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「私をブラジルW杯に連れて行って」:日本のキングカズから世界のキングカズへ!

みなさん、こんにちは。

今日9日に元日本代表と元イタリア代表のOB戦
があったようである。以下のものである。
カズ、ゴール!日伊OB戦はドロー
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 サッカーのJリーグ選抜とイタリア選抜のOB戦が9日、東京・国立競技場に1万7703人を集めて行われ、2-2で引き分けた。木村和司氏、ラモス瑠偉氏ら往年の名選手とともにJ2横浜FCの三浦知良が特別参加し、前半にJリーグ選抜としてゴールを決め、後半にはイタリア選抜の一員としてプレーした。

 三浦は「アズーリ(青を意味するイタリア代表の愛称)を着ていいのかなと思った。何ともいえない重みがあった」と話した。46歳の三浦が現役を続けていることに、元イタリア代表のフランコ・バレージ氏は「本当にすごい。情熱がなければできないこと」と絶賛。三浦と同い年で、膝痛のため出場しなかったロベルト・バッジョ氏も「私もちょっとうらやましい」と笑顔で述べた。(共同)
サッカー、カズが両チームで出場 日伊OB戦に1万7千人
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サッカーのJリーグ選抜とイタリア選抜のOB戦が9日、東京・国立競技場に1万7703人を集めて行われ、2―2で引き分けた。木村和司氏、ラモス瑠偉氏ら往年の名選手とともにJ2横浜FCの三浦知良が特別参加し、前半にJリーグ選抜としてゴールを決め、後半にはイタリア選抜の一員としてプレーした。

 三浦は「アズーリ(青を意味するイタリア代表の愛称)を着ていいのかなと思った。何ともいえない重みがあった」と話した。46歳の三浦が現役を続けていることに、元イタリア代表のフランコ・バレージ氏は「本当にすごい。情熱がなければできないこと」と絶賛。

まあ、あまりサッカーをご存じない人や記憶力の乏しい人やすぐに忘れてしまう人は知らないだろうが、このロベルト・バッジオ選手とフランコ・バレージ選手は、かつて1994年のW杯アメリカ大会準優勝のメンバーである。

優勝したのが、ロマーリオ選手と闘将ドゥンガ選手の率いたブラジルであった。0−0でPK戦にもつれ込み、その決勝で、最後にドゥンガ選手が決め、ロベルト・バッジオ選手がはずし、ブラジルが優勝したのだった。その後、
「誰もバッジオを責めることはできない」
とドゥンガ選手が言ったという伝説の大会であった。以下のものである。
1994アメリカ大会PK戦



一人目のバレージ選手は、大会初戦で不運の骨折をした。そして、手術しこの決勝までリバビリをして間に合わせたという偉大な選手であった。「不屈の闘志」といわれた選手である。私もバレージは無理だろうと思っていたが決勝戦に出場したから驚いたものである。しかしながら、さすがに1ヶ月のブランクがこの試合で足に来て、最後のPK戦ではミスショットしてしまったのである。同様に、バッジオ選手もすでにピッチ上で何度も足をつり、PKでは正確性を欠いた。最後に天ぷらキックで万事休すだったのである。

あれから20年。

精悍なバッジオ選手(当時非常に女性に持てた)もまた、すっかり白髪の親父に変わっていたようである。

だから、そのアズーリのバレージ選手に「本当にすごい。情熱がなければできないこと」と絶賛されたということは、三浦知良選手はすでに「日本のレジェンド」から「世界のレジェンド」になったということである。「日本のキングカズ」から「世界のキングカズ」になったといえるだろう。

そして、ブラジルはカズの故郷。16歳で単身サッカー留学したサッカーの母国である。そして10代で日本人初のブラジルサントスのプロ選手になった。そして大活躍して日本に帰国したのである。

それゆえ、もし三浦カズが日本代表として母国ブラジルのワールドカップに参戦するとすれば、日本代表は、ブラジル人からも日系ブラジル人からも絶大なる支持や支援を受けられるはずなのである。観客からも審判からもあらゆる層から日本代表は好感をもって迎えてもらえるはずなのである。それほどの英雄なのである。ザック監督にはぜひとも三浦カズ選手も代表に加えて、日本初の世界王者を目指して貰いたいものである。

そして、ロジェ・ミラ選手の最高年齢のゴール記録を塗り替えて欲しいものである。
ロジェ・ミラ

ミラは4年後の1994年、既にプロリーグレベルの選手としては引退していたが、再びカメルーン大統領ポール・ビヤから代表復帰の要請を受け(カメルーン代表に対してもビヤ大統領が圧力をかけたという)、アメリカW杯のピッチに立った。この時、ミラは既に42歳になっていた。ミラは高齢の為に前回大会に比べ出場時間が極端に減った。 この大会でのカメルーン代表は一転していいところなく1分け2敗の成績に終わり一次リーグで姿を消した(アフリカ代表チームにありがちなボーナスを巡っての対立や、ミラだけが特別視されることへの周りの選手の反感もあったと言われてはいる)。特に最終戦となったロシア戦ではオレグ・サレンコのワールドカップ記録となった1試合5得点を含む1-6で惨敗。しかし、この試合でカメルーン唯一のゴールを決めたのは、後半から投入された直後のミラだった。この時のミラは42歳1か月8日であり、ワールドカップにおける最年長ゴールとして名を刻んでいる(40歳代選手によるゴールも2010年現在、ミラだけが達成)。なおミラの「W杯通算5得点」はカメルーンはもとより、全てのアフリカ国籍選手の2010年現在の最多記録である。



三浦カズ選手が若い頃からやってきた「カズダンス」は、実はこの「ロジェ・ミラダンス」
なのである。そのロジェ・ミラ選手はワールドカップ最年長ゴール記録42歳1か月8日を樹立した。そして、いま現在も三浦カズ選手は、最年長で現役サッカー選手を続けている。この意味でも、三浦カズ選手は、このロジェ・ミラ選手の記録を塗り替えるために生まれてきた選手とも言えるのである。

ザッケローニ監督よ、「サプライズ」を起こしてくれ!

三浦知良選手からすれば、
「私をブラジルW杯に連れて行って!」
というところでしょうナア。

  by kikidoblog | 2013-06-09 19:34 | サッカー&スポーツ

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