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ドゥンガ「こういう状況の時には、与えられた自分の役割を軽く見てはいけない。」

「こういう状況の時にはまず冷静になり、自分たちのリズムを取り戻すためには確実なプレーをしなければならない。与えられた自分の役割を軽く見てはいけない。」

−−− フランスワールカップ予選対イラン戦に日本が負けた時のドゥンガの言葉
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セレソンより


みなさん、こんにちは。

いやー、ついに衆院選挙”戦争”が勃発。私は今年の年末は粛々と物理の本でも書きながら、ホピの予言やマヤ予言にある「2012年12月21日地球最後の日説」がいかなるものか観察しようとしていたのである。すでに1冊は完了した。だから、今は別の翻訳本を作り始めたところである。しかしながら、この本はまだ著作権(著者の死後70年有効)が切れていない論文の翻訳本であるために世に出るためには、あと40数年待たねばならない。

さて、そんな中、結構インターネット上では知られた人たちのブログを読むと、なかなか興味深いものがある。今回はそんなものをメモしおこう。あくまでこれは私個人の妄想のような個人的見解であるからして、不快に思う向きもあるはずである。だから、「否定されることに慣れていない人」あるいは「別の意見を聞くと、自分が否定されたかのように感じる習慣をお持ちの人」はスルーをして欲しい。

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(あ)まずは、「スピリチュアル系」、あるいは、時に「お花畑系」と称されるブログに関して。

この世界では「2012年12月21日」に「世界が3次元から5次元へ次元上昇する」という、”謎の神話”が存在する。このときの「次元上昇」というのがまた面白い。「すべては波動で出来ている」、「だから、波動が上がるのだ」という俗説である。

別に否定する気にもならないが、また否定は不可能。なぜなら、量子力学では「物質波」というものをメインテーマにするから、すべてが「波でもあり粒子でもある」というのは常識だからである。

問題は我々地球人の物理学は「波動というものは、ある空間内を伝播するもの」と考えるのだが、彼らは、「空間自体が波動だ」という説を採用する(いったいこのアイデアがどこから来たのか私は知らない)。このアイデアのために、彼らは「波動が上がる=空間の次元上昇」と考えるらしい。

「まったくのナンセンスだ!」と普通の物理学者ならいうだろうが、私は特別そうは言わない。どんな主張も1つの仮説である。証明されも、否定の証明もされない(ここが重要)ものは一応は仮説のまま留まるのである。証明されないからノー、でもなければ、否定できないからイエスでもないのである。必要十分であるために、どちらも必要なのである。

まあ、そんなことはどうでも良いが、アセンションの人々は、これまで「光の天使オバマが、UFO暴露を行う」とか、「ライトワーカーのオバマがNESARAを行う」とか、まともに信じ切って来たのだが、そういったことがことごとくウソだと判って、今や最後の砦となったものが「2012年12月21日」のアセンションである。

そこで、これまた裏切られたら何を信じれば良いか(拙注:自分の普段の行為を信じなさい)分からないという恐れを感じるようである。

このことについては、ちょっと前にすでにメモしておいた。
「信じる者は救われる」:アセンションとは人から神人への進化のこと!?

(い)「アセンション=死」か?

私が大方そう言い出すだろうなあ、と予想はしていたが、いつか彼らは「アセンション=死」と結びつけるはずだと見ていた。ここへ来て、どうやらさまざまなサイトでこれを一斉に言い出し始めたようである。いよいよ、他人の死を「その人はアセンションしたんだ」というようになった。

こうなると、これは確実に「カルト化」の一種だろうということになる。その人が同じアセンションカルト信者で、生前から「僕は死んでアセンションします」というような遺言を持った人ならともかく、さまざまな別の宗教の信者や生前まったくそんなことは知らずに「人生は一度きり」(つまり、あの世などない)と信じているような人たちに対してまで「アセンションしました。お喜びします。」では困るのではないかと私は思う。

こうなると、この人たちは他人の死を悲しむどころか、喜ぶようになる。

すでにその兆候が出ているサイトもある。「最近たくさんの人たちが死んだと思わないか?」「これはアセンションの兆候です」などと平気でのたまう人物もそこここに見ることができる。

やはり人の死は厳かに悲しむべきであろう。宗教は無関係である。なぜなら、もう二度と生きた状態では会えないからである。

これがさらに高じると、かつてのオウム真理教のようになるだろう。つまり、かつてオウム信者が人の死を「ポア」とか呼んで、「あの人をポアしてちょうだい」などと言い始めるわけである。「あの人もアセンションしろ」などと過激化するはずなのである。

「アセンション=人殺し美化」となるわけですナ。

実は、こういったカルトのカルトらしいところは、最終的に必ずこの形になるのである。かつての「人民寺院」というアメリカのカルト宗教があったが、これは教祖の指示に従って、信者が薬を飲んで、集団自殺してしまった。教祖だけが生き延びた。これは、ある種のマインドコントロール実験だったのではないかという疑惑が残されているが、詳細は不明である。

私が恐れているのは、これである。

シルバーバーチに傾倒した人々は、その後アメリカの狂信的右翼になったと言われている。金星人のUFOに搭乗したジョージ・アダムスキーの信者グループは、GAPという組織を作ったが、その後やはりカルト化した。プレアデス星人のUFOに搭乗したビリー・マイヤーの信者もまたあるグループを作ったが、これまた集団セックス容認のカルト化したと言われている。

浦島太郎のような体験者は、別格であり、それを信奉する人々はカルト組織を作り易い。

やはり、浦島太郎のように、「玉手箱」のような装置で、しかるべき時にその記憶を失わせるのが一番なのかもしれない。さもなくば、確実に信者はカルト化するのではないかと思う。かつてのイエスとイエス信者のキリスト教会もまったく同じことだったろうと思う。

つまり、最初は良いことを言っていたとしても、あるいは、良いことは言っているが、信者が集まって行うようになることは必ずしも良いことばかりではないということだろう。

(う)次は、そういったサイトと政治的スタンスについて。

やはりこれまた予想した通り、「スピリチュアル系」の人たちは、アメリカでは「オバマを支持した」。同様に、今まさに日本の「スピリチュアル系」の人たちは、保守は大嫌いだから、「日本未来党」を選択しているようである。

これまた、私は何事も自分の頭で考えよ、信じる信じないはあなた次第ですよ、であるから、特に否定はしない。

しかし、私が見た限りでは、一応「B層」からちょっと脱却し、「B+層」くらいか「Aー層」くらいの人でインターネットに自分のブログなどを開設している人たちは、どうやら首都圏や地方でも主に県庁所在地に住んでいる人たちのように見える。311で金玉が縮こまり、東京から長野にすっ飛んで行ったという金玉氏のような場合もあるが、大半はやはりハイテク都市に住んでいる。

その点、私のように、日本にインターネットが誕生した頃から地方の田舎でやってきたというような人間は少ない。実にまれのようである。

そんな感じだから、どうも彼らはあまり地方を見ていないように思われる。だから、なんだかんだおっしゃってはいるが、やはり視野がかなり偏っている。物の見方が大都市よりなのである。

自分は「保守は大嫌い。革新派、日本の未来を見据えた党が好きだ」というのは良いのだが、「自分は大都市に住んでいる」わけですナ。矛盾しているわけだ。これまでさんざん東電にお世話になって、朝シャン、昼シャン、セックスの度にシャワー使ってきたはずなのである。東電様様でリッチな首都圏の大都市生活をエンジョイしてきたはずなのである。

だから、ようは大都市しか知らないはずなのだなあ。こういう連中は。こういう連中が「311」でびっくり仰天して「314」で福島第一が爆発してまたびっくり。一気に「反原発」と言っているわけだが、まあ、方向性は間違っていないが、自分はリッチな生活は失いたくはないが、放射能だけは困ると主張している、実にわがままなことを言っているようにしか俺には聞こえないんだヨナア、というわけである。

私に言わせれば、これまでさんざんHホテルやパチンコで楽しんで来たんだったら、自分で放射性物質食って勝手に地方に輸出すんじゃねーゾ、というところだろうヨ。(まあ、本当にこんなことを考えているわけではない。私は日夜放射性物質の中和科学を研究だからネ。しかし、論理的にはそういわれてもしかたないんじゃないか、というわけですナ。)

(え)「都市はリッチ、地方は風前の灯」

おそらくそういう連中は、テレビのニュースでは見たことがあるかもしれないが、この空白の20年で地方の目抜き通り、いわゆる「銀座通り」と呼ばれるような戦後やそれ以前からあったような目抜き通りは閑古鳥、いや閑古鳥すらも化石になってしまったようなものである。それほど衰退がひどいのである。地方に行かなくてはそれが見えない。

人口減少、少子高齢化はある程度予想されたことだから驚くことはないが、地方の目抜き通りの衰退ほど驚くべきものはないに違いない。

しかしながら、その一方で、大都市は人口増加に加えて、ますます発展したわけですナ。

「あんたはこの理由を理解できていますか?」

ということなのである。まず出来ていないようである。

大半の「スピリチュアル系」や「有名サイト」の面々は、どうも「公共事業復活=赤字国債増加」とこれまたかつての「B層」のようなことを正々堂々と主張しているからまいる。

まず、「赤字国債、国の赤字は、何を目論んでも増える」のである。「何もしなくても増える」のだ。これは事実である。この事実を認めることが出来なければ、もはや政治を語る資格も無いに違いない。

アメリカもそうだが、日本もこれまでの借金の利子を払うために(元金ではない)借金をしているのである。まあ、こんなデータはそこら中にあるから自分で調べて欲しい。だから、「公共事業復活」=「赤字増加」ではないということが大事なのだ。

いわゆる「パーキンソンの法則」というやつである。「公務員や事務系の人は部下を作ってますます不必要な仕事を増やす」という社会法則である。これがために赤字は常に増加する。なぜなら、公務員や事務員は生産しないからである。物を売らないわけだから、理論物理学者の私同様、消費するだけである。

大学人とて同じこと。教育はサービス業である。生産しないわけだから、それ自体から利益を得ることはまずない。発明してもそれを実用化して商品化できなければ、収益は入らない。例えば、日本全国の大学の取得特許は膨大なお金(数千億円)を経費としているが、得た特許による収益はたったの数億円程度にすぎないのだヨ。つまり大赤字。

こういうことを行っているわけだ。しかし、一応、国にとっては教育や研究が必要だと皆さんが信じるから、毎年5兆円の科学研究費+20兆円ほどの人件費が使われているわけだ。これらはどこにもいわゆる「公共事業」は入っていない。すべては「科学技術基本法」成立のおかげであった。

(お)昔(1970年代)の「公共事業」の金はどこへ行ったか?

これまたもう10年近く前に本に書いたことを何度も何度も書くのは「なんだかなあ〜〜」という感じなのだが、いわゆる田中角栄時代の「公共事業」や「大型投資」という、「コンクリート事業」に使われたものは、1995年の「科学技術基本法」の成立以来、大半がそっくりそのまま科学分野に回されたのである。毎年5兆円、5年計画で25兆円規模の予算が日本の国公私立大学と国立研究所や高専(高等専門学校)に回されたのである。

そして、我々が大学院生の1980年代のバブル全盛の頃には、阪大の1研究室(教授1、助教授1、助手2の4人+大学院生数人が普通だった)に対して年200万円程度が研究室予算だったものが、今では論文1本に1800万円もの国家予算が使用される時代になったのだ。

我々の時代パソコンは研究室に1,2台だったものが、今では1人1台以上ある。我々の時代には、教授クラスが数年に1度国際学会に出席できれば御の字だったが、今では人によって年に数回国際学会に出席し、今では1年中旅行している科学者ばかりとなったのである。

何か聞き覚えが無いか?

そう、「バブル」である。

我々の1980年代バブル時代、日本女性は世界中を旅をして、世界のどこに行っても日本女性がいたという時代だった。もちろん、海外留学、遊学組も目白押しだった。今では海外留学組は1,2万人程度に落ち込んだようだが、当時我々が留学した時代には、5、6万人が海外に出ていたのである。(ちなみに、これまた誤解がないように付け加えておくと、私はバブルの恩恵を一切受けていない。この時期の日本人のエリート留学生たちは日本国の税金から留学費用や渡航費用をもらったが、私は渡航費用は自費(自分で稼いだ金)、留学の奨学金はユタ大から頂いたものだ。TAという仕事(週20時間労働)で年8千ドル程度+授業料免除を奨学金としてもらって留学したのである。)

これと全く同じことがこの20年ほど「科学分野」、特に大学や国立研究所や高専で起こったのである。「金余り現象」というやつですナ。使わなければならない研究費が有り余るのである。

語弊があるといけないから付け加えておくと、そこは格差社会。大学間にも格差が出来た。だから、有名大学や一流大学と名前の売れているところばかりに金が集中して、老舗の地方の有名大学や地方の国立大学は”相対的に”劣化したのである。

なぜこうなったか?

もはや言うまでもないが、電通の命名の「B層」は、「人から聞いたことが自分が考えたことになる」という定義であるから、言わなければ分からないのかもしれないし、「聞かないことは存在しないに等しい」のかも知れないから、どうしてもくどくなる。

要するに、東京のある首都圏は4000万人ほど人口がある。ここに数百の大学がひしめき合っている。大阪神戸京都名古屋などの京阪神名も1000万人ほどの人口がある。ここにも200ほどの大学がある。

科学研究費は大学や研究所に配分される特別なお金である。ということは、こういった大学のある大都市だけがその恩恵を受けるのである。ここ徳島には国立大学が2つ、あとは地方の私立が2、3あるだけだ。どうやってその金をもらえますかいナ?

仮に大学間で1大学当り均等に配分されたとしても、このお金は大学の数に比例する。ところが実際にはマンモス大学ほどもらえるわけだから、「マンモス大学ってどこ〜〜?」というわけである。もちろん、「そりゃ〜〜、東京だっぺ!」ということになるわけですナ。

これが東京都が勝ち組に納まり、地方が負け組になった理由なのである。

(か)「地方に金を回す」=「公共事業投資しかない」

というわけで、もっとも理詰めに考えたとしても、この20年で大学は十二分に刷新できた。研究費も研究資材も潤った。もう十分なのだ。

きたるは「科学研究バブルの終焉」なのである。これしかない、というのが、私は10年ほど前から主張していることなのである。

もっとも10年前に私が本に書いたように、大学院生の数を学部生の1/10程度にして、「少数精鋭方式」に変えていれば、こんな問題は生じなかったはずなのである。文部官僚、後の文部科学省の役人たちの見込みが誤ったわけである。

上にメモしたように、国のお金は何に使っても何をしても赤字になる。そういう風に出来上がってしまっている。だから予算は赤字で作られるのは何をしても変わらないのである。しかし予算をどこへ回すかにはそれぞれの思惑があり得る。30年前は公共事業に使って日本列島改造した。そしてバブルを誕生し、そしてそれが崩壊した。バブル崩壊後は「コンクリートより人へ」というキャッチフレーズとともに、「B層」が騙され,大学やハイテク企業やインターネット企業だけが投資を受けた。

もともと森元首相は朝鮮人の手先だった。だから、いま、ソフトバンクや楽天などの朝鮮系企業があるのだヨ。なぜなら新規参入の若者(在日)は元手がかからないインターネットで出て来たわけだ。一方大学の職員もまたハイテク信者だから、結局国からもらった研究費の大半はパソコンやらネット代やらの通信事業に消費することになったわけだ。

だから、この予算編成では、地方には大学がないわけだから、閑古鳥が泣く。金をもたらすコウノトリも来ない。だから地方の目抜き通りが終焉してしまったわけだ。なぜなら、もともとこういう赤提灯地帯は、地元の土建業者やサラリーマンなど「コンクリート事業」で生活していた人たちが生み出した場所だったからである。

とまあ、そんなわけで、結構長くなってしまったが、「公共事業投資」=「悪」の図式はもう終わったのだヨ。おそらく10年以上前にナ。だが大半の人たちにはそれが見えない。地方は公共事業がないと、分断される。地震や台風などが来る度に、崩落した場所は復旧を要するがそれができずに手つかずのままという場所ばかりなのだ。311の東日本ばかりではないのだヨ。首都圏では、災害があれば金が物言ってすぐに何とかできるが、目抜き通りに閑古鳥の泣くような地方にはそんな財源はないというのが実情なのである。

(き)結局、どの政党にすべきか?

といえば、地方にとっては「自民党」しかあり得ない。大都市にとってもおそらくそうだろうと私は思う。

民主なら、毎年消費税の数兆円以上、それがほとんど韓国や在日に行く。地方は廃れる。そして徐々に大都市内にスラム化した場所が増えて行く。朝鮮化するのである。Vシネマの世界が実現されるのだ。

日本未来党はいまの民主党の繰り返しになる。「経験を積むためだ」といって、支離滅裂を繰り返すだけだろう。橋下の主張も分かる。

では、日本維新はどうか。これまた同じこと。今度はかつての細川政権の繰り返し。こうして政治的空白が繰り返される、長引く。そうやって日本は廃れて行くだろう。

こういう一種の敗戦の後ほど、新規のことをやるのではなく、確実なことが必要なのである。まさしく、ドゥンガの言葉通りなのである。もちろん、この私も前回は小沢・鳩山の民主党に投票した。しかし、クーデターで乗っ取りが起こることが分かった以上、そういうことは自民以外のどこにでもあり得るのである。
「日本人特有のメンタリティー」と「虎の威をかる狐」:やはり「言わぬが花」か?

「 日本人は間違いを見つけてもなかなか変えようとしないところがある。 私はどうしてもこのことが我慢できない。外国人にとって誤りがあったらすぐに別の方法を試みる。その問題を明日、明後日、来週に持ち越すことはない。 」
にメモしたように、間違いだと分かれば早急に変えなくてはならないはずなのである。

まあ、分かってもらえたかどうかは分からないが、信じる信じないはあなた次第ですゾ、ということですナ。ぜんぶ真実だけどナ。

さて、私は商売人の家庭出身である。商売人は公務員が嫌いである。なぜなら、常に商売人は税金を払う方だからだ。ゆえに私は公務員にだけにはなるなという教育を受けて育った。だから、私は公務員としての大学人になるつもりは毛頭なかった。もちろん、昔は子育てがあったからそういう職を追い求めたこともあったが、子育ての終わった今はまったくない。インターネット時代では研究には金がかからない。論文出版にも金がかからない。そんなご時世にあって、たった論文1本に1800万円もかけるというのは罪であろう。私はここに来て30ほどの論文はゼロ円で(10ほどは三菱財団のご好意で)公表したものである。もちろん、パソコンやら普通の人が必要程度の経費はかかるのだがネ。

  by KiKidoblog | 2012-12-05 19:49 | アイデア・雑多

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