立ち向かう
勇気が心の底からわいてきません。誰かが解決してくれるだろう、しかし
自分にも何かできるのではないかというジレンマから今日も離れることが
できません。


この地球のことはなるようにしかならないだろうというのが正直なところですね。
自分にできることだけでもいいから確実に行って行くことでいいのではないか
と思います。

さて、今、私は横浜にてFCバルセロナのサッカースクールで研修しています。
チャビエルナンデスを育てたJoan vila氏のTRを観たり、彼とディスカッションしたりしています。

彼曰く、「テクニックよりもまず状況判断を鍛えるべき」だそうです。
6歳のサッカー少年が正確で強いパスはなかなか出せないけども、
ボールを受ける前にしっかり首を振って観察し、良いポジションで
ボールを受け、良いタイミングでよい場所へパスしようとすることは可能なのです。
実際に目の前の子供たちはそれをやろうとします。

そのような状況判断でおきるテクニックミスは長い時間をかけてミスではなくなるようです。

ただし、相手なしのパストレーニングも少しはやるそうですが、ほとんどがゲーム形式の状況認知・判断・実行が盛り込まれたエクササイズです。

井口さんはどのように思われますか?


シャビのプレーは非常に素晴らしいと思います。あらゆる場面であらゆる判断が的確にできるそれも1試合フルでそれができる能力というのは非常に独特の能力だと思います。

私はシャビやイニエスタやメッシはやはりバルセロナのサッカー文化が育んだ傑作だと思います。バルセロナ文化の黄金期だろうと思います。
2011クラブW杯決勝戦バルセロナ4-0サントス得点シーン

私も以前に村松尚登氏の
バルサ流トレーニングメソッド
「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである。」:HSさん、こっちで失礼します。_e0171614_138891.jpg
という本をアマゾンで買い、その神髄がどこにあるのか研究しました。バルササッカーについてはかなりよく知っている方だろうと思います。

私が中でももっとも興味を惹かれたのは、その本に紹介されていたビトール・フラデ博士の「戦術的ピリオダイゼーション理論」というものです。「サッカーはカオスでありフラクタルである」というフレーズで始まる新サッカー理論ですね。30年以上前のことです。

私は理論物理学者ですからカオスもフラクタルも熟知していますが、その現代物理学の観点からサッカーを見直しトレーニングから何から何までを全部見直して、独自のサッカー育成法を構築したというのがそのフラデ博士でした。この新方法をかなり早い段階で導入したのがFCバルセロナであり、ここから「バルサ流」というのが起こったのだそうです。

私も「戦術的ピリオダイゼーション理論」でバルササッカーは成り立っていると思います。

しかしながら、我々日本人においてそれをそのまま導入してうまく行くかというと特殊な地域、例えば、静岡、神奈川、埼玉、山梨などのすでに祖祖父の時代からサッカーに親しんでいるような地域は別として、その他の地方ではバルサ哲学を浸透させるのは容易なことではないと思います。むしろ、なでしこジャパンの方が我々には合っているような気がします。

身体的にも技術的にも劣っている選手たちが、世界最強チームへと急速に進歩したなでしこサッカーにこそ新興チーム、新興国が見習うべき基本が潜んでいるだろうと思います。バルサを見てもだれもあんなチームは真似できないと思うでしょうが、なでしこジャパンなら自分たちでも真似できるのではないかと思うはずだからです。

私は、なでしこの選手たちを見ていて何がその最大の特長かと言えば、「明るさ」にあると思います。それも先天的な陽気さにあると思います。陰気な選手も陽気にすることにより、本来の能力以上のものが発揮できるという一種のマジックが起こるのだろうと思います。やはり、考えすぎる選手より陽気で明るい選手たちでなおかつ向上心のある選手たちが本番に強いのだろうと思います。

あるいは、なでしこジャパンの女子選手たちは、常に幼少期から同年輩の男の子たちの中でプレーして育って来ています。常にハンデキャップを負いながら悔しい思いをしながら育って来ています。これが自動的に正確なボールコントロールや判断力などを育んでいると見ています。

私は我が家の息子たちにもよく話しますが、日本の男子サッカーは「子供横綱のサッカー」です。この意味は、比較的早熟で身体的に大柄で能力的に優位にたった選手がエリートサッカー選手の育成の道に入る傾向が高いということです。しかし、子供の頃大型でいつも優位に立っていますが、高校そして大人となると今度は自分が特別大きな選手になるわけではありません。しかしそうなった時、子供の頃に身に付いた大柄の選手特有の癖が出て、それが本人の成長の邪魔をするということを言っています。

つまり、子供横綱でだれ一人大相撲の横綱になったものがいないというのと同じことです。子供の頃開花した能力と本当の大人の頃開花する能力は異なるということです。

柔道でもそうで、山下選手を指導した先生が、大柄の山下選手に小さな選手がやる基本を徹底的に教え、決して自分の相対的大きさや重さを利用したやり方を教えなかったために、山下選手が国際大会では実際小柄になるためにそういう時に非常に役立ったと言われています。ところが、今の柔道選手はそうしたことを教わらず、常に子供時代から大きさを傘に来た試合を行って成長したため、国際大会で今度は自分が小柄にならざるを得なくなった時、どうしていいか分からなくなってしまうのです。

サッカーにもこれと同じことが起こります。日本のサッカー選手は高校サッカーになった時、それまで比較的早熟で足が速ければいい選手と見なされます。しかしいくら6秒フラットで走れて、日本ではそれまでそれだけでぶっちぎれ、多少間違ったドリブルやトラップでも通用で来たからといって、高校レベルや国際大会のレベルではそういうプレーはもはや通用しません。むしろ6秒程度ではごく普通の早さになってしまうからです。

だから、子供時代俊足の選手や大柄の選手でも、その俊足やその大きさはあくまでその地域や国内である程度通用するだけのことに過ぎないということをきちんと理解させて、自分が足が遅い選手や小粒な選手と同じプレーを身につけさせなくてはいけないということなのです。

しかしながら、このことを理解している小中高の指導者は皆無ですね。その辺で大柄だったり俊足であれば、適当にドリブルしたり、トラップミスしてもすぐに相手をぶっちぎれ、あまり悪い結果にならないからです。

この点、なでしこジャパンの選手たちは、いつも男子に泣かされて来たので、そうしたところがきちんとできるようになり、結果としていくら女子で俊足でも男子にはかなわない。いくら女子相手にいいプレーしても男子の中では通用しないという経験を早くからして育って来ているために、大人になった時プレーが男子よりよりエレガントになりより正確になりより早く完成しているように感じます。

まあ、だいたいこんなところでしょうか。

長くなりましたが、HSさんのご健勝とご幸福を心より願っています。

敬具。

井口和基



おまけ:
サッカーは3人で練習を W杯解析で名大教授提言

 サッカーの上達には3人でパスを回す練習が効果的―。06年に行われたW杯決勝イタリア対フランス戦と、キリン・チャレンジカップ日本対ガーナ戦を科学的に解析した名古屋大の山本裕二教授が、サッカー少年らに興味深い提言をした。
 この2試合で各選手がパスを出した回数と受けた回数を分析。3人でパスを回した回数とシュートチャンスに着眼すると、司令塔役を中心に3選手のパス回しが多いと、チャンスが増えることも判明した。
 この結果から山本教授は「サッカー練習の基本は3人」と結論付けた。

この教授のような考え方、全体の一部だけ取り出して、そこだけをみるというやり方や、全体の中の最少単位を見つけるというような考え方が「還元論的見方」というものである。「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」という意味は、こうした還元論的見方や対処のしかたではだめだということなのである。サッカーは三角形の配置の中に三角形がある。3人組が3つ集まってより大きな三角形を作っている。こういうフラクタルの配置が大事だという意味である。3人が基本ユニットであったとしても11人で行うスポーツなのだから、残りの8人の配置も無視できないのだ、というのがスペインバルサ流の「戦術的ピリオダイゼーション理論」の帰結なのである。名大のスポーツ博士のレベルではまだまだそこまで到達するには100年かかりそうだ。困ったものである。若い選手の皆さんはあまりこういう困った教授の言うことは無視して自分たちのやり方やバルサのやり方を勉強した方が良さそうだ。

  by kikidoblog | 2012-01-05 13:25 | サッカー&スポーツ

<< 第90回高校サッカー選手権:あ... 必見「THRIVE(繁栄)」:... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE