「人は変われば変わる」ものである:危機に面して人は時に大変身を遂げる!
大分前に「アングロサクソン・ミッション」のビル・ライアン氏のところでこんなことをメモしていた。
ビル・ライアンの”預言”:「ザ・アングロサクソン・ミッション」は失敗する!
しかしながら、これまた不思議なことに、この2つの相反する行動が一つに統合される時がある。それは、真実を知らなくては自己防衛できないという危機に瀕した時である。こういう時には、普段は凡庸に見える、一見馬鹿ななまくらに見える人が、歴戦の勇士に姿を変えることがある。その本人自体が自分自身の身体の中に眠っていた天性の本当の才能に驚くということすらあるのである。火事場の馬鹿力、戦乱の勇気、こういうものはその発露である。
ビル・ライアン氏もその一人だったが、他にもそういうふうにして変化したアメリカ人のこともメモしていた。
いよいよ「最後の審判の日」か?:東日本大震災で大変身したアメリカ人
どうやら人間には何種類かいるようである。
(あ)普段は馬鹿ばっかりやっていたものが、ある衝撃的な事件をきっかけに見事な人物に大変身する。
(い)逆に、普段は理知的な人間のようでありながら、ある衝撃的な事件をきっかけに右往左往しまったく思考能力が低下してしまうものもいる。
(う)もちろん、普段も馬鹿だったが、その大事件をきっかけにますます馬鹿さ加減が増大するもの。
(え)逆に、普段から見事な人物が、その大事件をきっかけにますます磨きがかかるという人物もいるというのは言うまでもない。
さて、今回は、「311東日本大震災」という地球規模の一大事件を境に大変身したように見えるアメリカ人のオヤジを偶然発見したので、ここにメモしておこう。
そしてついに日本にもそんな人物が現れたようである。それがタレント俳優の「山本太郎」氏

である。
私が山本太郎氏を見たのは、おそらく竹内 力主演の「ミナミの帝王」だろう。この中ではヤクザ金融の社員の1人に過ぎず、なかなか名前すら覚えることができなかった。
The King Of Minami - Riki Takeuchi - 難波金融伝 ミナミの帝王 竹内 力
(犯罪者役でそのまんま東氏がそのまんま出ている。この後、宮崎県知事になっていったのだから、この人もまたこの例にもれないといえるだろう。)
あとは、お笑いで、


こんな感じのことばかりやっている、単なる「おばかキャラ」芸人の1人なのだろうと見ていたものである。
それが、東日本大震災と福島第一原発爆発事故で人が変わったのである。180度、それも何回かまわっての180度変わったのである。そして、いまでは「反原発」の象徴的人物の1人に入るようになったから面白い。
「山本太郎」2.11さようなら原発1000万人アクション
そういう私自身何がきっかけでいまがあるのかと言えば、「フリーの理論物理学者」になったことがきっかけだったのである。私がもしどこぞの研究員や社員だったとしたら、我が家のサイトも私のブログも私の半分以上の理論物理学の研究も存在し得なかったはずである。
人という生物は、何かのきっかけで大変身するということがある。その何かは多くの場合、一見すれば(つまり、そのときの常識的見解からすれば)、不利になるというようなことから生まれることが多い。
イエス・キリストも仏陀もガンジーもバックミンスター・フラーもデービッド・アイクもともとは何不自由のないいいことのお坊ちゃんであった。それがあるとき、何かのきっかけでそれに疑問を持つようになる。そして自身でそれを思考し始める。沈思黙考するのである。この期を過ぎると、まるで芋虫がアゲハチョウに大変身するかのように、大きな躍進を遂げるのである。そうなると、昔の芋虫の自分とはまったく違った人間になっているというわけである。
この大変身の能力はどうやらだれにも本質的に備わっているものらしい。問題は、そのきっかけとなる事件やさなぎの時期や孵化の時期なのである。揺籃期がないとどうやらダメのようである。
たいてい大人物になったような人というのは、人生のどこかでだれとも口をきかないという時代を過ごすものらしい。ピカソの「青の時代」である。この一見憂鬱で鬱積したフラストレーションの時代を過ぎてもし生き延びることができれば(大半は羽化する前に死に絶えるか食われるものだが)、大成長を遂げるのである。人とはそういうとてつもない可能性を本質的に備えているものなのである。
by KiKidoblog | 2012-02-12 12:18 | 人物