日本代表に足りないもの:「勝利の方程式は基本順守精神から生まれる」
この週末は奥さんと映画の
「奇跡のりんご」を見に行ってきた。この映画自体は非常に良く出来ていたと思う。ハリウッドでは絶対に作らないだろうというタイプのユニークな映画である。そもそも主人公の木村秋則さん(旧姓三上)のようなユニークな人物はどの国にもそうはいないからである。木村さんの「苦節10年」の話である。しかしながら、さすがにこの映画には、本にあったようなエイリアンに拉致されたという話はなかった。関心のある人はみてみるといいだろう。
さて、今回はこの映画の話には無関係。サッカーの話しである。だから、興味ない人はスルーをして欲しい。
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(あ)「良いサッカーをしても、勝ち方がわからない」
コンフェデ杯で日本は一勝もできないどころか、1点をとるのも難しい。今朝の徳島新聞の記事には、本田選手の「勝ち方が分からない」という言葉が載っていた。これは相当に重症である。
最終戦のナイジェリアvsスペインは、結果はスペインは3-0でナイジェリアに勝利し、数字から見ればスペインの圧勝のように見える。一方、日本はメキシコと2−1。数字を見れば、接戦だったように見えるだろう。しかしながら、そうではないというのがサッカーである。
ナイジェリアは、再三再四の決定機を作り、これまで無失点のスペインからキーパーと一対一の場面を数度作った。結局シュートが不運でゴールに至らなかっただけで、「試合では互角だったが勝負に負けた」というものだった。
こういう場合には、やっていた選手は非常に収穫があり、今後の自信につながるのである。おそらく、今回のナイジェリアが本戦に進むとすると、かなりブームを湧き起こすにちがいない。期待できるチームである。
ところが、日本は何とか2−1にしたが、終始試合はメキシコに支配され、だれが見ても「メキシコが勝つべきだ」という試合だったのである。ザキオカの前半の幻のゴールは無視されたが、後半のザキオカのゴールは完全なオフサイドだったから、レフリーが前半の分を帳消しにして辻褄をあわせてくれたとみていいだろう。
こういう場合は逆に選手は非常に自信を失うものなのである。たまたま点になったが、それはラッキーゴールであって相手を崩しての得点ではない。終始相手に合わせて動かされ続けての試合である。まったく自分たちのサッカーができない。
このナイジェリアと日本の違いこそ、今後の日本サッカーを占うものといえるだろう。
はっきり言って、もう私は何度もここにメモしてきたが、「ザックジャパンのサッカーでは世界には通用しない」。まあこう書くとすぐに文字通りにしか理解しないというのが、戦後の日本の教育の悪いところだが、その意味は「今のザックジャパンのメンバーがするサッカーでは世界に通用しない」という意味である。
やはり選ばれた選手が悪すぎた。ザッケローニ監督の目指すサッカーはいまではどこの国の代表監督も、どこの国のクラブチームの監督も目指しているものでごく普通の「当たり前」の話にすぎない。やっと日本代表もその万国共通の当たり前のレベルを目指す時期に来たということである。
この意味では、よく言えば、やっと日本もこのレベルに来たともいえるが、悪く言えば、まだこんなレベルを目指しているのか、ということなのである。だから、世界の上位レベル(上位と言っても20位のあたり)になってくると、まったく日本のやるサッカーが目立たなくなるのである。こんなサッカーならいまではどこの国でもやっているからである。
だから、冒頭の本田選手の印象通りになるのである。「勝ち方がわからない」
(い)「勝ち方」=「勝利の方程式」は「得意のパターン」のことだ。
さて、その本田選手の「勝ち方がわからない」というのは、どういう意味かというと、自分たちのチームにはゴールまでの得意の攻撃パターンがないということである。
ウルグアイなら、ツートップのスアレスとフォルランがたった2人のパスワークとそれぞれの個の力でシュートまで持っていく。
スペインであれば、中距離や短距離のパスワークを使いながら、バスケットボールのようにボールを運んで、ゴールまでは、これまたバスケットのように、第三者を使ったサインプレーでゴールを決める。
イタリアなら、キーパー中心のカテナチオの鉄壁を基軸にゴールキックやキーパーのパントキックからの一気のゴールがある。困った時にはキーパーからの攻撃で点を取る。あるいは、ピルロのセットプレーで点を入れる。
ブラジルであれば、個のボールキープ力でゲームを支配し、ネイマールを中心に敵の守備陣をかき乱し、シュート力の違いで得点を取る。
こういったものが、「得意のパターン」というものである。それぞれのチームにはそれぞれの固有の「勝利の方程式」が存在する。ところが、日本にはそれがない。
おどろくべきことに、今回のタヒチは全員アマチュアで練習もままならない、日々の暮らしにも困っているような選手たちだったが、そのタヒチにはそれなりの「勝利の方程式」が存在したのである。だから、身体能力の高いナイジェリアから歴史的1点をもぎ取った。
はたしてその「勝利の方程式」は日本に芽生えるか?
(う)Jユースの指導法に問題あり。
実はここではこれまで何度もメモしてきた。だから、ここの私のサッカー関連、特になでしこジャパンとの比較を読んで知っている人はもう十二分に理解できていると思うが、一応再掲しておくと、以下のもの。
”ヤングなでしこ”もやはり強かった!:”ヤングなでしこ”も男子サッカーの先を行く?
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なぜ日本の男子サッカーには「勝利の方程式」が育たないのかと、簡単に一言でいうと、「Jリーグと日本サッカー協会の育成の仕方に問題がある」からである。
何が問題か?
というと、
(1)まず第一がサッカー選手の「子供横綱問題」(子供横綱でブログ内検索)、
(2)男子サッカーの「バイアスの問題」である。
これらもすでに十分に上のなでしこ関連の記事にだいぶ前に昔の私のブログでメモしていたことである。
子供横綱というのは、青少年時代に比較的早熟で身体の成長が早かったり、大型であると、成長が不揃いの子供時代にあって、ちょっとスピードがあったり、長身であると、サッカーを有利にできる。だから、学校の先生や監督コーチ、Jユースの指導者もそういう見かけの進歩が早い選手を優遇する結果、その選手も見かけを利用したプレーに走るために、結局あまりうまくならないという現象のことである。
具体的にわかりやすく言えば、こんな感じのことを意味している。
例えば、平均身長が140cmの子供サッカーの世界に身長170cmの子供がいれば、その子供のいるチームが勝つ。勝たなくとも、その170cmの選手はいい選手に見えるはずである。ちょっと本気で走れば、他の選手を抜き去り、ちょっと強くければ他の選手が反応できない。だから、あまり細かい技術を気にしなくても、自分の身体の有利さを押し出せば勝てる。
クラブやユースでもこういう選手がいれば、結構いい成績を残せる。だから、子供時代に(あ)「大型」だったり、(い)「足が早かったり」、(う)「技術的にうまい」選手を好んで、ユースにスカウトするのである。
ところが、日本人の場合、12歳以下の小学時代に170cmだったとしてもその後背が伸びないということが往々にしてある。だから、この選手は将来せいぜい170cm台の選手になるわけだ。
だから、結局は、世界レベルで見れば小粒な選手になるわけだから、子供時代にいくら有利だからといって、けっして技術の習得を怠けたら結局大人になれば、身体は小さいし、足も普通の速さ、技術もたいしたことない。こういう選手で終わってしまうのである。
これを「子供横綱」と呼ぶ。
もう一つのバイアスの問題とは、日本サッカー協会の問題でもある。今回の韓HKの解説員の山本昌邦の解説に典型的に見ることができるが、日本サッカー協会のお偉方はいつもその時代のW杯優勝チームの「ものまね」をしようとするのである。いまはランク1位のスペイン、日韓W杯の時代はブラジル、その前はドイツ。
こういうことをしていると、日本サッカーにサッカーの蓄積ができずいつも中途半端に終わってしまうことになる。
これがバイアスの問題である。
下に見るように、女子サッカーにはこのバイアスがなかった。女子サッカーは世界でほぼ同時に誕生し始めたからである。だから、なでしこジャパンは、どこの国を真似すればいいというものはなく、サッカーの本や教科書や指導書に書かれたことをできるようにすればよかったのである。
女子サッカーにとって雛型も教科書もなく、要はサッカーがうまくなればよかったのである。(だから、澤選手や大野選手や宮間選手が生まれたのである。もしドイツの真似やブラジルの真似をすれば、澤や大野や宮間は背が足りないとかいろいろ文句を言われて代表入りはできなかったにちがいない。そういうバイアスがないのがいいのである。要は、何かの型に合う選手だから良いのではなく、いい選手であれば良いのである。)
結果的にはこれが「なでしこジャパン」が生まれた原因だったのである。そして今では世界中からなでしこジャパンが目標になっている。男子のスペインのようなものである。
だから、私はちょっと皮肉を込めて「香川はなでしこに弟子入りしろ」とか「神戸に弟子入りしろ」と書いているわけだ。だが、それは本当である。今の日本代表はINAC神戸の練習にはついていけないはずである。それほど(戦術的に)高度な練習を行なっているのである。そして基本どおりにプレーすることを求められるのである。
(え)男子は12歳までに決まるのだ。
医学的にもすでに証明されたことだが、脳の可塑性は12歳前後(もちろん個人差がある)で決まることがわかっている。右利き左利きの調整もこの年代が最後である。英語の習得も、この時期にどの言語を一番多く使うかによって決まってしまうのである。
これは特に男性に顕著である。女性は脳の脳梁が多く、左右が互いに補完しあう構造になっているために、成人すぎてもかなり脳が柔軟に対応できる構造になっている。
これが実はサッカーなどのスポーツにも言えることは確実である。まだ医学者はそこまで研究していないから知らないはずだが、私はずっと前から知っている。
この男女の脳の特質の差が、なでしこジャパンなどで見るように、女子の場合には中高からサッカーを始めても日本代表になったりする選手が現れるが、男子の場合にはそういうことは不可能なのであるという差になっているのである。
男子の場合、12歳以前から遅くとも14、5歳までに「正しい基本技術」を徹底的に身につけないと、間違った癖はその後一生治らない。これが事実なのである。
なぜ長谷部のシュートが枠に行かないか?
なぜ前田のシュートがいつも枠外に飛ぶか?
なぜザキオカのシュートがいつも枠にはじかれるのか?
なぜ香川のシュートがいつも腰砕けに終わるのか?
なぜ内田のセンタリングが合わないのか?
それが理由である。連中は12歳までに正しいシュートのフォームや正しいセンタリングの蹴り方を身につけなかったからである。なぜなら、彼ら全員、「子供横綱」だったからである。身体が早熟で子供時代に有利だったために、正しい基本技術を身につけなくてもプロになれた選手たちだったからである。
(お)基本に忠実にプレーして初めて「勝利の方程式」が現れる。
これと正反対だったのが、バルサのライオネル・メッシやなでしこジャパンの選手たちである。
メッシはすでに有名だからここでメモする必要はないが、幼少期から成長障害の持病があったために、身体が人一倍小さかった。だから、徹底的にボールキープの基本とシュートの基本を細かく注意しながら成長したのである。その結果、「足に吸い付くドルブル」の名手となった。
なでしこジャパンは、一言で言えば、日本の女子は、「徹底的にサッカーの基本に忠実にプレーする」。そうせざるを得ない状況だったのである。
なぜなら、欧米人のドイツやアメリカの選手たちが男子の日本代表よりも背が高いという状況の中で戦う他なかったからである。そのためには、徹底的に基本であるパスの精度とトラップ技術を高める方向で進化せざるを得なかった。これが逆に日本の女子が男子のスペインレベルに行き着いた理由である。
面白い話がある。戦前の日本軍は日本兵の身体測定を行った結果、日本の成人男子の平均サイズや身体能力は、当時で、ドイツ女性に劣っていたというのである。せいぜいドイツ人女性の平均値程度に過ぎなかったのである。これは現在でもおそらく見たところではまったく同じだろう。
だから日本男子サッカーは、ドイツやアメリカの女子サッカーとやって良い勝負。これが現実なのである。
では、どこで差を付けるかといえば、技術の正確さとスピードしかない。
実はこれを計画的にやって成功したのが、現在の男子スペイン代表であった。もともとヨーロッパ人でもスペイン人やポルトガル人は北欧の白人と比べると身体的に劣っていた。だから、技術とパスワークで崩すというスタイルでないと、頑健なアングロ・サクソン系の国には太刀打ちできなかったのである。
そこで考えだされたのが「戦術的ピリオダイゼ―ション理論」
「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである。」:HSさん、こっちで失礼します。というものだった。そしてバルサがいち早くこれを取り入れて、この理論に従った指導方針の下で順調に子供時代を過ごしてプロに上がったのが、メッシ、イニエスタ、シャビなどの世代なのである。この世代以前とこの世代以降では同じスペインサッカー選手でもまったくレベルが違うのである。
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これについても日本サッカー協会の七光りの山本が解説していたが「勝者のメンタリティー」を培ったから強いのだというような、誤解を平気で韓HKでのたまっていたから困る。困ったちゃんですナ。
なぜ勝てるかといえば、世界最先端の世界初の世界で最も進んだ指導を受けてきたからである。だから絶大なる自信を持てるのである。なでしこジャパンが自信を持っているのもまさに同じ理由なのである。
「戦術的ピリオダイゼ―ション理論」というとあまりに形式的な専門用語のこの言葉の強さに圧倒されてしまうかねないだろうが、要はごく単純なことである。
技術であれ、戦術であれ、サッカーの理論どおりに動け。それが実現できる技術と体力と精神を磨けということである。
(か)昔「3B」今は「戦術的ピリオダイゼ―ション理論」
我々が子供の頃、西ドイツのサッカーの育成法が世界最先端であった。1974年にバイスバイラー監督率いた西ドイツは優勝した。その時の若手はベッケンバウワーであり、ゲルト・ミュラーであった。
この時代の指導者は「サッカーの大事な要素は3Bだ」と教えこまれた。「3B」=「ボールコントロール、ボディバランス、ブレイン」のことである。つまり、「足元の技術と身体能力と頭脳」の意味である。この3要素を身につけないとサッカー選手として一流にはなれないと言い聞かされたのである。この最後の「頭脳」の部分に「戦術」や「戦術理解」が入っている。
だから、我々はまずはボールリフティングや毎日のシュート練習やパスやドリブルの練習をしてボールコントロールを鍛え、筋トレや長距離走やダッシュで身体能力を鍛え、ミーティングで戦術を覚え、それをフィールド上のフォーメーションで徹底的に攻撃パターンを身体にしみこませるという練習を腐るほどやったのである。だから、今の選手たちより、我々の時代の選手の方が正確なシュート力を持っていたのである。
戦術では、フォーメーションに至る前の段階の練習として、2組のウィングプレー、3人組のウィングプレー、2対1や3対2や4対3などのシュートを行ったものである。そして、最後にトップチームの攻撃陣と守備陣のフォーメーションを行う。こういう練習を行った。
ところが、今のJユースでは、ボールタッチやトラッピングの技術は非常に良いのだが、ウィングプレーや2人組のパスや3人組のパスというような練習をほとんど見たことがない。だから、ゴール前の味方の頭にドンピシャリで合わせるということがなかなかできないのである。
いちばん今流行しているのが、5対5、7対7のパス回しというものである。もちろん、スペインもこれを試合前にやる。だから、山本昌邦などスペインのパス回しはすごいですね。日本もああならないといけませんね、というようなことばかりのたまうのである。しかし、日本の解説者は彼らスペインの選手たちがユース時代に徹底的にウィングプレーの基本やシュートの基本を身につけさせられたということは知らない。そういう基礎があるから試合前はパス回しやキック練習程度で済むのである。
14歳のメッシ
(バルサジュニアは徹底的にウィングプレーを行なっている。)
おまけ:
セスクとピケのバディー:小さい頃からずっといっしょ
まあ、これだけメモすれば分かるだろうが、「勝利の方程式」が生まれるためには、サッカーの基本通りの動きをするから、それに応じてボールも綺麗に動き、その結果として得点が生まれ、最終的に「勝利の方程式」があるかのように見えるというわけである。
ところが、今の日本代表はこの「サッカーの動きの基本」に従わない。香川がセンタリングしようとする時にゴール前にはニア、正面、ファーの3つのポイントに合わせるように後ろから飛び込むのが動きの基本であるにもかかわらず、日本代表は全員がゴール前だけに集まる。結局味方同士で邪魔しあう。
(き)「スポーツ推薦」が日本サッカーをだめにしたのか?
イエス!
結論は、日本の今の選手は馬鹿なんだナ。だいたいもともとそんなに頭のいい選手ではない本田がリーダーになれるようなレベルの日本代表では世界では勝てないのである。頭のいい選手を集めていないということに尽きる。香川など論外だ。
王様ペレは引退後スポーツ医学の博士になったし、ジーコはサッカー博士といっていいほどサッカーの歴史を知り尽くしている。中田ヒデはいまでは5,6ヶ国語話せるし、最近なくなったブラジルのソクラテスは選手兼医者だった。今大会のウルグアイのフォルランは成績優秀で学者になろうとしたが、あまりに身体能力がすぐれていたためにプロサッカー選手を目指したという選手である。
あまり日本では知られていないが、FCバルセロナのカンテラ(ジュニアユース)に入ると、事ある度に、トップ選手たちから「勉強しろ」と勧められるのである。なぜなら、いくらジュニアに入ったからといって、トップチームの活躍できる選手はほんの一握りの選手にすぎない。大半は途中で挫折する。だからそうなっても困らないように「勉強しておけ」と勧めるのである。
ちょうどこれと逆が日本のJリーグである。「子供横綱」の「サッカー馬鹿」ばかり集めるから、挫折すると、読売ユースの伊藤リオンのようにヤクザになったり、犯罪を起こす。大学サッカーでも似たようなものだ。国士舘のような性犯罪を起こす。そんなものばかりとなった。お前らもっと「頭を鍛えんか」と激を飛ばせ。勉強させろ。少なくともサッカーのルールブックを丸暗記させろ。実際、試合中の香川には何のアイデアもない。知性の微塵も感じさせない。どうしてこんな野郎が日本代表にいるのかいナ?
ところが、日本では最近では「スポーツ推薦」という奇妙な制度ができてしまったために、受験シーンを混乱の渦に巻き込んだ。このせいで、なんにも勉学しないもの、勉強のできない単なる「スポーツ馬鹿」が大学を席巻してしまったのである。おまけに、スポーツ推薦は受験シーズンの最初に決まるために、普通の受験をする秀才組の迷惑極まりないのである。学校で勉強の邪魔ばかりするわけだ。酒井の顔を見たらこいつのどこに知性があるのか分からない。こんな連中がいまでは大学にいける。これは即刻廃止すべき制度である。
実際、一番大事な受験シーズンに「俺はもう推薦が決まったから」といって、わさわさしてスポーツしているわけだから、他の勉強組の受験は非常に歪になる。なぜなら受験組はそこで勉強しても試験に落ちれば大学に行けないからである。にもかかわらず勉強しないのにもう大学進学が決まった連中がいるのである。これは大問題である。非常に教育上よろしくない。すくなくとも、「スポーツ推薦の合否発表」は一番最後にすべきである。結局日本代表もまた文科省という官僚のさじ加減で決まっている面もあるのである。
とまあ、こんな案配で、日本男子サッカーの前途は再び非常に暗くなってしまったというのが現実といえるだろう。
「困った時ほど基本に立ち返る」
これですナ。もう一度、サッカーの基本精神に戻るべきでしょうナア。
まあ、俺にはどうでもいいことだがナ。
by kikidoblog | 2013-06-25 08:02 | サッカー&スポーツ