麻生太郎の「とてつもない日本」:「私は劣等生だった」
みなさん、こんにちは。
先日「「世界が学び続けるとてつもない日本」:正々堂々と生きよう、日本人!」でメモした、「とてつもない日本」というYouTube番組は、現安倍政権の重鎮、
麻生太郎氏の
「とてつもない日本」という本の「序文」であった。そっくりそのままの文章であった。
そこで、市内のブックオフにあれば読んでみようかと、見に行くと、1冊だけあったので、それを買って読んでみたのである。
結論から先に言うと、意外にも「麻生太郎は人格者だった」という一言に尽きる。考え方が非常に面白い。というより、良い考え方をしている、と言えるだろう。
ある人達が
「〜〜〜はダメなんじゃないか」
というと、麻生氏は
「ほんとにそうだろうか? もっとよく別の面から考えてみると、むしろそれは〜〜〜は何か良い事を意味しているんじゃないか?」
というような考え方や捉え方をする人だということである。
例えば、「ニートも、捨てたもんじゃない」とか、「若者のソフトパワー」とか、「若さは至上か」とか、「「格差感」に騙されていないか?」というような章を見れば分かるだろう。すべて普通では(特にマスゴミは)悪く吹聴するところを、必ずしもそうではないよ、というスタンスの意見をまとめている。
どうやらこの習慣のために、日本では麻生氏は「ひねくれている」とか、「斜に構えている」とか受け取られるらしい。この意味で、麻生氏は日本では悪いイメージを植え付けられてしまっているようである。また、本人は射撃の達人だから、政治家となった今、いつもゴルゴ13のような存在から狙われていることも意識しているにちがいない。だから、一見
ハードボイルド風の出で立ちでそれをかわすのも当然といえば当然のことだろうが、こういったこともマスゴミからは真意が理解されないのだろう。
さて、内容に関してはここでメモするつもりはないが、その精神においては、YouTube番組にある「序文」にすべてが語られていると思ってまず間違いはない。
ここでは、我々がまず知ることがない家庭内の話だけをちょっとメモしておこう。
(あ)「私は劣等生だった」
という章によれば、成績は学習院の中等科時代145人中140番だったという。
ところで、どうやら麻生さんは、弟さんがいて、それも極めて優秀な実弟がいるらしい。スポーツも勉学も何から何まで自分より優れている弟がいるという。それで、小さい頃から「弟と比べられて育った」ために、いつもコンプレックスを持っていたようである。この事実はあまり知られていない。まあ、私が知らなかっただけだろうが。
そこで、落第したら下の弟さんに学年まで追い越されかねない。だから、なんとかして落第だけはさけたという。しかしながら、逆にこういう経験が「人間は生まれながらに平等なんて嘘だ」という思想を芽生えさせるきっかけになったようである。
一般に、麻生氏は政治家の家系のプリンスだから、麻生さんが「人間は生まれながらに平等なんて嘘だ」といえば、名家の小倅が何だということになってしまうらしいが、麻生太郎がいう意味は、自分はあまり際立った才能がなかったために非常に苦労したということを言っているらしい。だから、自分は普通の人や普通以下の人の気持ちがよく分かるのだ、という意味で言っているということである。
(い)「義務教育は必要か?」
この短い章は意外に本質的なこと、本質論的なことをとらえている。
「もし中学を義務教育から外せば、どうなるか?」
という根源的な問いかけがある。普通の人はこういう発想はしない。むしろ、高校まで、いっそのこと大学まで義務教育にしたらどうか、という発想をする。
しかしながら、麻生太郎は全く逆の問いかけをする。「早く世に出る」社会であれば、勉強は勉強が好きなもの、学者や官僚になりたいものだけが進む。一方、普通の人は早く世に出る分、自分に対する自覚が早く芽生え、その結果、その道のプロになりやすい。
勉強が好きでもないものに、高校大学へと進学させるものだから、無駄に税金もかかるし、親も負担がたいへんになる。しかも大学モラトリアムでせっかくの技能の逸材になれるものですら、普通のサラリーマンにしかなれずに終わる。それに対して、三浦知良選手のように中卒でブラジルに行ってサッカーのプロになるのもよし、板前さんになるのもよし、中卒で弟子入りして落語家になるのもよし、そういう道を閉ざす結果になっているのではあるまいか、というような発想である。
この発想は面白い。
実際、江戸時代や明治時代に日本文化を西洋がジャポネスクやジャポニズムと呼んで驚いた文化は、この徒弟制度が生んだものである。学校で学ぶことには限界があるが、実際に職人さんから実地に学ぶことには無限の奥深さがある。肌で感じて学ぶことと、本で知識として学ぶことには大いなる差があるのである。
よく麻生太郎氏が
「やはり学者さんだ。学者さんの発想はそこまでだ」
というようなことを言う場面に出会うが、それはこうした背景があると考えるべきだろう。最近でも日銀新総裁の楽観的推測に対してそういう意味合いの批判をした。
一般的な知識、だれでも本を学べばそこに書いてあるというような知識、そういうものから学んだ人間とそうではない現場主義や実地主義で学んだ人間の違いというものを麻生太郎は非常によく理解しているようである。実際、ご自身が「麻生セメント」の社長さんであった。
(う)陰謀史観の欠如
さて、この本の最大の欠陥や欠点があるとすれば、あまりに世界の一面しか見ていないということだろう。いわゆる「陰謀論」や「陰謀暴露論」の知識はゼロである。普通の言い方をすれば「性善説」に彩られているということである。
しかしながら、日本にはイルミナティーもいれば、ユダヤ人起業家もいれば、偽ユダヤ人もいるし、フリーメーソンもいれば、イエズス会もいる。在日朝鮮人もいれば、中韓北の工作員もいる。それも何十万人といる。(いわゆる左翼、右翼、ミンス党、カルト宗教など全部そういったものだ思っても間違いはない。)それ以外にCIAやらKGBやらモサドやらMI6やらもいる。みんな見た目は普通の人である。
こういう人たちのそれぞれの歴史的背景、目的、意図、計画。そしてその結果何をしようとしているのか、これまで何を行ったか、こういった思索が皆無だということである。
例えば、「SARS」が生じた時は怖かったとあるが、その「SARS」を作ったものはだれだったか? どういうルートでだれが持ち込んだのか? 何を目論んでいたか? こういう発想が欠落しているのである。もちろん、いまではSARSはどこかの生物研究所で作られたことが分かっている。豚インフルエンザ、鳥インフルエンザウィルスもそうである。今では、人−鳥ー豚インフルエンザの遺伝子が規則正しく並んでいるウィルスなど自然界には存在し得ないが、そういうものが新型インフルエンザウィルスなのである。
また、「マスコミは政府を批判する」というが、その本質も理解できていないようである。なぜ日本ではマスコミが政府の揚げ足取りをするのか、いつも国の邪魔ばかりするのか、といえば、それは電通を支配しているものが朝鮮人だからである。朝鮮人は、在日、韓国、北朝鮮の三位一体となって世界を支配しようという無謀な戦略を持っているからなのである。もしいわゆる自虐史観でいう、昔の日本がアジアを支配しようとしたという言い方で見るならば、今朝鮮人が目指すものもそれと似た思想なのである。だから、韓国の歴史の教科書には、すべての人類は朝鮮半島から広がったことになっているようである。昔は日本は朝鮮の属国であったらしい。そう書かれた教科書を使っているのである。
テレビ業界、新聞雑誌メディアなどほとんどすべてがすでに朝鮮系に乗っ取られて久しいのである。だから、読売の女性記者が中川昭一氏の酒に毒をもったのである。したがって、朝鮮半島から不法流入してきた在日朝鮮人たちにも不当なほどの優遇制度ができあがっているのだが、それすらマスゴミは報道しないのである。
(私は世界最高レベルの科学研究雑誌に70ほど研究を公表したが、フリーになってからも40ほど公表したが、一銭足りとも国から生活保護を得たり、研究費すら得るチャンスはない。それが現実だ。俺に2兆円くれたら、空飛ぶ円盤くらい10年以内に作ってやるヨ。こんなクズどもに毎年、2兆数千億円?笑わせるな!)
やはり、この意味では、日本にもJCIAやC科(陰謀研究部門)の設置が必須なのだろう。そしてこういう組織の人間が政治家にアドバイスしない限り、いつでも使い捨てにされて終わりとなる。結果として国民はいつもないがしろにされっぱなしということになるに違いない。
こういう意味では、日本の政治家はもっとしっかりして欲しい、というのが私の偽ざる感想である。
まあ、いずれにしても、麻生太郎さんは日本の中ではかなりユニークな存在であるということだけは確かなようである。
by KiKidoblog | 2013-03-25 11:02 | 人物