ピアス・モーガンvsアレックス・ジョーンズの「銃規制」バトル
いやはや、最近はちまたの有名サイトの数々も見るべき内容が乏しくなる一方である。それゆえ、私が最近見るべきものはほとんどなくなってしまった。したがって、特にここにメモするものもなくなったので、それほど熱心にメモする必要がないのである。
なぜなら、そういったサイトの面々は、これまで私が永年に渡りここでもメモしていたような、この世界の裏に君臨する超国家的な権力集団の画策して来た世界史上の陰謀話を、昨年末の国内の現実の政治の話とを”無理矢理リンクさせてしまった”からである。そういったものに対する一種の恐怖や憎悪による誘導を利用して、自分の信じる政党への投票を誘導しようとするものばかりとなってしまった。
そのために、かなり無理が出て来て、話が支離滅裂に陥り、もはや正真正銘のパラノイヤ的になってしまったものばかりとなった。特に、アセンション系はそれが顕著であるように見える。
こうなると、物事は信じるか信じないか、信じるものは味方、信じないものは敵という、「二元論」や「「ダイコトミー」に陥るのである。
これをもっとも組織的かつ典型的に行うのが、いわゆる「カルト宗教」である。いわゆる「お花畑系」のサイトの人たちもまた、いわゆるカルトほどひどくないが、やはりそうしたカルト特有の心理状態に陥ったように見えるのである。
よくカルトの人たちが、自分たちの世界と他のものの世界を区別して柵をつくり、その中に自分たちの王国を作り出す。これに似ている。
このもっとも古いものが、いわゆる「ユダヤ人の王国」や「偽ユダヤ人のソロモン王国」の神話であろう。自分たちの同胞を「人間」と呼び、他の人種や異教徒たちを「ゴイム」と呼ぶようになってしまったその精神構造である。
私にはこの精神構造とここ最近のスピリチュアル系やお花畑系や宇宙人礼賛系の人々の精神構造の間にかなりの類似性を見たのであった。これはかなり末恐ろしいものである。
バックミンスター・フラーは、こういう精神的物理的囲い込みのことを「2次元的思考」や「平面的思考」と評した。つまり低次元の代表格と定義したのである。というのも、地球が局所的に見れば一種の平面だという、平面を前提にするからこそ丸や四角で囲み込むことが出来るからである。それにより、「内と外」、「内部と外部」、「味方と敵」を区分する思考に進むというわけである。
それに対して、地球は丸く、平面ではない、という発想から3次元的思考が生じる。上も下も区別のない世界が存在するという思想導かれるというわけである。こうなると、地球の表面に丸や四角を書いたとしてもどちらが内でどちらが外であるかは意味をなさなくなる。これこそ高次元の思想だと考えたというわけである。
そんなわけで、ここ最近はこういう症状を呈した人たちの今後(まあ、一種の末路)をただじっと観察していくつもりだが、最近その「末路」を示しているように見える、際立ったYouTube番組を見つけたので、これをメモしておこう。かの有名な陰謀暴露論者のアレックス・ジョーンズ氏と、ある米国有名司会者の番組での「銃規制」についての討論のものである。
Alex Jones vs Piers Morgan CNN On Gun Control
まあ、アレックス・ジョーンズは、意識的に相手を完全に無視して話したのだろうが、あまりに一方的で病的なものであった。おそらく、「敵地へ乗り込んだ」という感じだったのであう。
いやはや、こうなっては手遅れか? なんとも言いようがない討論である。
by KiKidoblog | 2013-01-13 16:12 | コンスピラシー