「天文学はすぐに役に立ちませんが大事です。」:「御用学者」症候群!?
いやはや、昨日BSか何かで偶然に見たのだったが、日本の天文学者たちが一様に現れてきて、年間数百億円の研究予算について、寄ってたかって正当化していたという番組を見たのである。彼ら日本の天文学者たちの、まるで「口車を合わせたかのような」言い分とはこういうものであった。
「天文学はなんの役に立つか?」というような質問をよく受けるが、たしかに直接的に社会のお役には立たないが、我々人間の自然宇宙に対する理解を深めることが、我々人間社会に何十年、何百年のように後々になって何かの役に立つのではないか、というように答えるようにしている。もし音楽がなんの役に立つのか?といえば、音楽だって天文学と同じことである。直接は社会の役には立たないが、生きる希望を与えたり、楽しかったり、悲しみを表現したりして、人間にとってある種の潤滑油のような役割をするに違いない。
とまあ、そんなふうな、よく聞いたことのあるようなお答えであった。おそらく、私も30年ほど前、今より30歳ほど若ければ、こんな正当化でも納得してしまったに違いない。
しかしながら、私もいろいろと知恵がついたもので、こういう連中、つまり、日本の学者さんたちとの付き合いも長くなるに連れて、日本の中の科学者にもいろいろいるということを知っている。特に、数学者や、理論物理の中でもかなり純粋数学に近い数理物理学者という連中、そして天文学者と呼ばれる科学者たちは、かなり他の科学者たちとは異質な存在なのである。
とまあ、そんなことが私はわかるようになった。
2011年の311東日本大震災以降、国内ではいわゆる「御用学者」ということばがよく知られるようになったが、この言葉の意味に非常に素直に適うのが、今上げた数学者、数理物理学者や天文学者なのである。
どうしてそうなるのか?
これについては、誰も研究していないからそれらしいデータは存在しないのだが、私個人の観察によれば、数学者や理論物理学者や天文学者は、教科書の内容作りとかなり直結していることが原因の一つではないかと思う。要するに、こういった、一般人から見れば、いわゆる「頭の良い人」たちに対しては、まず一般人がいろいろ文句を言ったり、ケチをつけたり、批評することが難しいからである。だから、彼らは自分が学んだことや研究したことや発見したことが、その筋で標準的になると、それが世界基準だという認識をついついしてしまう。そしてそうしてもそれが問題にならないという立場にあるわけである。もちろん、そういうことを本人たちもよくご存知のはずだが、そういってはなんだから(つまり、横柄にはしたなく見えるから)、わざわざそういうふうには見せない。そんな感じの人々である。
これまた、昨日偶然見かけた番組で、ジュラシックパーク3の話をしていて、その中で、古生物学者のグラント博士
が、
「学者には二種類いる。一つは天文学者タイプ。もう一つは宇宙飛行士タイプだ。私は天文学者タイプだ。」
という場面の話が出ていた。
まさにその通りで、天文学者は装置で遠目から観察するだけで、実際に自分がそこへ行くわけではない。危険をおかさず、観察するだけである。そしてそれなりの考察を行なって理論を立てる。そんな人々である。しかし、「大事なのは宇宙飛行士だ」ともグラント博士はいう。
ちなみに、英語で「研究費」のことをGrant(グラント)という。いつも研究費の工面で困っている、私のような博士だからこそ、グラント博士とスピルバーグ監督は名付けたのだろう。
これに関して、欧米人の場合、特にユダヤ人の場合(偽ユダヤ人も含めて)、本名(実名=親から来た名前)をつけて名乗っているという人間は皆無である。サッカーでもドゥンガとか、ロナウドとか、ロナウジーニョとかいろいろあるが全部「通名」である。日本では在日朝鮮人がこれに従って有利な生活を送っている。例えば、古い例の一番有名人といえば、これまた今年のアカデミー賞候補のスピルバーグ映画の「エイブラハム・リンカーン」である。エイブラハム・リンカーンは本名ではない。本名は、エイブラハム・リンカーン・スプリングスタインという。
さて、このグラント博士の話と最初の日本の天文学者の研究費正当化の話に戻ると、年間数百億円を要して、ハワイや南米などほぼ世界中に日本の大学は研究施設を持っている。本当に所有して植民地化しているのか、あるいは、単に現地に寄付しているのかしらないが、世界拠点という名目で、おそらく普通の日本人が一生お目にかかることのない施設のために日夜税金を支払われているのである。
もちろん、日本の天文台の天体望遠鏡が得た映像や画像がちまたに流布され、それなりに誰もが見ることができるのであれば、それはそれでいいことに違いない。しかしながら、今ではそんな施設はどの国にもある。だから、それほど珍しいものではない。
そんな場合、果たしてわざわざ自国で同じような天体望遠鏡を作り出す理由がありますか?
というのが、私個人の質問である。別にハッブル望遠鏡でもパロマ天文台でも良いわけだ。似たようなものはたくさんあり似たような映像を発見する。
にも関わらず、なぜ日本の天文学者さんたちが等しく同じようなことをおっしゃるのか?
といえば、それが「御用学者」になっているという現実なのである。つまり、すでに「天文学者の業界」ができているのである。地震学者には地震学(=地震動学)の業界が出来上がっているように、そして、原子核には原子核の業界が出来上がっているように、そして今度は「iPS細胞」には「iPS細胞」の業界がこれから出来上がっていくだろうというように、学問分野ごとにそのそれぞれに「業界」という構造が存在するのである。もちろん、この「業界」とは、国から研究費(=税金=赤字)を得て、仕事を発注する方の「御用学者」と、それを得て製品を研究者に納品する方の「企業」との間の「もちつもたれつの関係」のことである。
一見、非常にアカデミックな感じのする天文学でもすでにそういう「業界」、すなわち「天文業界」が存在するのである。だからこそ、毎年数百億円の定期的な研究予算はなくてはならないお金ということになるのである。これが来ないと食うに困る企業関係者がその筋の業界には必ず存在するというわけである。
面白いことに、NHKBSの番組に出た日本の天文学者はこういうことをまったく端折った。おくびにも出さないでいた。あくまで「天文学はすぐに役に立つか?と言われても困るよ」というような一見もっともらしい意見に終始したのである。
実は、天文学の中身はすぐに役には立たないかもしれないが、天文学自体は立派に役に立っているのである。それは、上の意味の「天文学業界」のお金の還流源として必須のお役に立っているのである。
奇しくもその中の一人が音楽と天文学を比べたように、天文学も音楽もまったく同じように「学者と業界の関係」は「ミュージシャンと業界の関係」というものが同じく成り立っているというわけなのだ。音楽において金儲けの手段としてのミュージシャンの存在がその業界にとって必須であるように、天文学においても金儲けの手段としての天文学者の存在がその業界にとっては必須なのである。それほどまでに、その業界の役に立っているのである。言い換えれば、「天文学者はカネになる」のである。年間数百億円以上が動くのである。
だから、むしろ、私なら逆に「天文学者なら、本来の天文学者のように、もっともっと金にならないことをやれ!」というだろう。本当にオリジナルの研究であれば、お金がまったくかからない。なぜなら誰もわからないから、だれも怖くて投資などしたくない。だから、革新的な研究ほど金が得られない。ゆえに、お金がかからないのだ。逆説的だが、これが真実である。むしろ数百億円もかかるとかいうことは、たいした研究はしていないという証明なのである。
例えば、ステファン・マリノフ博士のように、太陽や惑星の「絶対速度」を測定するという実験を行うとしよう。あるいは、マイケルソンーモーレーの実験を再実験しするとしよう。
残念ながら、こういう場合には、あまりお金が得られない。また昔の実験を今の先端科学技術で行うわけだからあまりお金がかからないのである。
これについては私自身似たような経験している。10年ほど前に私は、DNAの電子論を研究していた。その時、昔であれば、当時の大学の最先端の大型コンピュータで計算しなければできなかったような計算が、いまでは誰もが持っているパソコンで出来る。1960年代当時では、その大学の大型計算機でも「ヒュッケルモデル」という、量子化学で有名なかつ非常に簡単なモデルに基づいて計算していた。それが今では私のパソコンでも計算できる。それも今では滅んだOS9レベルのMacでもできる。1960年代日本でそういうことをやっていたのが、京都大学のノーベル賞学者の福井謙一博士(故人)の研究グループであった。そういう研究がもとになって、80年代に福井謙一博士はノーベル賞をとったのだ。そこで、もう一度、昔福井謙一博士がやっていたモデルを使ってDNAの電子状態を研究すればよろしかろう、というのが私が立てた戦略であった。そしていくつか論文にしたのだが、その際には研究費はほとんどゼロ、計算費もパソコン使用料の電気代のみである。しかし、もしいま現在の世界最先端の「2番ではダメですか?」のスーパーコンピュータを使って計算するとなると、その建設費から使用料まで含めれば、1000億円から1兆円ほどかかるだろう。むろん、そんなことは私には手も足も出ない。そういうお話で終わってしまうのである。
つまり、頭の使い方次第ではそれほどお金をかけなくてもそれなりの研究は実現可能なのだということである。まあ、普通の人にはその差が理解できないだろうが、音楽であえて例えれば、いきなりメジャーレーベルからCDを出さなくても、インディーズで自作CDを1枚作れば、それが良ければヒットするという場合もあるサ、というような話である。
さて、話をもともとの天文学に戻すと、最近といっても、かなり前からよくわかっている人はわかっていたのだが、アインシュタインの一般相対性理論も特殊相対性理論もかなり本質的な不備がある。量子力学にもかなり本質的な問題がある。さらにはファラデーやマックスウェルの発見した電磁気学すらもかなり本質的な問題があることがわかってきたのである。
しかしながら、どうも日本の科学者というのは、ビートたけしが昔悪だった頃言っていた、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の発想をするものばかりである。特に、「欧米か?」ではないが、欧米人の「権威」と同じであることを誇りに思うというかなり異質な、科学者にあるまじき特性の科学者が多いのである。「科学者」の定義は、科学者=人と同じ事をしない人、という意味に近いのである。世界の人々の礎になるわけだから、同じものでは困る。人と違う人生、人と違うことを残さなければならないのである。だから、「御用学者」では困るのだ。なぜなら「御用学者=人と同じことをいう人」という意味だから、「御用学者」とは、学者ではないということになり、自己矛盾した言葉ということになるからである。
そんなわけで、天文学者(に限らないが)は、もっともっと基本的なこと、もっと変わったこと、もっと重要なことをやってもらいたいものである。「宇宙考古学」、「宇宙人類学」、「宇宙生物学」こんなものが面白いのではなかろうか。
あるいはまた、現代の「天文学の基礎」が築かれ始めた19世紀に戻り、光とは何か?電磁気とは何か?空間とは何か? 座標系とは何か? 時間とは何か?というような、土台に再び舞い戻ることも面白いに違いない。
さて、だいぶ前置きが長くなってしまったが、最後に、いかに日本の天文学者がおめでたいか? あるいは、逆に、欧米人の普通の人たちがいかに好奇心旺盛か?ということを見ることのできる面白いYouTube番組をメモしておこう。以下のものである。
Alex Collier 9600 Years Old UFO Alien spaceship moon picture VIDEO 1/2
いずれにせよ、「かぐや」のように、いくらお金をかけて月の映像を持ち帰ったとしても、そのデータをだれにも見せずに、結局NASA(という闇組織)にぶん取られてしまうのであるから、税金かけるだけ無駄ということなのである。掘削船地球もそうだった。結局、四六時中使っているのは欧米の闇組織の科学者であって、日本人学者は「お客さん」にすぎない。一番危ない場所を掘削するときの、一種の罪滅ぼし、あるいは、アリバイのために日本人を乗せているようなものである。こんな掘削船がなければ、311東日本大震災は起こらなかった。起こったとしてもその時は外人のしわざだと明確になったはずのものであった。
いやはや、「御用学者症候群」とでも呼ぶべき現象が蔓延っているようですナ。
by Kikidoblog | 2013-01-25 21:02 | 東大話法