韓国のチマ・チョゴリのルーツは、日本の女学生の羽織袴姿にあり!
私には「Quasi-moto」というニックネームがあるほど、「quasi-」というものに縁がある。
quasi-periodic, quasi-crystal, quasi-particle, quasi-statistics, quasi-differential, quasi-dimension, quasi-modular transformation, などなどをずっと研究してきたものである。
この「quasi-」とは、クアジとか、クエサイとか日本では発音する。が、実際の英語人の発音は、その中間であってその両方のどちらにも聞こえる。
漢字では「準」という字を当てる。したがって、上のものは、
準周期、準結晶、準粒子、準統計、準微分、準次元、準モデュラー変換、などとなる。
この意味は、「〜〜もどき」という意味である。つまり、〜〜に限りなく近いがそうではない、というもののことを意味する。
例えば、分数に限りなく近いがそうではないというものがあるとすれば、それを「準分数」という。普通のものに限りなく近いがやっぱり違う。そういうものは「準普通のもの」ということになる。
私はなぜ朝鮮人や韓国人に興味をもつか、偽ユダヤ人に興味をもつか?とちょっと考えてみたら、どうやらそれもまたこの「準〜〜」という一線上にある概念だからだということが、つい最近なんとなく理解できてきたのである。
韓国人は日本人に非常に近いが、やはり日本人ではない。つまり「準日本人」なのである。一般に偽ユダヤ人(=ハザール系自称ユダヤ人)もまた、限りなくユダヤ人に似ているが、やはりそうではない。つまり、「準ユダヤ人」なのである。
人間に限りなく近いがやはりそうではないという猿がもしいたとすれば、そやつは「準人間」ということになるだろう。
これに対して、「亜人間」というのは、「人間になりた〜〜い」の妖怪人間ベム・ベラ・ベロのように、まだ人間になりきれていないもの、一歩手前のものを指す言葉である。亜細亜の「亜」である。これは、あまりいい意味ではない。「みにくい」とか、「次の」とか、「一歩手前」のような状態や「一段下」のような状態のことを指す語のようである。まあ、ばかにする気持ちが入る場合の言葉らしい。
ちなみに、英語では、こういう「亜」にあたるのが、「pseudo-」というものである。シュードと発音するが、偽とか、偽りのというような意味である。
そんなわけで、おとなりの「準日本人」こと、韓国人や朝鮮人に興味をもつのも、どうもそういった私個人の性質から来ているようですナ。「準日本人」。「準国家」。「準人間」。どうもそういうものとして見ているからのようである。
さて、そこで、そんなふうな「本当のようであって本当ではないこと」=「準本当のこと」、「かぎりなく真実のようでいてそうではないこと」=「準真実のこと」をいくつか見つけたから、それもまたここにメモしておこう。
(あ)日本の女学生の制服のこと
まず、最近の朝ドラはだいぶ昔の日本の女子学生、女学生の制服が登場する。当時の女学生は記録にもあるように、そして写真のない時代の絵にも描かれていたように、こんな姿であった。
(革靴のハイヒールに注目!草履は履いていなかった!)
いわゆる、着物に袴すがたである。スラックス=ズボンの普及がないころ、日本の女学生は袴を履いていた。したがって、色はツートンカラーになる。
(い)韓国の女学生の制服のこと
ところが、おとなりの韓国では、日本が統治するまでまったく幼稚園も小学校もなく、ましてや高校も大学などまったく存在しなかった。事実、日本が韓国を併合してハングル文字も復活させ、小学校を作り、文盲を撲滅した。当時の女性には、苗字も名もなかった。もちろん、チマチョゴリの制服などあろうはずもなかった。
にも関わらず、今では戦後になってから昔の人たちの絵を勝ってに空想して描き出し、それを真実の歴史だったかのように吹聴して、こんな歴史を後から作り出したようである。例えば、こんなもの。
http://homepage3.nifty.com/paranse-japan/rekishi.htm
伝統衣装「チマチョゴリ」の歴史は、古墳などの壁画から確認しますと、少なくとも B.C.57~A.D.668、三国時代・・・高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)まで遡ります。
チョゴリ(赤古里)と呼ばれる上着は長袖で、男性は女性用より丈が長く腰の部分まであります。 チョゴリの下には、女性は胸部分から優雅に広がる前掛け状のチマ(スカート)を履き、男性はやや幅広のパジ(ズボン)を履きました。
百姓たちは祝祭や結婚のような特別な日以外は白服を着用し、 上流階級の人々は明るい華やかな色の服を着ることにより社会的な地位を表しました。
男性用に比べ女性のチョゴリは、時代と共に様々な変化を遂げました。初期のチョゴリはお尻まで届き、腰で結んだと言います。朝鮮時代(1392-1910)の後期に入って脇まで短くなりました。また、袖がプンオ(魚の鮒)のように丸く膨らんだり、ストレートになったり・・・オッコルム(リボン)の形も細くなったり短くなったりと実に様々です。ただ唯一、いつまでも変わらないのが「着易さ」です。
パランセのチョゴリで時代のタイムトリップをお楽しみ下さい^^。
(後略)
しかし実際には、そういうものは、王族とその家族のごくごく一部であったにすぎず、一般人は白い服、それも乳房の見える寸足らずの服を着ていたのである。すでにたくさんの証拠が知られている。以下のものである。
そして、実際に日韓併合時代の伊藤博文の時代の明治に、朝鮮王、高宗王の皇后、閔妃(みんび)が着ていたのはこういうものだった。
つまり、上下にツートンカラーのセパレートの着物ではなかったのである。王妃や王族ほど、上下が一緒のワンピース型の、英国流でいうと「Aライン」のドレスのような着物だったのである(中は下着なしだったから、結構セクシーですナ)。この現代版を着ているのが、なんと今の北朝鮮の歌手たちである。以下のものである。
ワン・ジェサン芸術団
(そして、だれもコンスはしない!)
つまり、王様王妃のように身分の高い朝鮮人や韓国人は、ワンピース型のチョゴリを着ていたのであって、ツーピースは朝鮮王朝の場合、身分の低いもの、ようするに、奴隷の女官、すなわち「尚宮(さんぐん)」の衣装なのである。そして、尚宮の場合、袖口が広いために、中国流の「謝謝」のようなお辞儀をした。それが今韓国人がいうところの「コンス」なのである。したがって、王や王妃などの身分の高いものは「コンス」はしない。
どうやらこの王様や王族の伝統が生き残っているのが、北朝鮮の方である。したがって、私がこれまで調べた範囲では、北朝鮮では、上から下まで、つまり、身分の高い方から低い、一般人まで誰一人「コンス」お辞儀をしていないのである。これが事実のようである。
つまり、たかの友梨や高島屋や大韓航空や日本航空が日本人に押し付けている「コンス」
お股押さえの変なお辞儀 と思ってたら朝鮮式だったか 雅子妃など朝鮮人式のお辞儀と言えるしろものでもないのである。単に、現代韓国人が1990年代の金大中時代以降に「捏造した」架空の礼儀作法にすぎなかったのである。
だから、いまこんなことをしていたら、本当に世界中で笑いものになることは間違いないだろう。
(う)韓国人女学生の制服の謎
そこで、次に問題になるのは、現実の過去の歴史では、韓国人・朝鮮人の誰一人、「ツーピースセパレーツ型の服」を着ていなかったにもかかわらず、どうして韓国ではこの形のツーピースのチマ・チョゴリを韓国型の正装にしたのか?ということである。つまり、こんな制服。
ここで、これはけっして北朝鮮ではないということに注意すべきである。というのも、北朝鮮の女子学生の制服はこういうものではないからである。北朝鮮の場合は一種類のようである。こんなもの。
白いシャツに赤いスカーフにひだのあるスカートである。
なんとなく見覚えがあるはずである。日本の中学生の、一番昔のセーラー服がそのモデルなのである。それが、北朝鮮には残っているというわけですナ。
では、なぜ韓国の方がセパレーツ型のチマ・チョゴリにこだわったのだろうか?
こういう問題が出てくる。
私が調べた感じでは、まさにこれこそ「日韓併合は悪いものではなかった。むしろ、韓国人にとって素晴らしいことだった」ということの、遠い記憶や名残のようなものだったのだろうと思う。言い換えれば、「日韓併合の良き記憶」、「良い思い出」だったのである。
実は、日韓併合の結果、日本人が無学で文盲の朝鮮人たちに何千もの小学校を作って、現代的な教育を施した。その時には、日本から女学校を卒業したたくさんの日本女性も先生として協力したのである。そういう証拠がこれ。
http://blog.daum.net/_blog/ArticleCateList.do?blogid=0VcGa&CATEGORYID=2&dispkind=B2201より
当時の卒業写真には前列中央に日本の女学生の衣装を着た日本人の女性の先生が必ず写っている。その両隣には、日本の発明であるセーラー服を着た韓国人の生徒たちが写っている。
つまり、こういうことだろうということになる。
当時の人達、一般人はこういう格好をしていた。
そういう時代に日韓併合が起こり、学校教育が開始された。同時に、セーラー服を着るようになり、そこに日本から当時のアジアでは最先端の着物に袴姿の女子先生がやってきた。そして、勉強を教えてくれ、急速に近代化した。
この時の日本からやってきた女子先生のイメージは強烈なものだったに違いにない。
いつしかそういうイメージ、特に日本の女学生のツートンカラーのイメージが鮮烈に記憶に残った。健康的で知的で快活で明るい日本女性のインテリ女性のイメージが残ったにちがいないのである。
1-6.明治40年・祖母・高等女学校 1907
そして、いつしかそれが韓国人や朝鮮人の心理の根底に残った。そして、韓国では、ツートンカラーのチマ・チョゴリに繋がっていった。一方、北朝鮮では、セーラー服の制服につながっていった。
とまあ、そういうわけで、ツートンカラーのチマ・チョゴリもセーラー服も共に、日本人の女学生由来に違いないというのが、私が言いたいことなのである。たぶん間違いはなさそうである。
つまり、日本の大学の卒業式の定番、伝統の羽織袴のこの格好こそが、韓国のチマ・チョゴリの原型だったというわけですナ。
(ちなみに、上の写真にあるように、昔の日本の女学生は、みんなハイヒールの革靴を履いていましたから。草履ではなかった。草履では自転車はこげません。走ることもできませんナア。いったいいつから、そしてどこから草履を履くようになったんでしょうナア。舞妓じゃあるまいし、女学生が草履なんて履くわけがない。女学生は江戸時代の舞妓の格好から文明開化の象徴として誕生したもの。草履はね〜〜ヨ。これから革のハイヒールにすべし!)
それが私の結論である。
by kikidoblog | 2013-10-25 14:56 | 韓国・ウリナラ・法則