ゼロ戦の堀越二郎が「空の天才」なら、OU-32号の堀内浩太郎は「海の天才」だな!?
New boat from Kotaro Horiuchi
みなさん、こんにちは。
YouTube時代になってさまざまな昔の映像がだれでもただで見られるようになった。おそらく、新世代のテレビ(たとえば、アップルの考えているはずの新世代テレビ)は、こういったYouTube映像などインターネット世界に無数にちりばめられた良質映像を自動的にソーティングし、「良貨は悪貨を駆逐できるかどうか」にかかっているといえるだろう。今現在は、この逆で「悪貨は良貨を駆逐する」の時代だからである。さもなくば、ひっちゃかめっちゃかの糞味噌の世界、入り口と出口を間違えたり、口と肛門を間違えたり、過去と未来を間違えたり、まるで韓国人のような世界になってしまうことだろう。
さて、前置きが長くなってしまったが、
堀内浩太郎
堀内さんは東京五輪ボート競技の日本コーチでもあり、いまでもシングルスカルのマスターズで活躍する現役選手です。ことし9月にあるカナダ世界選手権にも出場されるそうで、いつもは鎌倉材木座でトレーニングしているそうです。堀内さんのような方とお話しできるだけでも価値があるなぁ、と思えたボートショーでした。
ボートショーに行きましたより
という人をご存知だろうか?
これぞ正真正銘の天才、天才ボートデザイナーやスポーツ機械デザイナーである。かつての東大航空流体工学科出身のエンジニアである。
堀越二郎が「空の天才」というなら、堀内浩太郎は「海の天才」というべき人物なのである。
83歳つかんだ世界一(鎌倉 堀内浩太郎さん)
つい最近、この堀内浩太郎さんが若き日のヤマハ発動機の現役だった頃の「勇姿」をYouTubeに乗せたアメリカ人がいたらしい。これがネット界で超絶の話題をさらっているというものを見つけたので、それをここにもメモしておこう。以下のものである。
海外「日本だと思った」日本人による海を飛ぶボートに外国人驚愕
その動画で登場するボートをデザインしたのは元ヤマハ発動機マリン事業本部長であり、スポーツマンとしても輝かしい経歴を残す堀内浩太郎さん。
YOUTUBEユーザー「Ray Vellinga」さんにより公開された当時のコンセプトムービーからの情報では船体の重量は約358kg、水面から45cmほど浮き上がり時速64kmほどのスピードを出せるとのことで、動画では海を縦横無尽に走るシーンがメインに映されています。
残念ながら発売はされなかったそうですが、動画の懐かしい雰囲気もあってどこかレトロフューチャーのようなワクワクが視聴者の心をつかんだようで、海外のネットユーザーたちからは
・なにこれ凄い!
・これカッコイイな!一つ欲しいわ
・ジェームズ・ボンドが乗ってそうw
・リアルライフ 007
・BGMがきになる・・・
・UFOは日本から来てたんだ
・日本だと思った
・これは面白い発明だなぁ。買うとしたらどのくらいになるんだろう。
・フェイクの映像にみえてしまう
・スピード調節とか安定性とかどうなんだろう
・ナイスミュージック
等々の声が多く寄せられていました。ちなみに水中翼船の一種であるジェットフォイルが飛ぶ原理についてはコチラに詳しく乗っています
というわけで映像は以下です。
堀内浩太郎の「OU-32」号
HYDROFOIL -- The Amazing Boats of Kotaro Horiuchi. Video posted by Ray Vellinga
実は、前のバンクーバーのずっと前に、私が日本のボブスレーの監督をしていた石井和男さんから、
どうすれば日本のボブスレーを強くできるだろうか?
と手紙で聞かれた時、私が「科学的にやらなければだめだ。将来的にメイド・イン・ジャパンのボブスレーを作れるようにならないと無理だ」と答えたのだった。が、その時に「ボブスレー工学研究会」が立ち上がった(今も存続しているかどうかは知らないが)のである。
その代表者選びをしている時に何人かの元東京大学航空流体力学の専門家の名前が持ち上がった。その中の1人がこの堀内浩太郎さんであった。結局、札幌冬期五輪の時に「スキージャンプ工学研究会」を作って、かの「日の丸飛行隊」で金銀銅をとった東大の研究室出身の東博士に代表者になってもらったのである。その研究会のまとめ役は石井孝雄博士だった。
ついでにメモしておけば、日本の自動車が海外の自動車と較べて、まったくオイル漏れをしないのは、この石井孝雄博士が発明した「オイルシール」のおかげなのである。世界の大半をこの石井博士の生み出した製品が占めているのである。
私は、柘植俊一博士の
「反秀才論」を読み解いた時にその本の中で、この石井孝雄さんを知ったというわけである。
そして、この石井孝雄さんから今度は堀内浩太郎さんという人を教えてもらったのである。
実は、東京大学でもっとも天才が集まった場所は、何を隠そう、この東大航空流体力学科だったのである。旧帝国大学時代では、そこの出身者たちが、ゼロ戦、戦艦大和、武蔵、紫電改、などなど、日本の無数の当時のハイテクを生み出したのだった。
戦後、東大の航空流体力学は進駐軍によって分解解体されたのだが、それでもその遺産は残っていた。そういう人たちが、上記の人たちだったというわけである。
現実の地球上の道具を扱うにあたって、「流体力学」は必須なのである。がしかし、今では、物理学科でもまともに流体力学を教えるところは少なくなったのである。
さて、その堀内浩太郎さんがそれまでの自分の発明のごく一部を本にまとめたものがあった。私もボブスレーに関係したその当時に買ったのである。それが以下の本である。
あるボートデザイナーの軌跡
あるボートデザイナーの軌跡 2
この二冊目の本のタイトル画像になっているものが、上のYouTubeのものである。
私は写真しかないものだと思っていたので、現物の映像がみれて実にありがたい。
というのも、いま我々に必須な技術はこういうものだからである。
2011年3月11日に何が起こったか?
そう、東日本大地震と大津波である。海は瓦礫の山と化した。
つい最近、フィリピンで何が起こったか?
そう、巨大ハリケーンである。やはり海は瓦礫の山となった。
そういう場所では、大型の船は何の役にもたたない。むしろ、ヤマハの堀内浩太郎さんの発明した「OU-32」とか、ほかさまざまな発明のボートを救命ボートにした方がいいのである。
あるいは、小型潜水艦とか、一時的に水没しても避難できるような船。こういうものが必須なのである。
私もかつてアメリカのユタにいた頃、真冬のブリザードの寒さ(氷点下15度)の中、車がエンストしてまったく動けなくなったことがあった。極寒の地で自動車が止まれば、則それは死を意味する。
そんな時、AAAのランドクルーザーが勇猛に駆けつけてくれ、エンストを助けてくれた時には、本当に「天の助け」と思ったものである。まさに「古き良きアメリカ人」のイメージさながらであった。
「You are welcome!」精神である。
堀内浩太郎さんのボートの数々を救命ボートにして、逃げるときには、水中翼船になって一気につっぱしる。津波よりも早く、あっという間に脱出する。そんな可能性を示しているのである。もちろん、マリンスポーツにも使えるすぐれもの。
堀内浩太郎博士のご存命のうちのいまこそ、こういった海の技術を開発する若者たちが出てきて欲しいものですナ。

by kikidoblog | 2013-11-14 09:53 | 人物