師ミラー博士vs弟子シャンクランド博士:アインシュタインも関与か!?
いやはや、世も末だ。真に日本のB層が日本を潰す。
ところで、最近思うのだが、「いやはや」という日本語はいったいどういう意味か?どこから来たのだろうか? 辞書によれば、「いやはや」=「いやもう」=「驚きあきれたとき、また、落胆したときなどに発する語」とあるが、これが、もし「IYHY」から来たとすれば、「神様仏様」のような「神様ヤハヴェ様」っていう意味ではなかろうか? もっと普通に言えば、「オーマイゴッド」ということである。そう思うと、確かにちょっと似ているような気もする。真面目に考えると、実に不思議な日本語である。
さて、どうでもいいことから書いたが、先日メモしておいた、DeMeo博士の論文、これは読んでみると実に興味深い。これには非常に重要な歴史的事実が隠されていたようである。
結論から言うと、
ということである。また、その歴史には、いわゆる「隠蔽工作の古典的手法」が現れていたということである。
19世紀から続いた「エーテル」の概念を葬り去る隠蔽工作に、アインシュタイン博士自身が関わった
その論文の内容はまたいつかにして、まずはそれだけメモしておこう。
「エーテルドリフト実験の歴史」とは、簡単にまとめると、こういうものだった。
(1)マイケルソン−モーレーが実験したのは、1887年。それもほんの数回の実験。結果は見方によっては肯定も否定も出来る代物。彼らは否定を選択。
(2)それを見てアルバート・アインシュタイン、特殊相対性理論の着想を得る。1905年。
(3)ミラー博士
は、1902年から1906年までマイケルソン−モーレーと同じ装置を再現して研究。
(4)ミラー博士は、1921年から1928年まで改良型のもっと高精度のもので研究。そして、終始、エーテル存在の肯定的結果を得た。結論は肯定。
(5)ミラー博士は、それを米国の権威あるReviews of Modern Physicsのレビュー誌に20年の研究成果を掲載。1933年。結果、エーテルは存在するに肯定。
(6)ミラー博士が存命中、博士はあらゆる批判に誠実に返答し、エーテルは存在するという通説ができていた。しかし、かたや、狂信的なエーテル否定派も存在した。
(7)ミラー博士は、1941年死去。
(8)ミラー博士死後、13年経って突然にミラー博士の学生だったシャンクランド(Shankland)博士
を代表する無名の学者が出てくる。
(9)ミラー博士の後継者を装って、ミラー博士の詳細なデータを管理。しかし、大半を紛失。
(10)ミラー博士の一部のデータを取り上げてそれを使い、ミラー博士の研究には「重大な欠陥が見つかった」という論文を作成。1954年春。
(11)この論文公表直前にシャンクランド博士は内密にアインシュタイン博士に論文を見せる。
(12)アインシュタインはその時に「ミラー実験が事実なら自分の研究はトランプの家のように崩壊する」と手紙で返答。
(13)シャンクランド博士はこの論文をおなじくReviews of Modern Physicsに公表。1955年。
(14)以後、「エーテル概念」は壊滅。世の中は相対論ブームに湧く。
(15)いつしかシャンクランド博士は「米国原子力委員会」の重要メンバーになる。
(16)世界は「夢の原子力」の時代に突き進む。
これから分かるのは「隠蔽」の匂い、「陰謀」の匂いであろう。
若いころアルバート・アインシュタインは、
たとえ自分が10年もの長い間に研究してきたことであったとしても、もしそれが間違っているとわかれば、次の日から別のことをしなければならない。というような趣旨のことをおっしゃっていたようだが、いつしかそう言ったアインシュタインも人の子、自分もミイラとりのミイラになってしまったようである。
マイケルソンのエーテル非存在論文を信じきって特殊相対性理論、それから一般相対性理論、さらには統一場理論をつくろうと人生を捧げてきた。それが、一番最初のマイケルソン−モーレーの実験は実に精度が悪く、エーテルの検証には不十分だった。だから精度をあげたらとたんにエーテルが見えてきたというミラー博士の研究、それもミラー博士の人生をかけた執念の研究で、エーテルは存在するとなってしまいかけた。
アインシュタインは狼狽し、うろたえた。
「このままでは、私の長年の業績がパーだ。砂上の楼閣だったのか?私は実に不安だ。」
というような気持ちでいた。そこにどこからともなくシャンクランド博士が出てきてくれた。ありがたい。これで私の研究も生き残る。
まあ、そんな気持ちだったんでしょうナア。
結局、アインシュタインは舌をだしてこの世を去った。
ここに、ある意味、実に古典的な手口が見て取れる。
それは、先生の一番弟子がその先生の業績を葬り去るというやり方である。数学界でもこれは有名で、大天才グロタンディーク博士の一番弟子だったドリューニュ博士が引退後のグロタンディーク博士の仕事を葬り去った。古くは、イエス・キリストの弟子のユダ。かならず自分の身内にスパイや敵がいる。弟子が裏切る。日本の柔道界の不祥事事件もそうである。教え子がセクハラを訴えた。
これが古典的なる理由である。
また、もう1つの古典的手法とは、弟子(つまり内部情報に触れることのできるインサイダー)が、生データにアクセス権を得ると、とたんにその証拠である現物をどこかに捨て去るか隠す。こういうことを行う。
ミラー博士のデータに関して、シャンクランド博士がこれを行った。ちなみに、シュメールの碑文、アルバート・パイクの手紙などは、ロスチャイルドが大英博物館の館長になったとたんに証拠隠滅されたのである。
自分が重要人物になった途端に情報を隠蔽工作する。
これまた古典的な手法である。実によく知られているものである。
というわけで、「エーテルの存在」と「エーテルの非存在」のどちらに掛けるかといわれれば、俺は「エーテルが存在」するほうに掛けるネ。
いずれにしても、物理学者としては何の業績もなかったシャンクランド博士がのちのち原子力員会の御用学者に抜擢されたというのは、何の業績もなかったアラン・ハイネック博士が「UFOの権威」になったり(ハイネックでブログ内検索)、地震研究の何の業績もないロバート・ゲラーが東大教授や日本地震学会のリーダーになったりというのとどこか似ているんですナ〜〜〜。(ゲラーでブログ内検索)
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog | 2013-05-28 17:14 | 真の歴史