ついに「日の丸ボブスレー」が完成!:みんなで応援しよう「国産ボブ」、期待していますヨ!
ボブスレーってこんな乗り物
ボブスレー
みなさん、こんにちは。
だいぶ前に
検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?にメモしたように、日本で最初に科学的にボブスレーを研究し、国産ボブスレーを作る道を探索するために、
「ボブスレー工学研究会」なる研究会のために立ち上がったのは、私と石井和男さん(現ボブスレー代表監督)と石井孝雄さんであった。最初に石井和男さんが私にメールをくれ、それから私が知人の石井孝雄さんにメールし、いろいろお願いしてみて、東大の航空流体力学の大御所の東博士に頼んで、初代研究会の代表になってもらったのである。それが2006年頃のことである。
ちなみに、東先生とは、あの札幌五輪の時の笠屋選手たちの
「日の丸飛行隊」の時に、「スキージャンプ工学研究会」を立ち上げて、それを指揮していろいろ科学的に研究した東大教授の愛弟子の工学博士である。
ジェット機のように、両手を後ろに広げるという、このジャンプ姿勢を生み出した人物ですナ。ちなみに、東博士は琵琶湖の「鳥人大会」の審査員もしておられた。
偉業を達成するときには、必ずその背後で人知れず科学的に研究する人達がいる。そういうことが必須なのだ。というのが、私個人の思想である。
それ以来、ボブスレーに計測器を乗せて走ったり、全重量を測りに吊るして重心を調べたり、いろいろと試行錯誤をして、前回の2010年バンクーバー冬季五輪に参加したのだった。そして、男女共に絶好調を維持した。残念ながら男子は二回目で転倒して初の上位入賞を逃したが、女子はその名を歴史に刻んだのであった。
(これは「世界で最も美しいボブスレー」と言われた。)
あれから3年とちょっと。
ついに国産のボブスレーが誕生した。そして、それに日本代表が乗る。以下のものである。
走れ!下町ボブスレー、ソチへ町工場の夢
来年2月に開幕するソチ五輪を目指し、東京都大田区の町工場が結集して開発した初の国産そり「下町ボブスレー」の2号機が完成し、8日に同区内で開かれた記者会見でお披露目された。
2号機の部品加工と組み立てには、区内の約60社が無償で協力。昨年製作した1号機より全長を短くして軽量化も図り、スタート時の押し出しやすさを追求したほか、走行時の振動を吸収するように工夫した。11月以降の男子2人乗りの国際大会で好成績を収めれば、選手とともに五輪に出場できる。
開発計画の中心メンバーで金属加工会社社長の細貝淳一さん(47)は「町工場の夢をのせて、何とかソチ五輪に出したい」。そりを操縦するパイロットの鈴木寛選手(39)も「下町ボブスレーで早々に五輪の出場権をとりたい」と決意を新たにした。(2013年10月8日15時22分 読売新聞)
鈴木選手がんばれ!期待していますよ。
この鈴木選手が、私が日本の歴史上初の一般人試乗の時のパイロットだったのである。私はもっとも危険な最後尾に乗った。手と足で踏ん張るだけで、シートベルトはない。斜度90度の壁から平地に落ちるたびに、尻が持ち上がる。この超絶スリルを味わった理論物理学者は私のみでしょうナ。
(何を隠そう。私は、日本で最初の公式ボブスレーに乗った一般人3人の1人で、日本で4人乗りボブスレーに一番最初に乗った理論物理学者である。一番危険な最後尾を選択。尻が持ち上がる怖さは何とも言えないものがあった。最高時速120km。斜度90度。パイロットは今年で10連覇の強者の鈴木さん。)
最大斜度のカーブでは、猛烈な遠心力がかかる。特に頭に加わる。だから首がヘルメットの重さも加わった形で、股間に押しつぶされそうになるわけですナ。くしゃっとなるわけだヨ。だから、相当に身体を鍛えていないと、まず首がへし折れる。そして、腰が潰れる。
この私ですら、無事帰還した後、一ヶ月ほど首に違和感を感じたほどである。
また、右左とターンするたびに、頭がボディーの両側のエッジに叩きつけられる。だから、ヘルメットなしでは、頭蓋骨が陥没する。平地でも常に左右のエッジに頭がゴツンゴツンとぶつかるのである。
もっともこの地上で宇宙飛行に近いのがこのボブスレーである。氷上のF1とはよく言ったものである。
ザッツ、ボブスレー!
日本代表に乾杯! そして、製作者にありがとう!
はたして、日の丸ボブの初の入賞なるか? 乞うご期待!
おまけ:
一応、昔の拙ブログに書いた、「ボブスレー工学研究会」の設立時の話もメモしておこう。
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by kikidoblog | 2013-10-08 17:54 | ボブスレー