「物理の森の中で道が二つに分かれていた」:「バック・ツー・ザ・フューチャー」

e0171614_1604253.jpg

歩む者のない道

黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は…
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

ロバート・フロスト (1916年)
e0171614_15324579.jpg


みなさん、こんにちは。

今日は問題の3月20日春分の日である。地震やテロに関して言えば、3月20日ではなく3月22日のフリーメーソンの日、スカルアンドボーンズの日の方が危ないというものまである。だから、その辺りまであは要注意かもしれない。いずれにせよ、ご幸運をお祈り致します。

境目
ところで、春分の日と言えば、昼と夜の長さがここを境に徐々に日が長くなって来るという日のことである。実際に、大分日が長くなり、ここ徳島も春の暖かい日が戻って来た。このような境目の位置というのは非常に重要である。我々も「分水嶺」とか、「閾値」とか、物事の境目、それもこの境を超えるともはや後戻りできず、二度とその場所に戻ることができないというような境目がある。まさしく、ロバート・フロストの詩のことばそのものである。

生命の物理学的基礎の理論の構築
さて、ここ10年ほど私が個人的に研究している生命の物理学的基礎の理論の構築というのも、実はこのフロストの言葉のようなものなのである。私はそのことをここ数年特に痛感するようになったのである。まあ、日本の物理学者や科学者でそういうことを考えている人も考えた人もゼロ、まったくのゼロだから、この際いい機会なので、詳細は省き、その雰囲気だけメモしておこう。

生命の物理学的基礎の理論の構築のハードル
我々が生命現象を理解しようとすると何が一番のハードルになるか?というと、それは熱力学である。微視的な観点を入れたら統計物理学である。これが一番の大問題になる。つまり、エネルギーの保存則とエントロピー増大の法則、永久機関の不可能性など、こういった熱力学の大原則がそっくりそのまま生命現象を否定する方向に働いてしまうのである。

その理由は、我々の知るところの、熱力学理論体系というものは、「孤立系」を記述するために成立したものだからなのである。孤立した系のエントロピーは常に増大する。エネルギーは不滅である。その結果、一度エネルギーをもらったら、後は崩壊して定常状態、つまり、死んだ状態へと回帰して行くことを必須とする学問、理論体系なのである。

ところがその一方で、生命は常に万物は流転するのである。一度も留まるところを知らない。常にエネルギーの流出入がある。世代は常に交代し、身体の中の原子分子も約3ヶ月で全部入れ替わる。にもかかわらず、国は国であり続け、人は人であり続ける。脳は脳であり続ける。しかも時間とともにますます新しい経験や情報を蓄積して行くのである。

だれしも自分自身や自分の子供の成長を見たら分かるだろう。

我々はどこかで間違ったのか?
果たして、こういう生命の移ろいゆく様を物理学の原理として解明可能か?
果たして、そういう生命現象を数学の言葉で記述することは可能なのか?

これが、私がこれまで、そして死ぬまでに何とかして解明しようとしている問題なのである。この問題に集中し始めて、すでに5年が過ぎ去った。

そしていきついた答えが、
我々はどこかで間違った?
というものなのである。我々は19世紀に近代科学を誕生し、それを20世紀に発展させ、ついに21世紀にやって来たが、時代が立てば経つほど、時間が過ぎれば過ぎるほど、逆にこういう生命現象の解明からは遠ざかっているように見えるのである。

確かに生命現象に必須な物質的側面のパーツ(部品)の解明という意味ではかなり進歩したが、それは物質科学の矛先が生命系にも物理学帝国主義的に侵入したという意味でしかないのである。例えば、DNAは解明できても、DNAがなぜ自分で自己複製し、子孫を残してゆくのかという問題ではまったく進展はないからである。

我々はどこで間違ったのか?
そこで、
我々はどこで間違ったのか? 
もし間違ったとすれば、それはどこか? いつ頃か?
という問題を私はここ数年ずっと他のことをやりながら考えて来たというわけである。おそらく、今の大学の研究室にいれば、こういうことはできないだろう。あまりに研究競争や業績主義が横行しているわけだから、欧米の有名科学研究雑誌にどれだけ論文を出すかが問題になってしまうからである。また、若手の育成のための教育に時間を裂かれる。教育とは過去の遺物を教えることだから、ますます過去の遺物にとらわれることになるはずである。そしていつしか御用学者への道を突っ走る。

「19世紀に戻れ!」
そこで、私はここずっと昔の論文、それも19世紀の論文を読むことにしたのである。つまり、「19世紀に戻れ!」ということを私自身の合い言葉にしたのである。エメット・ブラウンの「バック・ツー・1855」である。

19世紀の論文には、電磁気学では、ファラデーとマックスウェルの研究がある。熱力学にはカルノーの研究がある。一見全く違っているように見えるが、この双璧の研究の歴史的進展にはかなりアナロジーがあるのである。つまり、両方ともに、創始者と完成者と発展者の3人がいて、その創始者のより複雑な理論体系を完成者が整理改ざんした結果、それが発展者によって広く流布され、その成果が今日の我々の知る理論体系になったということなのである。

マックスェル、カルノー、そしてガリレオ
電磁気では、ファラデーの実験結果をマックスウェルがかなり忠実に理論化した。その際に創始者のファラデーの描像により忠実に再現したのである。しかしながら、その後ヘビサイドがより自分の個人的趣味に適うようにそしてより現代的な形に簡潔性を求めるように改変したのである。そうして、マックスウェルは最初20の未知変数を決める20個の方程式であったのだが、ヘビサイドによって10の未知数のための4個のベクトル微分方程式へと変貌したのである。これをさらに簡潔にしたものが、現在のマックスウェル方程式と呼ばれる代物のなのである。

熱力学においても同様のことが起こったようである。天才カルノーが誕生し、熱力学の基礎、カルノーエンジンやカルノー・サイクルを考えついた。そして、エントロピーという概念を生み出した。その後、クラウジウスとメイヤーがカルノーの理論体系を力学の体系と結びつくように精錬し、体系化したのである。エネルギーの保存則、エントロピー増大の法則、可逆過程などを体系化して、いわゆる熱力学が成り立つことになった。そして、そういう体系をマックスウェルやギブスやボルツマンが発展させたのである。

ついでに私個人の観点を付け加えれば、力学も似たことが起こったと言えるのである。創始者のガリレオ・ガリレイの発見と描像をニュートンが定式化した。それが後にラグランジュやハミルトンによってさらに発展させられたのである。この流れの中で、最初にガリレオが知っていたことの何か重大な部分が消し去ったのである。力学的エネルギーの保存、孤立系の保存というものにとって変わったのである。

そもそもガリレオは、作用反作用の法則と、静止しているものはずっと静止し、等速運動するものはずっと等速運動するという原理を定式化しただけである。摩擦があればそれは成立しない。そういっただけである。この世は摩擦だらけなのだから、理想的な状況化でしかエネルギーは保存しない。だから思考実験をして物理法則を求めることをしたのである。しかしひとたび法則を得たのなら、なぜそれから摩擦の多い世界でも物理現象や生命現象は成り立つのかについては何も答えることができなかったというわけである。

その結果、我々は現代に行き着いたのだが、いまやこのていたらくである。いまではあれから150年も経っているために我々はどこで間違ったのかすら見極めることすらできないというわけである。

バック・ツー・ザ・フューチャー
人が森の中、例えば、富士の樹海に入り込んでしまったとしよう。自分が考えた道順で行けば、きっと向こう側に抜けられると考える。ある場所で2つの分かれ道に差し掛かる。どちらかが向こうへ抜ける道だったとしてもそれが本当かどうかは進んで行く他はない。それでどんどん先へ進む。しかし道はますます険しくなり、ますます分かりにくくなる。まわりにはますます原生林やさまざまな草花で覆われ目を奪われる。

e0171614_1602412.jpg


そこで、ここでさらに先へ進むか?あるいは、一旦引き返して別の正しい道に進むか?の二者択一を迫られることになる。目印をおいて来なければ、どこまで戻ったとしても、自分が戻っているのかさらに進んでいるのか、あるいは堂々巡りをしているのかすら分からない。そしてついには力尽きる。道を戻ると言ってもどこまでもどれば分けれ道になるのかも分からない。さらには、うまく舞い戻りもう一つの道を進んだとしてもそこから先に抜けられるのかどうかは行ってみなければ分からない。

我々の真の研究というものはそういうものなのである。この複雑怪奇な無駄骨に終わりかねないような作業、過程、研究のスタイルは今の大学教育では学ばないものである。むしろ、19世紀以前の学者はそうしていたというものである。

まあ、私のやって来たことや今やっていることを比喩的にメモしてみたが、私自身はすでに現代科学の行き詰まりは、ガリレオ、マックスウェル、そしてカルノーまで遡らないと解決できないという、分けれ道の場所をはっきり理解したのである。そこまで引き返すことができたのはいいが、これから先が楽しみであると同時に、私にはあまり時間が残されていないのである。さすがにあと20年で全部は解決できないだろうなあ。まさしく「バック・ツー・ザ・フューチャー」である。
[PR]

  by KiKidoblog | 2012-03-20 16:42 | アイデア・雑多

<< 昔の映像が語る、TPP後の世界... 「マライア・キャリーの命が危な... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE