「少年よ、大志をいだけ!」の謎:クラーク博士の精神の遍歴
ロンドン五輪も終わり、まだその熱も冷めやらぬうちは、「少年少女よ、金メダルを目指せ」とか、「少年よ、大志を抱け」精神が残っているに違いない。そこで、もう8年ほど昔になるが、私の昔のブログ(Kikidoblog)にメモしたものを再掲しておこう。これは、「少年よ、大志を抱け」といったクラーク博士の言葉が、その後日本国内でどのように伝播していったか? そして我が母校である、甲府南高等学校の「校訓」の「フロンティア・スピリット」にどのように繋がっていったのかという謎をひも解いたものである。以下のものである。
おまけ:
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「少年よ、大志をいだけ!」の謎:クラーク博士の精神の遍歴
今日、私はかのクラーク博士にまつわる非常に興味深いことを発見したのでそれをここに紹介しておこう。
「少年よ、大志をいだけ!」、”ボーイズ・ビー・アンビシャス!”
という北海道大学の前身、札幌農学校におけるウィリアム・S・クラーク博士
の言葉はあまりに有名である。これが北海道の地の「開拓者精神」の象徴である。
今日たまたま見たテレビ番組「北海道遺産物語」というもので、中村幸代さんの音楽に竹中直人さんのナレーションでこのクラーク博士のお話をしていた。そしてその最後のところで、この「少年よ、大志をいだけ!」の後には実はもっと長いお話がついていたと言う。この番組は再放送だったようだが、以下のHPにさわりは残っている。
(1)「北海道大学 札幌農学校第2農場」
http://www.nttdocomo-h.co.jp/isan/backnumber/datas/12.html
そこで私はこのクラーク博士の言葉は本当にはどのようなものであったのか、インターネットで調べてみた。すると、実はこの言葉は非常に謎めいたものであるということが分ったのだ。
まず、以下のHPに行き当たった。
(2)「アムハースト」
http://www.pockyboston.com/amherst/amherst.html
(3)「楽しみは ならぬ大志で 凛とする」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mbear/Column/Column-123.html
「少年よ,大志を抱け,この老いぼれのように」
これらによると、クラーク博士の言葉、「少年よ、大志を抱け!」には少し尾ひれがついていて、”Boys be ambitious like this old man.”、「少年よ,大志を抱け,この老いぼれのように」であったが、最後の部分が削除されているということである。つまり、「少年よ、大志を抱け!」の後に”like this old man.”が抜け落ちていると言う。これを「この老いぼれのように」と訳すのはかなりどうかと思うが、「この老人のように」というのが抜け落ちたのだろう。すると、「少年よ,大志を抱け,この老人のように」であったということになる。
しかし、また別のHPもあった。
(4)「少年よキリストにあって大志を抱け!」
http://www2.ttcn.ne.jp/~grace/Boys%20be%20ambitious.htm
これによると、抜け落ちた部分はキリスト教に関する部分だと言う。そして元々は”Boys, be ambitious in Christ !”であったと言う。
また
(5)http://www.ok312.com/j2e/si.htm
には、
”Boys, be ambitious (for the attainment of all that a man ought to be)! ”
「少年よ、(人間の本分をなすべく)大志を抱け!」
とある。
実は、クラーク博士の言葉は本当にはどのようなものであったのかということは謎であり、あまり正確には分っていないようである。実に面白い話である。
そこで私はまた調べてみると、以下のHPに行き当たった。
(6)「Boys, be ambitious!が世に出るまで—その歴史的背景—」
http://www2.cubemagic.co.jp/hokudai/elm/elm/41/ooshima.html
これによると、
”He mounted again on horse back and taking rein in one hand, and a whip in the other looked back toward us, and called aloud: “Boys, be ambitious like this old man”. He gave one whip to his horse, and straightly went off.”
という一節があり、クラーク博士が教えた札幌農学校第1期生たちとのお別れの際に、この有名な言葉“Boys, be ambitious like this old man”を述べたとある。
そこでさらに調べると、この札幌農学校第1期生の中に大島正健
という人物がいたことが分った。そして、その人とクラーク博士の関係を描いた本というものがあるということが分った。この本が
(7)「大島正健 『クラーク先生とその弟子たち』大島正満 大島智夫 補訂 東京 教文館 1993」
というものである。
そこでこの大島正健という人物を調べてみると、
(8)「大島正健集」
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/oosima/
(9)「札幌農学校第1期生大島正健の入学許可辞令(明治9年7月)」
http://www.lib.hokudai.ac.jp/multihokudai/enkaku/material/m_08.html
が見つかり、確かに札幌農学校第1期生であったことが分った。この大島正健の他、一期生、二期生には内村鑑三、
(内村鑑三アーカイブより)
新渡戸稲造、
広井勇、
宮部金吾
らがいた。クリスチャンであったクラーク博士の薫陶を受けたこれらの人々もまた基本的にはクリスチャンであった。
さらに、
(10)「山梨県立甲府中学校教諭(給八級俸)野尻正英(抱影)」
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/NOJIRI.1.html
(11)「自我の叫び」
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/kigi_takatarou.01.html
というHPから、このクラーク博士の教え子であった大島正健氏は、明治33年頃北海道から山梨県甲府市に来て、およそ15年の間旧制甲府中学で校長を努めたことが分った。そして大正3年には離職している。この時代の学生の中に後の総理大臣になった石橋湛山
(12)http://www.waseda.ac.jp/koho/award/tanzan.html
がいたと言う。この石橋湛山はずっと「少年よ、大志をいだけ!」とクリスチャン思想などを心に刻み付けて、早稲田大学に進み、ジャーナリストになった。そして「積極財政論、反戦反軍思想、小日本主義思想」を基調にした論説で「野に石橋あり!」と言わしめたようである。
ちなみにこの甲府中学は私の父が出た学校でもあり、旧制甲府中学から旧制松本高校(信州大学の前身)に進むのが当時の秀才、英才たちの進路だった。現在この甲府一高
(13)http://www.kai.ed.jp/HSguide/2002/04-kofuichi.pdf)
の校訓というものを見てみると、そこにはこうあった。
「賛天地之化育」
〈天地の化育(自然が万物を作り育てること)を賛(たす)く〉
「苟日新 日日新 又日新」
〈苛(まこと)に日に新たに 日々に新たに 又日に新たなり〉
「Boys Be Ambitious 」
これに、クラーク博士の精神を見る思いがするのは私だけだろうか?「天地から万物を作り育てる」精神こそ、農学校の精神でもある。「日々新たにする」精神こそ、イエスキリストの精神であり、クリスチャンであったクラーク博士の精神である。そして、最後の言葉「Boys Be Ambitious」。これこそかの有名なクラーク博士の言葉そのものである。ただただ私は驚くばかりである。
さて、私は山梨甲府生まれで甲府育ちだが、私が出た甲府南高校の校訓
(14)http://www.kai.ed.jp/nanko/school_overview/
http://www.kofuminami-h.ed.jp/others/tayori/09002.pdf
というものがあった。それが「開拓者精神(フロンティアスピリット)」であった。私はそこの学生だった当時からなぜ自分の高校の校訓が「開拓者精神」なのか全く理解できなかった。それも山梨はすでにあらゆるところが開拓済みでおよそ人が住める場所には人が住んでいたからである。しかし、これでやっとその理由が分ったのである。つまりこういうことである。
現在、甲府南高は甲府一高とほぼ同レベルのいわゆる進学校だが、山梨には最初は進学校は旧制甲府中学からできた甲府一高しかなかった。だから山梨のインテリのほとんどが旧制甲府中学出身者たちであった。それが新設高校ができはじめた1960年代の1963年に山梨にもう一つの進学校として甲府南高ができた。
(15)http://www.kai.ed.jp/nanko/school_overview/enkaku.htm
実際1957年生まれの私は、そこの第11期生である。その新設の際に甲府一高から多くの先生たちがこの甲府南高校へ赴任したのだろう。そしてその時、校訓として選んだものが、彼らの慣れ親しんだ甲府中学の校訓であった。しかしさすがに全く同じものにすることはできなかったために、その精神だけを受け継いで「開拓者精神」としたのである。
そういうわけで、北海道の地とはまったく異なる山梨甲府という土地柄に生まれ育った私にもクラーク博士の精神は脈々と流れているのである。
最後に、番組ではクラーク博士の言葉をこう引用していた。
”Boys, be ambitious,
not for money,
not for selfish accomplishment,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for attainment of all that a man ought to be. ”
--William Clark
「少年よ大志を抱け。
金や自らの功績のためではなく、
いわゆる名声と呼ばれるはかない物のためではなく、
人が備えねばならない物を身につけるために、
大志を抱け。」
(16)「R-Quotes」
http://www.susono.com/~rinta/quotes.htm
by KiKidoblog | 2012-08-17 12:25 | 昔の拙ブログ・記事