”影の総理”勝栄二郎を影で操った人物:「君には辞めてもらう」、”裏総理”長岡實!?
「影の総理大臣」、「官僚の中の官僚」、「勝海舟の子孫」と呼ばれた男、勝栄二郎事務次官が任期を1年延長して退任したというニュースがあった。
勝栄二郎・財務事務次官退任へ 後任、真砂主計局長が軸
財務省の勝栄二郎・事務次官(62)
が近く退任する方向となった。後任次官について財務省は、真砂(まなご)靖・主計局長(58)の昇格を軸に調整している。消費増税法が10日に成立したことから、来年度の予算編成に向け、省内の態勢をあらためる。
勝氏は1975年に旧大蔵省(現財務省)に入り、官房長や主計局長を経て、10年7月に事務次官に就いた。政界や財界に幅広い人脈を持つ実力者として知られている。
安住淳財務相は首相官邸と、後任人事の調整に入っている。財務省は、8月中旬にも人事を決める方向で調整している。
この勝栄二郎は、
「本当の総理」勝栄二郎の高笑いが聞こえる キャリア官僚匿名座談会 〜急がれる官僚の”可視化”〜
なんじゃー、こりゃー2:「放射能、みんなで被れば怖くない!?」本気か!?
でメモした官僚である。土壌汚染野田内閣の実質上の総理大臣と目された人物と見なされていた。だから、この人物は野田内閣の間はその職に留まると思われていたのである。
ところが、少し前にこんな謎めいた記事が出たのである。
財務事務次官が退任へ!背後に長岡實氏 2012.07.24
もちろん、次官退任の判断は勝氏自身によるものだ。が、氏の背中を押した人物がいたのである。
その人物とは、旧大蔵省退官後、日本たばこ(JT)初代社長、東京証券取引所理事長、国家公安委員会委員を歴任した長岡實元大蔵事務次官(47年)
である。一時期、健康を害したと伝えられた長岡氏だが、現在は回復し意気軒高だという。88歳である。
数多くいる旧大蔵事務次官経験者の中でも、同氏はいまなお「大蔵OBのドン」の地位にいる伝説的な人物である。「ドン」とは、大蔵省の強大な権力と情報力、あらゆる政治・経済分野に張りめぐらされたOB人脈を基盤に、全大蔵の求心力となる存在を指した。
一例を挙げる。94年春、大蔵事務次官OBにとって別格の重みを持つポストの日銀総裁と東証理事長の後継人事が最大の焦点となった。
下馬評に上がったのは、当時の山口光秀日本輸出入銀行総裁(51年)、吉野吉彦日本開発銀行総裁(55年)、松下康雄さくら銀行(現三井住友銀行)相談役(50年)、平沢貞昭国民金融公庫総裁(57年)の4人。
当時の斉藤次郎大蔵事務次官(59年)
は「10年来の大物次官」と言われた。斎藤氏ら現役組は日銀総裁に吉野氏を推したが、当時、東証理事長だった長岡氏が三重野康総裁
と謀って松下氏を日銀総裁、山口氏を東証理事長に決めた。
あれから18年。今回もまた「ドン」長岡氏が登場したのだ。
勝次官に対し、「君は本当によくやってくれた。これで退いてもらう」と言ったというのである。
民主党政権下の政治の世界でも、野中広務元官房長官の存在が見え隠れする。同氏は長岡氏の1歳下の87歳。まさに老人パワー、恐るべし。(ジャーナリスト・歳川隆雄)
この記事が出たのが7月24日だったが、私は本当にそんなことが起こるのだろうかとずっと観察していたのである。そして、8月11日に最初にあげた勝栄二郎事務次官退任のニュースが出たというわけである。
いやはや、影の総理大臣をその裏で操る歴代の官僚たちがいるというわけである。
いったいこの権力はどこから来るのだろうか?
引退した官僚にそんな権限や力がどうして存在するのだろうか?
実に謎めいている。
「消費税増税法案」を成立させたら、一件落着。「ご苦労さん、君はこれにて用済みだ」というのである。これが俗にいう「官僚人事」というやつである。
ところで、日本の国立大学の人事もこんなものである。どこか(たいがいは東大)にお偉い教授がいて、その人物が文部省(今は文科省)と組んで、だれそれはどこそこの大学へ行けというような人事を行うのである。いわゆる公募はダミー(目くらまし)である。
特に、全国に55ほどある高専の校長の人事などその典型だ。官僚が大学に打診して、大学を定年退職する学者を大学派閥の系列に応じて配属するのである。だから、我々一般人の入る隙間はない。それでいて、教授クラスになると、年収は軽く1000万円を超える。月収百万を超えるのである。
ちょっと良い仕事をすると、つまり、ちょっと海外から名を知られるような研究をすると、引く手あまたとなり、東大京大などを自由に行き来できるようになるのである。兼務や兼任や客員自由自在だ。その度に各大学から給料が入る。うれしい悲鳴であろうヨ。本当に羨ましい限りのご身分となる。
しかも論文たったの1本の出版に要する研究費の平均が1800万円。年に5本も論文を出せば、1億円もかかる。
そして、いつしか立派な「御用学者」に育って行くというわけですナ。
いったい何人研究者がいると思っているのか? これでは国家財政が破綻するのは当たり前である。「野に下れ」。「ゼロからの出発をせよ」、というわけである。
いやはや、世も末である。
by KiKidoblog | 2012-08-21 11:17 | コンスピラシー