ヒグス粒子は「パクリの粒子」!?:これで物理学の終焉でしょうナア!
ヒッグス機構
みなさん、こんにちは。
さてはて、今週はいわゆる「ノーベル週間」である。ノーベル賞の受賞者名が今日から続々と決まるという一週間である。おそらく、ノーベル化学賞には、中村修二博士と飯島澄男博士が来るだろうと私個人は想像している。
ノーベル賞、遠藤氏ら有力候補ズラリ 自然科学部門
■2013年ノーベル賞の発表日程
医学生理学賞 7日(月)午後6時半以降
物理学賞 8日(火)午後6時45分以降
化学賞 9日(水)午後6時45分以降
文学賞は10日(木)午後8時以降が有力視されている
平和賞 11日(金)午後6時以降
経済学賞 14日(月)午後8時以降
(時間は日本時間)
ところで、物理学賞の有力候補の一つ「ヒッグズ粒子」の受賞も捨てがたい。しかしながら、これは世界の物理学界の「秘史」、言ってみれば、悲しい歴史の方の「悲史」でもある。さらには、物理学界の「恥史」でもある。
そんなところをメモしておこう。というのも、こういう恥ずべき歴史は大手マスゴミ等の「よいしょ組織」からは永久に出るものではないからである。
1960年代。この時代はいわゆる米ソ冷戦のまっただ中にあった。そしてベトナム戦争という悲劇の最中であった。米国内にもマーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動から始まり、JFKの暗殺の時代であった。そして、ヒッピーのサイケデリックな時代を迎えつつあった。
そんな激動の時代である。
そんな時代の理論物理学の世界は、素粒子では1940年代後半の朝永振一郎、リチャード・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガー、フリーマン・ダイソンに代表された「量子電磁力学」の完成が行われた直後であった。
この理論体系は即座に物質科学、いわゆる「物性論」(あるいは「物性理論」、最近では「凝縮体理論」ともいう)の世界へ応用され始めた。
その最初が、
L. N. クーパー
ジョン・バーディーン
J. R. シュリーファー(比較的最近、交通事故殺人で刑務所入り。)
ジョン・ハバード(故人。オンサーガーの愛弟子)
(私の記憶では、自殺でご逝去。)
デービッド・ パインズ
フィリップ・W・アンダーソン
等による研究である。バーディーン・クーパー・シュリーファー等は、言わずと知れた「超電導の解明」でノーベル物理学賞を受けた。アンダーソンは後のち、「アンダーソン局在」でノーベル物理学賞を受ける。
要するに、素粒子物理学における相対論的量子力学や量子電磁気学の理論を物性理論に応用転用する中で、さまざまな未知の物理現象を解明できつつあったという時代である。
そして、一度「超電導現象」が解明されるやいなや、今度はその超伝導理論が逆に素粒子分野に転用応用される時代がやってきた。
それが、1960年代であった。
そうなると、素粒子理論分野からも物性理論分野からも怒涛の参戦状態になった。
この時代のことは、すなわちヒッグス粒子の話までのことは、1960年〜70年代の話だから、以下の本にすべて見事に書かれている。
私の歩んだ道―湯川中間子とともに
中間子の話 (1977年)
湯川秀樹と朝永振一郎(70円)
中村誠太郎博士の”夢”:中間子で原子核変換させる!
「ヒッグス粒子発見」vs「フリーエネルギー発見」:物理学者よ、どっちが大事か?
この時代をかつてファインマンが評してこんなふうなこと言ったとか(私のうろ覚え)。
まあ、だいたいこんな趣旨のことを言っていたらしいが、こんな時代だったのである。
「午前のセミナーでは他人のアイデアをけちょんけちょんにけなしておきながら、みんながいなくなった研究室で深夜に必死でそのアイデアを論文にまとめ。翌朝にはだれさきに投稿する。そんな輩ばかりになった。物理学も世知辛くなったものだな。」
さて、一方の中村誠太郎はこういっている。これは「湯川秀樹と朝永振一郎」の「第11章、国際交流」にある。
1960年に、私はパサデナ(米)のカリフォルニア工科大学に、R. P.ファインマン博士を訪問した。ファインマン博士は私と妻をハリウッドに案内して、喫茶店で太鼓をたたいて歓迎してくれた。そのとき「日本へこの前に訪問し、大学で二つのテーマについて講演した。一つは素粒子について、もう一つは超電導についてであった。一つの講演がすむとガラガラと聴衆が入れ替わった。これは私にとっては驚きであった。アメリカでは、自分の興味あるテーマが何であれ勉強する。日本の学者は職人化しているのだ」とのこと。確かに日本の科学者は、今自分のやっている研究だけで専門家として通るからである。トリエステ(イタリア)の理論物理学研究所の所長H. サラム博士は、いろいろの専門の人を集めて研究会を開き、多くの若者の人気の的となっていた。シェイクスピアの劇中の言葉「わき役のセリフが役立つこともある」が彼のモットーであった。
サラムはパキスタン出身なので、アフリカやインドや中東の学者を数多く招いて、研究会をたえず開いていた。国際交流のため一肌脱ぐという意気込みであった。
かつて朝永振一郎博士が私たちに、「プリント誌”素粒子論研究”をつくり、未完成のアイデアを載せてお互いにアイデアを交換しよう」と言われ、我々は貧しい中で苦心して素粒子論研究誌を作った。最初は、朝永博士のもくろみ通りのアイデア交換ができた。しかし、その後アメリカとの間の交流がさかんになってからは、ファインマン博士の説のような雰囲気が入ってきて「自分のアイデアを盗まれる」といって自由にアイデアを載せる人はすくなくなった。
これが1960年代の物理学界の風潮だったのである。
というわけで、ヒッグス粒子のアイデアの源流は、当初南部陽一郎博士とヨナラシニオ博士の二人
がバーディーン・クーパー・シュリーファーの超伝導理論を解明し、素粒子理論に焼き直していく形で始まった。二人は超伝導理論の枠組みを素粒子理論の枠組みに焼きなおすことから、何がどのように対応しているのかを解明したのである。そこから「対称性の破れ」や「エネルギーギャップ」や「南部ーゴールドストーンボソン」という概念が誕生したのである。
同時に、一方では、物性論の世界でフィル・アンダーソン博士が、「なぜ金属は電磁場(X線)を反射するのか?」という問題を考える中で、金属中の電磁場は金属内のプラズマ振動と結合して質量を持つからだという機構を出したのである。これが、質量0のボゾンである電磁場(X線)が、金属内では電子ガス(プラズマ)の衣を着て質量を持つという発想を導いたのである。「シャンペングラスの底」の形のポテンシャル。自発的対称性の破れ。そんなものが登場してきたのである。
そんなところに、ピーター・ヒッグスやエングラールがやってきた。
昼は他人のアイデアを学ぶために、「そんなことはあり得ない」といちゃもんをつける。しかし、夜になると、人知れず「自分のテーマに他人のアイデアを取り入れる」。お互いにこういうことをしあって、我こそは「ノーベル賞とったるで〜〜」という時代が、この1960年代だったのである。
そして、ついにBCS、アンダーソン、南部、ゴールドストーン、などなどのすべてを集めて、それなりに仕上げた人物がピーター・ヒッグス博士
とフランソワ・エングレール博士
であった。事実、この理論にはこんなに長い名前がついている。
ヒッグス機構(あとは声のでかいもの勝ち。後ろ盾の大きなもの勝ち。嘘でも100回言えば真実になる勝ち。)
この機構(メカニズム)は、まず1962年にフィリップ・アンダーソンによって提唱され、類似のモデルが1964年に3つの独立したグループによって発展させられた。すなわち ①ロベール・ブルーen:Robert Brout とフランソワ・エングレール en:Francois Englert ②ピーター・ヒッグス ③ en:Gerald Guralnikと C. R. HagenとTom Kibbleの3グループである。よって、このメカニズムは次のような様々な呼称で呼ばれている。Brout–Englert–Higgs mechanism ブルー・エングレール・ヒッグス・メカニズム、あるいはEnglert–Brout–Higgs–Guralnik–Hagen–Kibble mechanism,[3] Anderson–Higgs mechanism,[4] Higgs–Kibble mechanism by Abdus Salam[5]あるいは できるだけ頭文字だけにしてABEGHHK'tH mechanism (Anderson, Brout, Englert, Guralnik, Hagen, Higgs, Kibble and 't Hooftの頭文字。ピーター・ヒッグスが他の研究者たちに敬意を払ってこう呼んだ)[5]。
このあたりのことは、中村誠太郎博士の「第10章 SSC計画」の「ヒグス粒子とは?」に詳しい。結局、ヒッグス粒子の話はこの時代までの話にすぎない。そこで終わっているのである。その後は「余興」のようなものである。
皮肉的な意味の、良い記念のためにそこをメモしておこう。以下のものである。
ヒグス粒子とは?
電磁気力、強い力と並んで、素粒子の世界で登場した弱い力は、ベータ放射能(放射能の一種で電子が飛び出てくる放射能)の原因となる。これが媒介される場の粒子としてのウィーク・ボゾンは、1958年に予言されていたが、実際に発見されたのは何と1983年なのである。どうしてこんなに長くかかったかというと、よもやと思うほど重かった(83BeV~93BeV)からである。
実験家も理論家も驚いたことに、このウィーク・ボゾンの中の中性のものと電子の弱い相互作用の強さと、光子(光の粒子)と電子との電気的相互作用の強さが全く一致していたことである。つまり、中性のウィーク・ボゾンは91BeVと重いにもかかわらず、質量ゼロの光子の一族だと認めざるをえないことである。もしそうだとすると、ウィーク・ボゾンはそもそも、なぜこんなに重いのか、答えねばならない。P. W. ヒグスは、超電導体のメカニズムに類推を求めた。超電導体の中は、電流が何らの抵抗を受けずにすいすい流れる。これはその中の電子配列が特別に安定になっていて、少々の外からの刺激では、高い不安定な状態には飛び移れない。かなりのエネルギーのギャップがあるからとされている。そこでヒグスは、真空中には何か未知の粒子(ヒグス粒子)が満ち満ちていて、超電導体の中の電子のように、特別な配列をしている。そのために一番下の状態の光子との間に、大きなエネルギーギャップが出来た。そのギャップの上がウィーク・ボゾンだ、という説を唱えたのである。仮にこのような複雑な手順によってウィーク・ボゾンが光子の兄弟だとすれば、これまでに知られている光子の特性(ゲージ不変性、くりこみ可能性)を受け持つことができる。とすれば、ウィーク・ボゾンの理論の今後の計算は、極めて容易となる。
まあ、話はうまいことばかりに見える。しかし、一体ヒグス粒子なるものは、どれくらいの質量を持ち、どのような性質で、もし不安定とすれば何と何によって壊れるのか。こうした基本的知識が特定されない以上、実験で探すとしても雲をつかむような話である。
いずれにせよ、SSCで達成されるエネルギーは、陽子内部のエネルギー損失も考え合わすと、せいぜい1TeVの程度である。とにかく、どのくらいの質量を持つか、ヒグス粒子の理論は特定してくれないので、実験家は網を張って、どのくらいの質量ならば何が生まれるか、を推定するのが一苦労なのである。
振り返ってみると、湯川理論によって、陽子と中性子の間の相互作用を媒介する場の粒子として中間子が推定された。パイ中間子が発見されて、湯川理論は立証された。しかし、次から次へと重い中間子が見つかった。湯川博士は、なぜこんなに雑然としてきたのだろうと、非常に不満感を表された。
弱い相互作用の中間子も、電子とニュートリノの間の相互作用を媒介している場の粒子を見ると、非常に重いけれども、今見つかっているウィーク・ボゾン一種だけですべてが完了するとは思えない。恐らく、次から次へともっと重いウィーク・ボゾンがあるのではなかろうか。ただ、パイ中間子族と重粒子(中性子や陽子、ラムダ粒子。。。の総称)間の相互作用に比べて、ウィーク・ボゾンの相互作用は、強さが小さい(約二千分の一)。したがって、その質量が約600倍も大きくても不思議ではない。
したがって、ウィーク・ボゾンの一族でも、一筋縄ではいかないであろう。また、軽粒子族も今は、電子、ミュー粒子のほかにタウ粒子(1.7BeV)が見つかっているが、もっといろいろあってもよさそうである。SSCは、これらの軽粒子族とウィーク・ボゾンの一族の探求と思えばよいのかもしれない。
ヒグス粒子は、クォーク模型と並んで標準理論として支配権を振るっているが、何もこれにこだわることはないであろう。
(この後が「SSCを超えて」とある。)
対称性の破れ、エネルギーギャップ、プラズマの衣、くりこみ可能性、こんな概念が登場したのが、1950年代〜1960年代であった。
そして、「宇宙はヒグス粒子で満ち満ちている」ということになったわけですナ。
しかしながら、その業界の中でやっている人たちはそれでいいかもしれないが、その外からみれば、実にやつらのおやりになっていることは馬鹿げた、アホくさいことでもある。
なぜなら、19世紀の物理学の創始者たちは、「この宇宙はエーテルで満ち満ちている」と心底信じていた。しかし、最初に20世紀の物理学者は「エーテル流体」を否定することから、特殊相対性理論が誕生してきた。それが一般相対性理論で「空間はエーテル剛体」のようなものだということになり、空間は何もないのではなく、重力で曲がるようなものだということになった。そして、弱い相互作用を説明するにあたり、今度は「宇宙はヒグス流体で満ち満ちている」。ヒグス粒子は超電導のクーパー粒子のようなものだということになった。それは電荷ゼロの中性の光の一種であるが、質量が極めて大きい。だから、これまで発見できなかったということになった。
言い換えれば、連中はこの100年かけて「エーテルはヒグス粒子の流体だった」と証明したということですナ。つまり、最初に否定したはずのエーテルが、最後には存在することになった、とも言えるのである。
な〜〜んだ。ヒグス粒子ってエーテルの材料だったのかいナ?
ということになっちまったのである。
いや〜〜、まいった、まいった。
これで何兆円費やしたんでしょうか? たぶん、10兆円は下らないだろうナア。
まあ、それより、私個人の趣味趣向としては、人様の業績やアイデアをパクりまくった偽ユダヤ人の業績がノーベル賞になるとなれば、もはや物理学は終焉したに等しいと思うというわけである。さんざん人が話しているときは否定しておきながら、相手がポシャったか見たか、今度は自分がそれを主張しはじめる。なにか、おとなりの斜め上目線の韓国を思い起こさせる話なのである。
こんな風潮でいくら良い理論が誕生したとしても、それでは若者や子どもたちへの示しがつかない。
というわけで、かねてから私個人は「ヒグス粒子は神の粒子」ではなく、「悪魔の粒子」だヨ、と言ってきたわけですナ。
まあ、いずれにせよ、物理学はもはや死んだも同然の分野。最後の見納めということでしょうナア。
おまけ:
追記(2013年10月8日)
ノーベル物理学賞、ヒッグス粒子の2氏に 質量の起源を解明
【パリ=竹内康雄】スウェーデン王立科学アカデミーは8日、2013年のノーベル物理学賞を、英エディンバラ大学のピーター・ヒッグス名誉教授(84)とベルギー・ブリュッセル自由大学のフランソワ・アングレール名誉教授(80)に贈ると発表した。両氏は1960年代半ば、あらゆる物質が質量(重さ)を持つようになった仕組みを解き明かし、質量の起源となる新粒子「ヒッグス粒子」の存在を提唱した。国際チームによる実験で今年、両氏の理論が正しいことが半世紀かかって証明された。
宇宙の始まりである「ビッグバン(大爆発)」で生まれた素粒子は最初、質量を持たず光速で自由に動き回っていた。ただ、このままでは物質を構成する原子や分子ができず、星や銀河が成り立たなくなる。
アングレール氏とヒッグス氏は64年にそれぞれ、素粒子が質量を持つ理論的な仕組みを提唱した。ヒッグス氏はその後、質量の起源となる未知の素粒子が存在し、宇宙を埋め尽くしたと唱えた。未知の素粒子は「ヒッグス粒子」と呼ばれるようになり、この新粒子の存在を前提に宇宙を支える自然界の法則が次々と解明されてきた。
東京大学なども参加した欧州合同原子核研究機関(CERN)の国際共同研究チームが、スイスにある世界最大の加速器「LHC」を使った実験で宇宙誕生直後の状態を再現し、昨年7月にヒッグス粒子とみられる新しい粒子を発見したと発表。今年3月に新粒子はヒッグス粒子だとほぼ断定した。
授賞式は12月10日にスウェーデンのストックホルムで開く。賞金の800万スウェーデンクローナ(約1億2000万円)は両氏で分ける。
いやはや、ついに素粒子物理の終焉が来たようですナ。
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by kikidoblog | 2013-10-07 11:04 | 真の歴史