中村誠太郎博士の”夢”:中間子で原子核変換させる!
いやはや、私個人は再びETの手も借りたいほどに忙しくなってきているのだが、そんな1つに「中間子」(「中性子」じゃないことに注意)の問題がある。というのは、ひょっとしたら、放射能問題の鍵はこの「中間子」にあるのではないかという確信を得たからである。
さて、この「中間子」はだれが発見したか? 誰だと思う?
これを知らなかったとしたら、あなたは在日か朝鮮人だ。日本人としてはお恥ずかしい限りである。(テレビを使って日本を侮辱 TBSテレビ 「イカさまタコさま」)
もちろん、これを予言したのがかの湯川秀樹博士である。そして、その仲間や門下生たちが、実は「中間子には2種類ある」という「二中間子論」を完成させて、その表彰も含めて湯川博士がノーベル物理学賞をもらったのであった。
このあたりの時期は、まだ世界には原子炉はシカゴ大学に1機あっただけだった。エンリコ・フェルミ博士が世界初で作ったものである。
だから、この時代を研究し直すと、世界はこうあるべきだったかもしれないなあということが少し分かるようになる。
この時代には核爆弾はたくさんできつつあったが、まだ原発はほとんどなかったのである。それが米ソ冷戦構造の名の下にどんどん原発+原爆が製造されて行ったというわけである。
そこで、私が知りたかったのは、湯川秀樹博士とその仲間たちはその当時原子力に関してどのように考えていたのか?ということであった。
そこで、こんな本を図書館で見つけて読んでみたのである。
私の歩んだ道―湯川中間子とともに
中間子の話 (1977年)
湯川秀樹と朝永振一郎(70円)
この著者でおられる中村誠太郎博士
(中村誠太郎博士は、中間子による癌治療について終世研究していたのである。また、東海大学はこの人のおかげで誕生し、大阪市立大は朝永湯川のお弟子さんたちのために誕生したのである。)
は、湯川秀樹博士と朝永振一郎博士の両方からそして朝永振一郎博士の師であるハイゼンベルグ博士からも学んだという伝説的理論物理学者である。
またついでに付け加えれば、最近やっとノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士もまた、この時期に朝永振一郎博士や湯川秀樹博士の2つのグループの間で刺激を受けて渡米してアメリカ人になった理論物理学者であった。だから南部博士の物理観には東大、京大、阪大、大阪市立のいいところが全部結実しているとすらいえるのである。
さて、私が非常に意味深だと感じたのは、これらの著書の一節に
「原子核に中間子をあてると原子核変換できる」
というくだりを見つけたことである。
中間子とは何か?
これは原子核の中で陽子と中性子を結びつけている、にかわのような粒子のことである。電子と陽電子を結びつける電磁波の粒子(光子)のように、陽子と中性子を結びつける結合粒子のことである。俗にいう「強い力」とは、中間子(メソン)がもたらすものである。
ある時期、中村誠太郎博士は、原子核に中間子をぶつけるという実験に興味を惹かれたそうである。原子核に中間子をぶちあてれば、放射性の原子核も普通の安定な原子核に核変換を起すのではないか?と考えたそうである。
そこでその実験を行うべき装置作りに奔走したが、あまりに高エネルギーの装置のため、装置が大きくなりすぎて実現できなかったというのである。
いったい何十年前の話だろうか?
おそらく、40年ほど前の話である。
そこで、もし今現在のハイテクを使って、中間子製造機を作ったとしたらどんなものになるだろうか?
というのが、私が興味を感じたところである。
福島原発の横や近辺に中間子製造機のベータトロンを作る。そこでどんどん中間子ビームを発射する。そのビームの下に放射性廃棄物や放射性瓦礫をどんどん通過させる。どうなるか?
無害化できるか? 中性化できるだろうか?
これを知りたいのである。
放射性原子核は中間子を食って無害の原子核に変化できる。
これは現実の物理学の教えなのである。
ぜひ日本政府はお試しすべきでしょうナア。
おっといけねー、おれはもう東大や東電の学者の助けはしないと決めたのだったヨ。
by KiKidoblog | 2012-09-10 16:15 | 放射能防御除去