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A Happy New High School Soccer!:子供横綱が優勝!時代が30年戻った!?

みなさん、こんにちは。

一昨日、第90回高校サッカー選手権の決勝が行われた。結果はもちろん周知のように、市立船橋2-1四日市中央だった。船橋は5度目の優勝。おめでとう、といつもなら言うところなのだが、数年前の「セクシーサッカーで革命を!」のキャッチフレーズとともに優勝した滋賀の野洲高校の時と違い、今回は非常に情けない状況であった。ベスト4に残ったチームで唯一パスのつなげるのは四日市中央だけだったからである。四日市中央は、もし「マリーシア」を持てば、余裕で1-0で優勝で来たはずだが、「ドーハの悲劇」の時とまったく同じような展開で大逆転劇を食らってしまったのである。

ところで、ちょうどその夜、奇しくもそのドーハの悲劇の時のハンス・オフト元日本代表監督の特集番組がNHKで放送されていた。私はそれも見たのだが、そこでオフトが「若手は育っているか?」、「日本が世界でベスト10に入るためには遠藤選手のようなプレーヤーが10人必要。」と言っていたのである。

そのオフトの杞憂と今回の(ここ最近の)高校サッカーの”停滞”が見事にマッチしていたというわけである。

また、その杞憂を見事に証明しているような内容が出ていたので、ここにメモしておこう。以下のものである。

【高校選手権】市立船橋の優勝が高校サッカー界に突きつけた「命題」
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浅田真樹●文 text by Asada Masaki
末吉雅子●撮影 photo by Sueyoshi Masako

 全国高校サッカー選手権決勝は、市立船橋が四日市中央工を延長戦の末に2-1で破り、9年ぶり5度目の優勝を果たした。
 このところの高校選手権では、6年連続で初優勝校が誕生するなど、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の新時代に入っていた。それを考えると、市船の久しぶりの優勝には「名門復活」の印象を受ける。
 しかし夏のインターハイでは、市船が最近5年で3度も優勝しているのだから、決して低迷していたわけではない。新時代にあっても市船が強さを維持していることを、今回の高校選手権で改めて証明したというところだろう。
 とはいえ、近年、新興勢力の台頭も目立つ中で、久しぶりに伝統校が頂点に立ったことは、高校サッカー界にとって、それなりに意味のあることだったのではないかとも感じている。というのも、優勝した市船が、良くも悪くも「昔ながらの高校サッカーらしいチーム」だったからだ。

 とにかく市船のサッカーは徹底されていた。決してリスクを背負わない。4バック+3ボランチで守備を固め、前線の3人が攻める。もちろん状況に応じて攻撃の人数は増えるが、これが基本的な戦い方だった。市船・朝岡隆蔵監督は語る。
「このチームは、以前は失点が多すぎた。そこで何を重視するかを考えたとき、うちは点を取れるからこそ、(守備の)リスク管理が必要だった」
 試合開始直後に失点し、四中工が1点をリードしたまま、時間が経過した決勝戦。だが、市船の選手たちは、それほど攻撃に重心を傾けようとはしなかった。DF種岡岐将(たかまさ)がその理由を明かす。
「ラスト10分までは耐えよう、と思っていた。無理をして2点目を失うほうが怖かった」
 1点リードされているにもかかわらず、無理をしようとはしない。一見、積極性に欠ける戦いぶりは、反面、1点なら絶対に追いつけるという自信の表れだった。種岡が続ける。
「県予選準決勝の習志野戦も逆転勝ちだったし、(今大会初戦の)長崎日大戦もそう。練習試合でも逆転勝ちは結構多かったから」
 そして、試合は勝負の残り10分。怒涛(どとう)の反撃に出る、市船の狙いは明確だった。「今大会はCKで点を取る場面が多かった」(FW岩渕諒)。そこで、「CKを取ろうとした」(種岡)。
 セットプレイ狙いは、ものの見事に的中した。後半ロスタイムに、右CKからFW和泉竜司が押し込んで同点に追いつくと、延長後半、再び和泉が決めて、試合をひっくり返した。

狙い通りの逆転勝ち。朝岡監督は、そんな戦い方を「市船の伝統」と表現する。
「私にとって、桐蔭学園(のパスサッカー)が理想。でも、急に何かを変えることは難しい。昔からあるものをベースにしなくてはいけない。市船にはそういう(手堅く戦う)文化があった」
 逆転優勝の立役者となったFW和泉もまた、「伝統」を感じたひとりだった。
「小さいころ高校サッカーを見ていて、市船には守備が堅くてセットプレイで点が取れる、というイメージがあった。昔の市船らしさを出せたと思う」
 昨今、バルセロナの影響からか、高校サッカー界でも「パスサッカー信仰」は強い。ショートパス主体のサッカーを志向することは、決して悪いことではないが、そのことが「脇の甘さ」を容認する結果になっている点も否めない。拙注:この人はサッカーはパスゲームという鉄則を忘れている。)敗れた、四中工・樋口士郎監督の言葉が印象的だ。
「クラブW杯決勝を見ていて、確かにバルサのパス回しはすごかったが、ブラジルのトップチーム(サントス)がパスを3本、4本と通せないことが、私にとっては衝撃的だった。バルサのすごいところは、あのプレッシングができること。そこに目を向けないといけない。ハードワークをベースにした高い守備意識を持ってパスワークを志向することが、高校サッカーでも大事なことだと思う」(拙注:この人の言っていることは全く正しい。しかしそれができるためには、攻撃をゆったりしてパスサッカーに徹しないとだめなのである。攻撃で走りすぎれば、ハードなディフェンスはできなくなる。
 率直に言って、市船のサッカーは面白いものではなかった。だからといって、決して技術的に劣るチームだったわけではない。むしろ、四中工以上にテクニックに優れた選手は多かったのだ。(拙注:試合に出せない技術は技術とは言わない。
 しかし、そこにおぼれることなく、手堅すぎるほど手堅く戦った。「古き良き高校サッカー」全盛の時代を知る伝統校が勝ちに徹し、9年ぶりの王者に返り咲いたことは示唆(しさ)に富む。
 フィジカル重視の国見や鹿児島実をアンチテーゼとして、テクニック重視の野洲が頂点に立ち、はや6年が経過した。(拙注:野洲は技術だけのチームではなかった。ウソついてはいけない。国見や鹿実の体力の上に技術と戦術を持っていたのである。野洲の山本監督が野洲の高校生に問うたのは、「レスリングや柔道や水泳やテニスの他のどんなスポーツでも高校生が金メダルを目指して練習やトレーニングしているのに、なんでサッカー選手はそれをめざさないのか?」であった。その結果が優勝だったにすぎない。)この市船の優勝が、近年の高校選手権の流れに一石を投じるとともに、高校サッカー界全体にもう一段のレベルアップをうながすものになることを望みたい。


まあ、この記事にどうこうということはないのだが、こういう一見非常にサッカーを知っている専門家の書いているふうな、一見もっともらしそうな記事作りが非常に困るのである。なぜならあまりサッカーを知らない人が見ると、そう信じてしまいかねないからである。

この記事の結論と私がここ10年ほど昔の掲示板や昔のdoblog、そしてここでも言って来たことや分析して来たこととは、まったくの正反対である。同じ現象を目撃したとしても、それを見る人物によって結論や教訓が逆になるという1つの例である。

この人は「昔の高校サッカーらしいチームが優勝した」ことを良いことだと見るが、私は「時代を30年前に戻してしまった」と見る。今回の市立船橋は、我々が高校生時代のサッカーだった。つまり、典型的な「ラグビーサッカー」であった。その理由は、もちろん「勝利する」ためである。「勝ちにこだわるあまり戦術を省いた」のである。

もう1つは、この記事の著者はまったく理解していなかったようだが、なぜ「逆転の船橋」になれたかと言えば、今回の船橋は「超大型チーム」だったからである。

決勝でも相手に身長で8cmほど体重で12kgほど勝っていたのである。トップに188cmの選手がいる。横綱vs関脇の差である。これではどのチームと対戦したとしても、セットプレーやパワープレーになれば得点できるだろう。さらには、50m5秒台や6秒台前半の選手がほとんどである。後半になれば、得点チャンスが増えるのは確実である。

しかしながら、これを「やってはいけない」というのが、私のサッカー観である。要するに、背の高いチームが背だけを利用すれば、それは勝利は得られる。しかし、それは一種の「禁じ手」だと考えるべきなのだというのが私のこれまでの分析なのである。

なぜなら、日本の高校で188cmゃ190cmの長身であったとしても、お隣の韓国にはもっと背の高い選手がいる。欧州や南米にもディフェンダーなら2m以上がたくさん存在する。英国プレミアリーグやドイツのブンデスリーガでは190cm級はざらである。だから、日本の188cmの超大型プレーヤーのプレーや、日本で50m5秒台の俊足が国際大会で通用するかと言えば、そういうことは売りにはならないということなのである。世界で通用するのは「サッカーの質や技術」であって体格ではないということなのである。

私はかねてからこのことを「子供横綱が大相撲の横綱になったことはない」という比喩で表現して来た。柔道の山下選手もそうで、日本では子供の頃から大型選手だから、相手の首根っこをつかんで相手を軽く内股で投げれるかもしれないが、それは国内でしか通用しない。だから、相手の胸元を基本通りにつかんで相手の懐に入り込むという小粒な選手の技にこだわった。その結果、国際大会無敗という前人未到の記録を山下選手は実現できたのである。

今回の日本女子サッカー、なでしこジャパンの成功、澤選手の成功もまったく山下選手の場合と同じことだったのである。

もともと身体やスピードで負ける、実際に負けて来た日本の女子たちは、ドリブルで相手を抜き去るよりは、パスを繋いだ方が早い。競り合いでは相手に潰され易い日本女子は、相手を身体で負かしてシュートするよりは、フリーになった選手にきちんとパスを折り返してシュートに持ち込む。守りのときは1人では負けるから、チャレンジ&カバーで2人3人で守る。こういうことを徹底してワールドカップで並みいる大型チームを撃破したのである。

ところが、今回の高校サッカーは、野洲のセクシーサッカーとは違い、身体で相手を潰す、長身を生かす、スピードでぶっちぎる。パスよりは個の力。繋ぐよりは前に蹴る。徹底的に「ラグビーサッカー」に徹してしまったのである。最も大型で体重のあるチームがこれに徹すれば優勝するのは当たり前。負ければ恥だ。そういうサッカーだった。

これを高校サッカーの「停滞」と言わずして何と言うのだろうか? 高校サッカーはワールドカップではない。勝てば良いというものではない。勝てば官軍ではいけない時期なのである。この時期のサッカー観は一生ものだからである。この時期に間違ったサッカーを身につけてしまうとそれ以後伸びないからである。

このチームがドイツへ行ったとしても、ドイツ人はもっとでかい。スピードもテクニックもある。ぜったいに勝てないはずである。したがって、日本男子サッカーが世界ベスト8やベスト4に進むためには、ハンス・オフト監督が言ったように、「遠藤のような選手をもっともっと発掘し、育てないといけない」のである。

クレバーな選手、技術のある選手、ための作れる選手、精度の高い選手、判断力のある選手、常に周りが見えている選手、こういう選手たちを若い時期に完成させないといけないというわけである。

かつてアメリカW杯で優勝した時の主将だったドゥンガ選手が「セレソン」に書いていたことだが、「18歳頃が一番うまかった」と言っている。メッシもまだ24歳に過ぎない。世界の一流選手たちは、18歳ではほぼ完成しているのである。サッカーの王様ペレ選手がワールドカップに出て来たのは16歳であった。今回の澤穂希選手がデビューは13歳、15歳でアジア大会出場、オリンピックに出場したのは16歳の時である。

このように、最終的に将来「バロンドール」クラスに成長できる選手というのは、18歳では”技術的には”完成の域に達しているのである。

そういった現実を比べると、「子供横綱サッカー」ではお粗末である。優勝する以上、どのチームよりうまくなければならない。これが鉄則である。 身体で勝つサッカーは禁じ手なのである。私はそう思う。

  by kikidoblog | 2012-01-11 00:27 | サッカー&スポーツ

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