トゥーロン国際はひどかった!:「子供横綱問題」が見え隠れする!?
ほんとに猫の手も借りたいほど、ETの手も借りたいほどであるが、今のところその気配はない。
さて、今度はサッカーの話をメモしておこう。以下のものである。
J1大宮、鈴木監督を解任 岡本GMが監督代行
J1大宮は29日、成績不振を理由に、鈴木淳監督(50)の解任を発表した。当面は岡本武行ゼネラルマネジャー(44)が監督代行を務め、後任は決まり次第発表する。石井知幸ヘッドコーチ(49)も退団する。
鈴木監督は2010年4月に就任し、10年はJ1で12位、11年は13位に終わった。今季は4勝3分け6敗の15位と低迷し、26日には磐田に0―4で大敗した。同監督はクラブを通じ「期待に応えられず、チームを後にすることが非常に残念」とのコメントを出した。
このようにプロスポーツでは、結果がすべてである。お詫びや理屈ではない。成績が不振であれば、すぐに監督や代表者はその責任を取らなくてはならない。そうしなければ、クラブ自体の存亡に関わるからである。
ところが、日本の存亡に関わっているにもかかわらず、鳩山、小沢、菅直人、仙石、岡田、前原、枝野など誰一人責任を取らない。スポーツ界なら即刻解任である。
さて、同じように成績不振でありながら、まだ責任を取らないクラブも多々ある。ここ徳島の徳島ヴォルティスの小林監督

とU23オリンピック代表監督の関塚監督

である。
(あ)まずは、オリンピック代表監督の関塚監督に関して。
私は今回のトゥーロン国際の3試合のうち、後の2試合をリアルタイムで観たが、ひどいものだった。このチームは、「谷間の世代」と言われた、本田圭介の世代よりはずっと前評判が高く、逸材の世代だと考えられて来た。だから、どことやっても楽勝できる潜在的能力を持った黄金世代なのである。
ところが、どういうわけか、というか、いつの間にか関塚なる人物が監督になり、このチームはどうしようもない試合をするようになった。簡単に言えば、高校サッカーに毛が生えたようなサッカーである。
このチームを論じることは、日本のJリーグとJユースができてからの問題を見るということができるのである。1993年にJリーグができて約20年。はじめの頃と今では明らかな傾向が出て来て久しいのである。サッカーに関心がない人、というより、サッカ−選手の育成に興味がない人は、あまり知らないだろうから、今回はこれをメモしておこう。
Jリーグ以前は、サッカー選手になってもサラリーマン兼サッカー選手の時代である。また土のグランドであり、幼少期からサッカーをする環境にはなかった。しかし、40年前の子供たちが現代の子供たちより平均体力や基礎体力が勝っていたように、一般人には今の選手の方が身体能力があってサッカーがうまかったかのように感じていると思うが、むしろ現実は逆だったのである。50m走では、昔の子供の方が1秒も速い。
こういう時代に好きこそ物の上手なれでサッカーをやったのが、我々の世代である。釜本選手の太もも回りは70cmとも65cmとも言われていたのである。私でも高校時代58cmはあった。今でも普通の高校サッカー選手たちより私の足の方が太い。胸囲は106cmある。高校時代は92cmだった。
こういう我々の世代が地道にサッカーを続けて行くうちに、1993年にJリーグが開幕した。この頃はまだJユースは誕生したばかりで、「サッカー100年構想」に基づいた育成法ではじめて、あまりまだ勝敗にこだわらなかった。サッカーの基本技術の方が先で、Jユースは他の幾多の民間人のサッカー倶楽部とは違うのだということを見せつけることが目的だったのである。それゆえ、この時代のユースあがりには結構良い選手が育ったのである。
しかし、すぐにそれから変化し、勝負にこだわるようになった。というのは、だんだん良い選手が集まるようになり、それまでの小中高サッカーの試合に参加するようになると、曲がりなりにもプロサッカーの下部組織だという、内外の圧力から、試合に勝つことが優先される時期になったのである。
こうなると、チームとしては即戦力を取るという方向に進む。したがって、それまでは、小粒であろうが、足がのろかろうが、将来的な面を観て選手集めしていたものが、その頃から、今度は、身体が大きく、足が速い選手などを集めるようになったのである。言い換えると、その年齢の中では、かなり肉体的に早熟の選手や生まれつき大きな選手を選ぶ傾向が生まれたのである。
そうするとどうなるか? 大柄の相撲選手や柔道選手が小柄な選手を簡単に投げ飛ばせるように、早熟ですでにある程度からだが大人になっている選手や大柄で足の速い選手たちは、ちょっと走ればすぐにボ−ルに追いつき、得点できる。だから、そういう大きく俊足の選手を集めれば、小学校ではまず負けることがないのである。
中学に入っても、身体が大きな選手たちを集め、各学校の優秀選手を集めた選抜チームのようなJユースのチームは、普通の学校のチームと対戦しても難無く、危なげなく勝つのである。
問題はここにある。
要するに、Jユースの選手たちは、死にものぐるいでプレーしたり、自分の技術以上の正確性でプレーしたり、身体を張った命がけのプレーをしなくとも、適当にプレーすれば、相手チームに勝てるのである。つまり、いい加減なサッカーでも簡単に勝つ。負けないのである。
私はヴォルティスユースの試合を何度も観たが、本当に一生懸命に走り回っている姿を見たことがない。我々の時代は、試合が終わると、1時間くらい記憶が飛んだ。大相撲の関取が試合直後に何も言えないのといっしょで、人間死にものぐるいでやると、しばらく記憶が飛ぶのである。そして、時間が経つにつれ、徐々に記憶が蘇る。
私は試合直後の高校サッカー選手たちによく話しかける。すると、大半の選手はすぐに試合の状況を話すことができるのである。最初は驚いたが、その理由がこれである。彼らは本気では戦っていない。
Jユースに対抗するために、しばらくして日本の高校サッカー部に「指定校制度」というものが誕生した。Jユースの選手もこれで高校サッカーに入ることができるようになった。すると、今度は、各地方の公立市立私立を問わず、いわゆる「強豪校」というものが誕生するようになったのである。
こうなると、今までの普通の高校サッカーが、これまたJユースの試合のように、格差社会に組み込まれることになったのである。したがって、どの高校へ進学するかによって、ほぼ将来的にどの程度のサッカーレベルに至るかが固定されてしまったのである。
その結果として、Jユースで起こったのと同じことが高校サッカーでも起こったのである。トップレベルのチームは、いわゆるプリンスリーグに所属し、それ以下のチームは県内のリーグに所属する。プリンスチームには、早熟で、身体的に恵まれ、俊足で技術も高い選手たちが集まる。だから、たいていの試合で負けることがない。こうなると、多少技術的に問題のある癖を持とうが、基本を忘れていようが、戦術を無視しようが、何をしようが試合には結局勝つのである。
これが今の高校サッカーである。
私は自分の息子がいた公立の2チームや他の高校のサッカー選手のプレーをずっと観て来たが、7年前には阿南高専のサッカー部を指導したが、誰一人、私のようにさまざまなキックを正確にできるものはいなかった。
シュートでは足の甲を伸ばす。インステップはまっすぐに走って蹴る。ボレーは身体を倒す。胸トラップは胸に乗せるようにする。スライディングタックルは外足でする。ウィングプレー、マークの仕方、GKの位置取りやキャッチの鉄則。ほとんど何も知らなかったし、できていなかったのである。
これは小中の指導者が徳島という田舎の指導者だから悪いんだという見方もあり得るが、同じ傾向は、今度のヴォルティスにもオリンピック代表にも見て取れるのである。日本代表の右サイドバックの内田選手が、ことある度に相手DFにセンタリングをぶつける。何度も同じことを繰り返す。学習しない。同じことを2、3度繰り返す選手は単なる馬鹿である。日本代表にもそんな選手が多数いる。
それはどうしてそうなったかといえば、内田選手が早熟だったからである。子供の頃から比較的長身ハンサムで、足が俊足だったからである。だから技術的にはたいしたことがなくとも、他の普通の選手たちよりは秀でることになったのである。そういうものを優秀と見るJユースの監督コーチ(典型は、解説者の山本昌邦のような輩である)が、内田選手のようなタイプを欲しがるのである。
今度の関塚監督もこのタイプである。だから、今回のオリンピック代表の選手たちは、これまでとは違い、身体がでかいものが多い。指宿選手は194cm。宇佐見選手は178cm
トゥーロン国際大会(5/23〜6/1) メンバー
【選 手】氏名生年月日身長体重所属
GK
1 増田卓也 1989.06.29 184cm83kg サンフレッチェ広島
18 安藤駿介 1990.08.10 185cm79kg 川崎フロンターレ
DF
5比嘉祐介 1989.05.15 168cm68kg 横浜F・マリノス
14大岩一貴 1989.08.17 182cm77kg ジェフユナイテッド千葉
8山村和也1989.12.02 184cm75kg 鹿島アントラーズ
13鈴木大輔 1990.01.29 181cm78kg アルビレックス新潟
4吉田豊 1990.02.17 168cm66kg 清水エスパルス
12濱田水輝 1990.05.18 185cm80kg 浦和レッズ
2酒井高徳 1991.03.14 176cm74kg シュツットガルト(ドイツ)
MF
6山本康裕 1989.10.29 177cm76kg ジュビロ磐田
16村松大輔 1989.10.29 177cm76kg 清水エスパルス
11水沼宏太 1990.02.22 176cm70kg サガン鳥栖
10東慶悟 1990.07.20 178cm69kg 大宮アルディージャ
3扇原貴宏 1991.10.05 183cm72kg セレッソ大阪
19宇佐美貴史 1992.05.06 178cm69kg バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
20高木善朗 1992.12.09 167cm67kg ユトレヒト(オランダ)
FW
7大津祐樹 1990.03.24 180cm73kg メンヘングラッドバッハ(ドイツ)
15齋藤学 1990.04.04 169cm64kg 横浜F・マリノス
9大迫勇也1990.05.18 182cm70kg 鹿島アントラーズ
17指宿洋史1991.02.27 194cm80kg セビージャ・アトレティコ(スペイン)
にもかかわらず、この日本代表は、この大会で良いところなく予選敗退した。たったの8チーム参加の大会で予選リーグで敗退である。この倍から4倍の大会ならまず予選敗退しかあり得ないのである。
この理由がなぜか?は、もう分かったことだろう。
要するに、ここにいる選手たちは、これまでの育成時代のどの時代においても本気で戦った経験というものがないということが原因だったのである。適当に遊ぶようにプレーしても、相手は小粒で鈍足のヘタクソ選手。こういう中で「子供横綱」のようにプレーして来たのである。だから、技術的にうまくならない。いつも切羽詰まった状態で必死に考えながら全力プレーしなければ、技術は上達しない。
ちょうどこの例の正反対が、なでしこジャパンなのである。今のなでしこジャパンの女子選手たちは、「男の子たちのチーム」で練習して育った選手たちである。非力でスピードも劣る。筋力走力にも劣る。そういうハンデキャップの中で必死に男の子たちに負けないように、何度も悔し涙を流しながら練習した選手たちである。澤選手、大野選手、宮間選手などみなそうである。そうしてきちんとしたボールキープの仕方や緻密なプレーを身につけながら、高校では、常盤木学園などの良い指導者のいる高校で練習して今があるというわけである。
私はこの日本の男子サッカーのプレーをいつも柔道に例えることにしている。これは故柘植俊一博士が「反秀才論」

に書いていたことである。柘植先生の道場から、今回48kg級のオリンピック代表の福見友子選手が誕生したのである。
柘植先生は、いつも外国大会無敗記録の山下泰裕選手を例にとった。山下選手は早熟の大柄の選手であった。だから、普通にやれば、日本国内ではだれにも負けることがなかった。だから、大きな選手にありがちの大味の雑な柔道でも負けることはなかった。しかしながら、山下選手の指導者であった監督が、いくら日本国内では大柄で得をしたとしても海外ではもっとみな大きくなる。お前は小粒の方に入る。そんなお前は柔道の基本に忠実な柔道を身につけなくてならない。だから、奥襟をつかむよりは、胸襟を基本通りにつかみ、大外刈りや内掛けや体落としや寝技などの細かい技を身につけなくてならない。というように諭したというのである。体重で押し倒すのではなく、技で倒す。その結果、海外の国際試合で生涯無敗という前人未到の大記録を打ち立てたのである。これを評して、「子供横綱は本当の横綱にはなれない」と言ったのである。
私は日本の男子サッカーも同じように見えるということである。サッカーの「子供横綱」のような粗雑なプレーや手抜きプレーでも子供時代、日本国内では勝てる。日本なら100m11秒なら大俊足である。だれも追いつけない。ところが、海外ではそうではない。100m10秒台もいる。2mを超える巨大選手がいる。自分の身体の大きさやスピードだけに頼るサッカーではもはや海外に通用しないのである。適当にゴールめがけてシュートしても、国内ではちっこいキーパー鈍いキーパーがいるからゴールできるが、海外ではみな190cm以上の巨大なキーパーがいる。ゴールの隅を見事に狙わない限り得点はできない。
だから、国内ではいくら早熟で大柄で俊足な選手であったとしても、柔道の山下選手のように、やはりサッカーの基本に忠実な正確な細かいプレーを日本人は身につける他はないのである。
にもかかわらず、関塚監督や小林監督は一世代前のJユースの時代のままでサッカーをみているのである。これでは勝てないし、世界にも通用しない。
もっと基本に忠実で堅実なプレーをする選手を日本代表に呼ぶべきである。
さて、さらに厳しいことを追加すると、実はサッカー選手には、2種類いる。そいつが入るとムードが良くなりなぜか分からないが最後には勝っているというタイプ、もう一つは、そいつは結構活躍するのだが、最終的には試合に負け、予選敗退する。
前者の代表が香川選手であり、後者の代表が宇佐見選手である。そして前者のタイプをラッキーボーイ、後者のタイプを「厄病神」とか「爆弾」と呼ぶ。
この差は何か? どこから来るか?
実は技術以上にこの問題の方が大事であり、深刻なのである。
私は宇佐見選手のかなり前からいろいろな大会をみてきているが、この選手が入った大会でいい成績を収めたことは一度もない。すべて敗退である。なぜか? 彼のメンタリティーに問題があるからである。
ある選手がシュートする、それがゴールのバーやポストに当たって跳ね返る。それがゴールの中に入るか、外にはじかれるか、これは一瞬の運不運だと普通の人は見るだろう。しかし、私はそうは見ない。数十年のサッカーを観て来た経験から、これこそメンタリティーの問題、「心がけの問題」なのである。
簡単に言えば、香川選手は心がけが良いが、宇佐見選手は心がけが悪いということである。いくら技術的にうまくとも、心がけの悪い選手を集めては試合には勝てない。今回のオリンピック代表は顔つきからして、心がけの悪そうな連中ばかりである。どこにも宮市亮選手のような顔つきのものがいない。簡単に言えば、不良の集まりなのである。裏がありそうなジャークな雰囲気の選手が多いのである。
具体的に言えば、エジプト戦で、前半の宇佐見の5mのシュートが入っていれば、おそらく4−0で勝利したはずである。あそこでポストにぶつけたために、徐々にムードが悪くなり、つまらんファールで今度は相手の5mフリーキックを与えて失点したのである。そしてますますムードが悪くなり、DFが精神的に弱気になり、一番でかいDFが普通のヘッドでクリアすれば何も問題なかったところを謎のスルーしてサンキュウゴール。八百長ですか?と言いたくなるようなプレーであった。だいたい日本人選手で身体に入れ墨を入れるような選手は排除すべきなのである。
シュートを外す度に、大げさなリアクションをして、「クソー」とかいう宇佐見選手や齊藤選手のバカ面はみたくない。そんなエネルギーがあるのなら、最初からもっと集中すればいいだけのことであろう。高木選手のシュートもつまらないシュートだった。日本国内ならあれでも入る。しかし、国外では無理。高木と宇佐見のシュートが入っていれば、楽勝だったのが、彼らのせいで、負けたのである。宇佐見とはそういう選手である。彼を入れている限り日本は勝てないだろう。本人が自分のメンタリティーを改善しない限り、これ以上の成長はないはずである。昔の澤選手のようなものである。試合後のインタビューを聞いた限りでは、本人はまったく分かっていないようでしたナ。「自分としては活躍した」ように言っていた。なぜなら2点取ったから。しかし、最初に3回のチャンスをミスしたのをお忘れか。相手より先に2点取るのと、後から2点取るのとではまったく意味が違うのだヨ。
実は日本の男女バレーと男女バスケットにも日本男子サッカーと同じ問題が潜むのである。国内の大柄の男女はらくらくプレーできる。必死でなくても活躍できる。だからいつしか手を抜くようになるのである。
まあ、そういうわけで、オリンピック代表は今のままでは確実に予選敗退。3連敗だろう。
(い)さて、一方の徳島ヴォルティスの場合。
これまたひどい。昨年最後の2試合で3位から4位へ転落してJ1昇格を失った。そのチームが大幅に補強したにも関わらず、下からから数えた方が早い位置にいる。普通なら、即監督解任である。なぜなら、もうこれほど試合に負ければ、J1昇格は年内にはないからである。もちろん来年もない。リーグは観客が減り、赤字経営になる。ヴォルティスがなぜこれほどひどくても赤字にならないかといえば、鳴門に本拠地を置くからである。地元の鳴門の大塚製薬が援助しているからである。応援団の大半は鳴門の人々である。徳島ヴォルティスなどと徳島を付けて大義銘文のようにしているが、実際上は鳴門大塚ヴォルティスなのである。
私は最初からこれが大嫌いであった。せっかく徳島県にJリーグが誕生したのだから、徳島県の中央の徳島市の陸上競技場あたりか、徳島市内のど真ん中にある田宮陸上競技場を本拠地にして、そこを改修工事すれば、県全体から観に行くことができるはずであったが、大塚製薬の社内敷地に運営会社を作ったために、わざわざ県南や県西部からは1時間〜2時間以上もかけて試合を観に行ったり、高校生は試合にいかなくてはならなくなったのである。大塚製薬の責任は重い。このボケ会社が!ちなみに、もともと大塚製薬という会社が、日本リーグ2部の強豪でいつでもJリーグ参戦できるチームであったものを、さまざまな妨害工作してJリーグ参加を遅らせたのであった。それを今の飯泉知事が何とか大塚製薬サッカー部をJリーグに参加させることを公約に県知事に当選できたのである。もし大塚製薬が野球(つまり巨人)に肩入れせず、サッカーに協力的であれば、もっと早い段階から徳島県民はその恩恵を得られたはずなのである。まさに地方の悪代官のような企業であった。
そんなわけだから、Jリーグの下部組織といえども、弱小チームのユースには良い選手は来たがらない。なぜなら、「サッカー推薦」なるものが大学にできたからである。弱いチームにいてもサッカー推薦枠は得られない。そうなると、しょうがないから、公立の強豪校へ入る。今では徳島市立、徳島商業、鳴門、徳島北、富岡東などである。さもなくば、大学サッカーに進学できない。プロの道も弱小ヴォルティスのユース選手など取ってくれない。にもかかわらず、ヴォルティスのトップチームはユースでせっかくお金をかけて育成した選手をプロにしない。こんな状況なのである。
これではいい結果が生まれない。
下部組織からどんどん無名選手でもプロで使う。高校生でもプロチームに入れてやる。こういう雰囲気から次世代が生まれるのである。これが噂を呼び、ヴォルティスに入れば、プロになれるという子供たちへの希望を生む。
ところが実際は逆である。ここ阿南は、岩浅市長が自分勝手に「野球の町阿南」などと言い出してしまったほどである。独裁者のようなものである。我々市民には一言もなかった。勝手に野球の町を宣言し、勝手に野球場を作り、勝手に運営しているのである。かなりのお金が裏で動いたに違いない。
私は「県南サッカーに革命を!」のキャッチフレーズで、「サッカー不毛の地」と呼ばれて久しいこの県南をなんとかしてサッカーのトップレベルに近づけようと、私の息子の世代をターゲットに子供の幼稚園時代から、いろいろ子供たちに手ほどきして、小中高と息子のサッカー部の仲間やコーチや監督たちと協力して、長男は戦後初の県ベスト8を2回、次男は戦後何十年か振りの県準優勝になったのである。私が彼らが幼稚園の時に毎日の送り迎えの時、そこでボールリフティングをそれとなく実演し、野球よりはサッカーを選ばせ、小学校では授業参観の度に中庭でリフティングし、小学生にサッカーの妙技を見せたものである。6、7年間そうしたのである。結果として小中高でサッカー部を選んだものが相当出たのである。今はそういう子供たちが大学サッカーの時代になり、卒業してここ徳島県南の高校や中学の先生になって戻り、再びサッカーの指導者になって「県南サッカーに革命を!」を実現してくれる日を待ち望んでいるという状態なのである。
ところで、徳島では、サッカーだけではないが、スポーツ教育でもっとも弊害となっているのは、何を隠そう、県教育委員会なのである。おそらく教育委員長は2、3年で代わるから、実質的な障害となるのは、おそらくそこの万年職員の事務方だろうと想像している。そこに老名主のようになって画策する馬鹿者が居るらしい。
2年前ここ阿南の公立校の富岡東高校サッカー部が高校サッカー選手権で何十年か振りで決勝進出した。私の次男が入っていたチームである。これで勝てば56年振りの優勝という快挙であった。結果は6−1で徳商に負けたのだが、このチームは大半が2年生チームだったために、その翌年の優勝が期待できる好チームであった。監督も円熟してやっとこれまでの努力が実り、もう1年というところであった。
ところが、どういうわけか、何の前触れもなく、その監督は教育委員会勤務となり、それまでまったくサッカー指導どころか、教員経験もないまったくのド素人の20代前半の若い教員がサッカー部監督になったのである。さすがにこれには皆驚いたが、この監督のおかげで、チームは崩壊。高校総体も選手権も良いところなく敗退してしまったのである。
一方、長男がいたチームは監督はいなくなり、阿南のライバル校の小松島にも良い監督がいたが、その監督も他へ移動となったのである。この1年で県南の優良サッカー部の監督が一掃されてしまったというわけである。これでは「県南サッカーに革命を!」は起せない。
私はこの理由是非知りたい。教育委員会の人はできれば私に手紙を欲しいところである。なぜなら、私が県南でこの10数年間やって来たことがすべてパーになったからである。
とまあ、こんなわけだから、残念ながら、徳島の教育委員会には魔物が棲む。相当に悪がいる。同様に、どうも徳島県サッカー協会にも相当な変なものがいる。そのお陰で、長男のループシュートがルール外の方法で取り消しになったのである。日本のマスゴミはどうしてこういうものをレポートしないんだろうか? 前から不思議に思っていたが、まあマスゴミはパチンコマネー、電通マネーでしか動かない。そういう世界だからですナ。
いやはや、困った世の中である。サッカー界も20年も続けば膿も出る。屁も出る。糞も出る。いずれにせよ、「子供横綱メンタリティー」は日本のスポーツにとっては「百害あって一利なし」のようですナ。
by Kikidoblog | 2012-05-29 19:04 | サッカー&スポーツ