アメリカ、テキサス州、ラレドで「三角UFO」撮影された!:「地球製UFO」だナ!
次はこれ。いわゆる「三角UFO」である。これがアメリカ、テキサス州、ラレドという場所で見事に撮影されたというYouTube番組である。以下のものである。
Triangle UFO Laredo, Texas
これが、一般に「地球製UFO」の代表と考えられているものである。
大分前にここで
「エイリアン工学」はすでに実用化している!にメモしておいたものである。
まだ初期のモデルはこんなやつであった。ステルスに毛が生えたレベルである。
それから大分進歩して、次のものへと発展したと考えられている。
(7)TR3-B ”アストラ(宇宙)”(ロッキード-マーチン&ボーイング製)
大事な点は、ちゃんと米軍産複合体お抱えの民間会社が製作していることである。国でやると問題が生じるから、うまく何かの時には責任逃れできるように、民間がやるのである。
今回のテキサスのUFOは、どうやらこの「TR3-B ”アストラ(宇宙)”」のものの可能性が高い。すでに地球人(NWOイルミナティー)の科学技術はここまで進歩しているのである。
こういう方向への科学技術の進歩から目を逸らせるための、「表の科学技術」の代表格が、最近「ヒッグス粒子発見」で騒いでいる欧州CERNであり、彼らのいう「標準理論」というものである。
科学というのは、いつの時代も「標準を打ち破る」ものが科学の一大モニュメントであった。それが科学の最大の醍醐味のはずである。だから、ソクラテスやアルキメデスの時代から科学者はいつも時代の権威に煙たがられて逮捕や収監、毒殺や死刑や火あぶりされたものである。「真実や真理は曲げることはできない。命よりも真実の方が大事なのだ」というのが、偉大な科学者たちの主張だったのである。
それが、いつしか”だれかに”飼いならされて、「標準理論」や「標準的概念やアイデア」にとらわれるようになったのである。いまでは、ある科学者が主流の「標準的考え」に従わなければ、まるでその科学者がキチガイであるかのような扱いするまでになったのである。それどころか、いじめや排除までするほどである。まさに科学者が一種の「思想警察化」しているのである。
物理学にはあまり一般人には理解されていない考え方がある。それは
「数式が同じなら、物理は同じ」
というものである。ある現象がまったく別々の現象のものであったとしても、それらが数学的に等価な数式で記述された場合には、得られる結果としての物理学的な内容も同じである、という意味である。
だから、例えば、今騒いでいる「ヒッグスボゾン粒子」の場合も、その発想は物性物理学における超伝導現象からの類推として拡張されたにすぎない数学的モデルを扱っているわけだから、上の鉄則に従えば、超伝導現象と似たものになる。
それゆえ、物性理論におけるさまざまな概念:ゴールドストーンの定理、対称性の破れ、超伝導、超流動、エネルギーギャップ、クーパー対、などなどが、そっくりそのまま素粒子物理学でも出て来て、それぞれの対応物が存在する、というわけである。なぜなら数式が同じだからである。アナロジー(類似)が効くのである。
しかしながら、それでうまくいくのは良いが、それだけでは本当の真理が捕まえられるとは限らない。厳しく言えば、新しいことが何もないからだ。こっちのものをあっちへ、あっちのものをこっちへ類似を使って転送しているだけであれば、それは、アメリカのものを日本へ、日本のものをアメリカへ移動して売っている商売人と大差はないからである。格差を使って商売しているにすぎないということである。
我々は真実を知りたい。もっと本質的に違うことを知りたいのである。別に「標準理論」でなくてもならなくてもいいわけだヨ。UFOがそこに飛び回っている以上、その本質を知りたいのだ。ヒッグス粒子など数式が予言しているのだから、出て来るのは当たり前。何兆円もの金をつぎ込む価値などはじめからない。それで商売したいやつのビジネスにすぎないと私はかねてから考えている。あるいは、兵器作りだろう。ヒッグスさんたちは喜ぶだろうが、それだけの話である。この世界には、他にもっとやるべきことがあるのである。
まあ、ついでに書いておくと、よく素粒子の人たちは、「宇宙開闢(ビッグバン)、そして、素粒子が誕生、そして物質が誕生、そして銀河が誕生、そして恒星や惑星が誕生、そして生命が誕生」というようなシナリオを語る。そしてそれをありがたがる。そのトップスターがいまではホーキング博士である。このシナリオは、素粒子科学者を一番根源的なものに変える絶妙のトリックの1つである。なぜなら、これは、物理学や科学の序列を暗に決めているのである。より根本的なものほどより大事なのだという暗黙の了解を要求するのである。
しかし、これは間違っている。実に巧妙なレトリックというものだろうと私は考える。なぜなら、我々生物、特に、知的生命体としての人間が存在しなかったなら、このシナリオがそもそも描かれることが無かったからである。
この大矛盾を取り除くために、素粒子物理学者たちはいわゆる「人間原理」という考え方を苦肉の策として発明せざるを得なかったのである。これは、「この宇宙はそういうことのできる人間を誕生させるように進化した。さもなくば、我々はここにいない。」という考え方である。ここに完全に一種のウロボロス的な自己撞着な世界が生まれたわけである。
なぜこのようになるかといえば、もともとの基本的な考え方に誤りがあったからであると私は考える。それすなわち、この宇宙において最初にできたものほど重要なのだ。最初のものがなければ後はないからだ、という見方が誤りだということである。
私の見方では、この宇宙には物質とともに実は物質以上に大事な側面がある。それは物質同士を作用させるために必須となる「仕組み」の世界である。今現在でこれに一番近いのが「ネットワーク」という考え方だが、必ずしもこれでうまく行く訳ではない。つまり、ものともの、要素と要素の複雑な絡まり合いとそれらの変化を記述するための「ソフトの世界」に実はこの宇宙の本質があるのだという考え方である。
MacBookもソフトがなければただの物質の集まりにすぎない。
(昔は、コンピュータもソフトが無ければただの箱と言った。)
物質だけがあっても何も生まれないのだということをこれは言っている。脳みそがあってもそこにそれを使いこなすソフトが入っていなければ(つまり、魂が入っていなければ)脳は機能しないのである。宇宙とて例外ではないはずである。
単に物質が誕生するだけでは、この宇宙は動けない。そこに宇宙法則という情報が必要となるわけである。この宇宙が宇宙たるためにはそれなりの仕組み、情報、法則、こういった何がしかのソフト的なものが必要となるはずなのである。しかしながら、素粒子物理学者はそういうことは人間がやるものだと考える。だから、結局おばかな「人間原理」に陥るのである。
むしろ、我々人間がやって、我々がこうしてうまく生きているのと同じような仕組みで宇宙が成り立つと考える方が、「人間原理」よりは自然なのである。ならば、素粒子だけが最も深淵な学問だなどということはできない相談なのである。もしそういいたいというのであれば、素粒子学者たちの傲慢であろう。すべてには物質的側面と非物質的側面の両者が存在し、それらが巧妙にうまく作用し合って「生きる」という状態を作るからである。
まあ、そんなわけで、私は素粒子物理学者の考え方が大嫌いなのである(素粒子学者を嫌いという意味ではない)。
ちょっと余計なことをメモしすぎたが、我々の科学は非常にカルト的になってきているということは分かっていただけだだろうと思う。(俗に「還元論主義的カルト」というものだが。実際、私自身、ずっとこの世界にどっぷり浸って青年期の物理教育を受けたために、このカルトの洗脳から脱出するのに20数年を要したのである。)
by Kikidoblog | 2012-07-22 13:05 | 反重力・UFO