「ヨコミネ式教育法」と「岡潔の教育法」を結べ!:宇宙人ユミットも絶賛する「条件反射の法則」!?
昨日鹿児島の幼稚園の「ヨコミネ式教育法」のことをメモしたので、ついでに忘れないうちに私個人の印象を追加しておこう。ここはこういう真面目な話をメモするという場では必ずしもないのだが、非常に重要なことにつながっているからである。
(あ)「ヨコミネ式教育法」−−「子供をやる気にさせる4つのスイッチ」
もう一度、「ヨコミネ式教育法」を再掲すると、こんなものだった。
とてつもない日本:すごいぞ!「ヨコミネ式教育法」。これぞ日本人クウォリティー!
やる気を1引き出す天才教育1
やる気を2引き出す天才教育2
そこで、横峯理事長がいう「子供をやる気にさせる4つのスイッチ」とは、こんなものであった。
ヨコミネ式教育方法(やる気にさせるスイッチ4)
1.子供は競争したがる。
(順位をつけてやる気を出させる、子供には成長したいという本能がある。それを刺激する)
2.子供は真似をしたがる。
(真似したがる特性を利用する)
3.子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる。
(難しすぎるとダメだし、簡単だと飽きる。ちょっとだけ難しいことをやらせるのがコツ。慣れれば次のステップへと向かわせる)
4.子供は認めてもらいたい。
(実績を認めてあげる。達成感を覚えさせる)
(い)このスイッチが働く前の状況づくりに決め手がある!−−基盤の3条件
実は、この番組の中でそれとなく、かつ、さりげなく入っている話に実はこの「ヨコミネ式教育法」の本当の凄さが存在するのである。私はそう理解した。これらの4つのスイッチは、その基盤というか、土台というか、そういう大本が実現できて初めて成功するのである。
それは何か?
というと、横峯さんもいっていたが、私の気づいたものは以下の3つの条件である。
(1)朝のランニングと運動不足の解消
(2)午前中に自主学習
(3)規則正しい生活を送る
これらが土台となって、上のスイッチが入る。言い換えれば、4つのスイッチはこの基盤の上に乗っている、ということである。
ついでに付け加えておくと、最近はメーソン系の薬局大手が睡眠薬やうつ病薬を売りたいために、何かとうつ病だと偽って薬を処方する(という名目で薬売り)を行う。しかし、大抵の人がうつ症状だと思っているものはうつではない。医者すらうつ病の定義は存在しないのだから、かってに患者だと思っているだけのことである。
うつ病だと人が思っているものは、病気ではなく、状態なのである。つまり、うつ病ではなくて、うつ状態なのである。悲しいことやトラブルなどストレスにさらされると誰もがうつ状態になる。これは脳の自然な反応なのである。そこで、悲しみから生まれたストレスホルモン(血中コルチゾール)を涙として廃棄するのである。そうやって徐々に回復していくのである。
だから、極度に悲しい時は泣きに泣く。号泣し続ければいいのである。そのうち涙が枯れる時が来る。その時には、血中コルチゾールもなくなり、一汗かいた状態に近づく。すると、不思議なように気分が徐々に晴れてくる。
また、たいていの人が眠れないから鬱だというようなものは、たいていが実は食事不足と運動不足が原因なのである。栄養が偏れば、脳内ホルモンが不足し、運動不足は食欲不振につながる。ましてや光にあたらないとビタミンDができず、抵抗力が減る。結局、運動不足→光不足→食欲不振→栄養不足→脳内ホルモン不足などと連鎖が続く。
したがって、結局一番の根本は外での運動不足が睡眠障害の最大の原因なのである。
1時間外で走ってみよ。2時間ほど海水浴してみろ。その晩はだれでも熟睡する。
私自身、何かあれば、走り、何かあれば、リフティングする。そして汗だくなる。すると、涙を流したのと同じように、血中ストレスホルモンがとれ、気分爽快になるのである。
動物に言えることは子供にも言える。子供にいえることは大人にも言えるのである。
ちなみに、赤ん坊の夜泣きの最大の原因もまた運動不足ですナ。我が家の息子達は一度も夜泣きしたことがなかった。日昼に私がさんざんいっしょに遊んだからね。
(う)パブロフの犬−−条件反射
実は、この「ヨコミネ式教育法」は、かつてロシアの
パブロフ博士
が発見した「条件反射」というものの効果や意義を言っている。俗に、
「パブロフの犬」の実験で有名なものである。
パブロフの犬は、ソ連のイワン・パブロフが行った犬を用いた条件反射の実験のことです。 毎回、ベルを鳴らしてから餌を与えるようにしていました。 すると、 犬は、いつしかベルを鳴らすだけでもよだれを垂らすようになったのです。 本来は、 「ベルを鳴らす → 餌がでてくる → よだれが出る」 というプロセスだったのですが、 真ん中が省略されて、 「ベルを鳴らす → よだれが出る」 となったのです。
一般に「パブロフの犬」や「条件反射」というと、アニマル=動物だけの世界の話だと思うだろうが、実はそうではない。アニマルの進化系の知能系の人間にも動物以上に当てはまるのである。が、あまりこれが知られていない。これを岡潔博士も危惧したのである。
実は、この「パブロフの犬」の「条件反射」には、上で私がメモした「土台」や「基盤」が必要だといったもの、それと同じことが「土台」や「基盤」になるのである。
「条件反射」の「条件」というものが、幼稚園におけるさまざまなテーマや種目や課題だとすると、「反射」は「やる気」に対応する。その「反射=やる気」が起こるためには何が必要かといえば、「習慣」なのである。
「毎日、ある時刻に、ある一定の時間、同じことを行う」ということを習慣づけるということなのである。
これが「パブロフの犬」の実験でパブロフが行ったことである。と同時に、我々動物である人間にも犬や動物で言えること、動物で正しかったことはそのまま人にも成り立つのである。
つまり、次のような対応がある。
動物の「条件反射」 → 人の「条件反射」そして、これが見事に成立するためには、毎日根気よく習慣づけて行うことなのである。この毎日毎日同じことを同じ時刻に同じ時間行うという部分が普通抜け落ちるのである。
「条件」 → 「テーマや種目や課題」
「反射」 → 「やる気」
実は、「ジョン・デューイの教育法」の最大の欠点は、この「習慣性」というものの欠如なのである。デューイは、人や子供に子供の自主性やら個性やらという美辞麗句を弄するあまり、物事を達成したり技能を身につけるためには、パブロフの犬のような習慣性が大事だということを一切無視した点にあるのである。
そして、この習慣性を身につけるためには、岡潔が言った「小我(しょうが)」を抑制することを覚えさせなければならない、ということなのである。つまり、子供が自意識過剰になり、自分の欲やエゴや自我を出すと、気分屋になり、いつもその時々の思いつきに左右されてしまう。だから、毎日同じ時刻に同じ時間同じことを行うということができなくなるのである。その結果、技能が身につかず、発達しない。
人間の場合、横峰さんも言っているように、同じことをするといってもすでに出来るようになったことを与えてもすぐに飽きてしまうのである。だから、昨日よりは今日、今日よりは明日、ちょっとだけ難しい課題を人の子どもたちは要求する。だから、ちょっとだけ難しくして課題を与えることができるのである。その結果の積み重ねが上達を生むのである。
実は動物の訓練でも全く同じ。軍隊の訓練も全く同じである。サッカー選手の育成も全く同じことなのである。しかるに、普通の大人の場合も全く同じことなのである。
犬や動物でいえることは人にも通じる。ならば、子供で言えることは、大人にも通じる。そういうことになろう。ここに「ヨコミネ式教育法」の普遍性があるのである。
思いだしてみよう。
我々も結局、この「ヨコミネ式教育法」と同じようなことを行って技能を身につけたのである。日本語しかり、野球しかり、サッカーしかり、物理学しかり。
(え)子供から大人へーー「反抗期」と自我の芽生え
さて、3〜6歳児の幼児の場合はまだ自我がそれほど芽生えていない。だから、実に純粋にこの「ヨコミネ式」が成り立つのである。この時期は無批判だから、実に覚えが早い。
ところが、もうちょっとすると、自我が芽生える。と同時に、「批判精神」や「反抗心」が生まれてくる。何に対してでも「反抗する」。いわゆる、「反抗期」がやってくる。
この反抗期もまた自律への芽生えだから、実に自然なものである。ところが、この「反抗期」が「自我」と結びつく時に問題が生じ始めるのである。ヨコミネ式の幼児の場合にはこれはあまり問題ではないが、小学校に入るにつれ、これが現れ始める。
つまり、自我が時にすると、「自我=反抗」となって誤って芽生えるのである。なんでも「反対すること=自分の存在確認」となる場合があるということである。自己のアイデンティティーの確立が反抗することになってしまうのである。
この感性は日本人にもあるが、朝鮮人に非常に多いのである。これが俗にいう「自意識過剰」という言葉で表現されるものである。つまり、岡潔の言葉で言えば、「小我(=自分のちっぽけな感情)」にすぎないものが、さも自分最大の自己アイデンティティーだと錯覚してしまうのである。
さあ、こうなると、どうなるか?
毎日行き当たりばったり、その時々で自分という小我によぎった思いつきだけで生活するようになる。もはや習慣性は身につかない。すなわち、習慣性によって獲得される技能や才能は一切身につかないということになる。
これが我々が子供の頃みたり、出くわした「不良」や「ヤンキー」の連中の典型的な行動様式であろう。が、彼らは、こうやって成長が止まるのである。
岡潔が「小我を抑制させること」を第一の条件に上げたのはこれが理由である。それを象徴的に「ジョン・デューイの教育法」という言葉で表現したのである。実際、ジョン・デューイの教育法のように、自分がしっかり確立する前の状態の小我の自分の時代の子どもたちに、その自我に基づく教育を行えば、全員が不良になってしまうのである。何も身につかず、本能のまま生きるだけの人間に育ってしまうのである。
アメリカの場合、学校教育がこのジョン・デューイの思想でぐたぐたになったが、アメリカは軍国主義で軍隊がしっかり機能しているから、結局、グダグダの教育でダメになった若者たちもその軍隊に入って規律や習慣を身につけて、立派な人間に育つという、複線的社会があったからまだましだったのである。この軍隊がなければ、おそらくアメリカはもっと早く愚民化しただろう。
つまり、言い換えれば、ジョン・デューイの思想は「愚民化思想」なのである。愚民教育である。それがジョン・デューイに課せられた使命であった。
岡潔は日本では、最初にこの危険性に気づいたのである。
岡潔 「民族の危機」(1969):俺「民族の終焉」(2014)、もはや手遅れだナ!」
1. 人の中心は情緒である。そのつもりで教育すること。
2. 大脳前頭葉を充分使わせること。
3. 小我を抑止することを教えること。
なによりも大事なことは、「ヨコミネ式教育法」は、いわゆるスパルタ教育でも英才教育でもないということである。だから、子供を脅かしたり殴ったりして強制的に行わせるのではなく、北朝鮮の金正日のように英才育成を目的とした選抜された子どもたちのためのものでもないということである。人間の子供や人間に本来備わった特性をうまく合わせた方法にすぎないということなのである。
いま岡潔が生きていて、この「ヨコミネ式教育法」を見たなら、本当に大喜びしただろう。
(お)ウンモ星人「ユミット」もパブロフの犬の条件反射を重要視している!
実は、このサイトらしい宇宙人の話を付け加えておくが、この「パブロフの犬」の話は、J. P. プチ博士の「ウンモ星人ユミットからの手紙」という本の中でもしばしば出てくるのである。
ジャン・ピエール・プチ博士の「宇宙人ユミット文明」
宇宙人ユミットからの手紙
宇宙人ユミットからの手紙―30年間2000通の秘密文書の謎を解明
宇宙人ユミットからの手紙〈2〉人類介入へ精密なるプログラム
宇宙人ユミットからの手紙〈3〉人類の脳に「種の絶滅コード」を発見
我々人型生命体が技能や科学を身につけていくには、「パブロフの条件反射の法則」をもっと積極的に使わなければならないと主張しているのである。何事も習慣にしなければ身につかない。逆に言えば、習慣にすれば何でも身につけることができる。そういうことである。
一見、不可能に見えるような困難なことでも、仮にそれを実現しようと、毎日習慣的に行えば、いずれはそれができるようになる。特に、子どもや若者ほどそうだということである。
(か)子供が大人になる時ーー性の目覚めの時期「発情期」
さて、子供に自我が目覚め、そして、子供が第二次成長期を迎えて、女子は初潮、男子は精通が起こるようになる。真っ先に、異性を恋するようになる。だれかを好きになる。
これは、生物学的には性ホルモンがそれまでの12歳以下のものとくらべて数倍から最大8倍程度まで増加するからである。脳はこの性ホルモンの影響をもろに受けるようになるのである。これは、生物の種としての本能の芽生えであり、これによって種の保存である子作りの準備に入るのである。ここで一気に子供の脳は、男性脳と女性脳に変化すると考えられている。
自然な感情とは言え、いまやるべきことに集中できなくなり、四六時中好きな恋する相手のことが頭によぎる。すると、訓連よりは恋。学習よりは恋愛となってしまう。中には、それが乗じてセックスまで走ってしまうものも出る。そういう時期になる。こうなると、集中力が極端に下がり、習慣性が損なわれる。
これは動物では「発情期」というものに対応する。
「ヨコミネ式教育法」はあくまで幼稚園の幼児相手だから発情期の心配はなかった。だから、「ヨコミネ式教育法」は発情期に入った人間相手ではそのままでは成り立たないし、まったく通用しない。
実は、パブロフの犬の延長線上にある事実が存在する。これは、いわゆるブリーダーという人たちの経験則であって、パブロフのような科学者が実験して証明したことではないが、長いこと盲導犬や警察犬を訓練してきた人たちがその観察で発見した事実なのである。
それは何か?
というと、発情期にある犬の訓連の場合、「オスとメスを分離しなければならない」ということである。さもなくば、オス犬もメス犬も鼻が極端に良いから、相手のフェロモンを嗅ぎつけ、まったく集中できなくなるのである。もしそこで共存されておくと、四六時中「交尾」して、にっちもさっちもいかなくなるのである。
分子生物学の哲学は「大腸菌で言えることは人間でも言える」である。行動生物学の哲学は「動物でいえることは人間でも言える」である。
したがって、犬で言えることは、人間(の少年少女)にも言えるのである。
つまり、発情期に入った若者は、男女を分離しなければならない。言い換えれば「男女共学はよろしくない」ということである。
これがジョン・デューイの教育法の第二の欠点である。彼は男女共学の推進者であった。
つまり、12歳以下の幼児から小学生時代は男女共学はOKである。しかし、中学高校は男女共学はあまり良い結果を生まない。そういうことである。だから、戦前の教育法がもっとも理想的なものであった。それゆえ、岡潔も戦前のような教育体制を主張したのである。
これまた、ジョン・デューイの教育法は、愚民化政策の一環であったことがわかるだろう。
人間に対する言葉で言えば思春期、動物に対する言葉で言えば、発情期。そんな時期の訓連においては、男女共学が致命的なものになるのである。
そして、もう一つのブリーダーの観察がある。それは、訓連して何かの技能を身につける前に交尾した犬とそうでない犬(つまり、訓連されて技能を身につけた犬)を比べた場合、前者の犬はその後一生技能を身につけることが出来なかった、ということである。つまり、犬をオス・メス一緒にして、あやまって訓連前に発情し、交尾した犬は、その後二度と集中できず訓連すべき技能を身につけることがなかったということである。
犬で言えることは必ず人にも言える。
つまり、人の場合、まだ初等教育の段階で読み書き程度しか身につけていない中学校の段階で性に目覚め、セックスすると、その後二度とより高度な技能が身につかないということである。ましてやそこで子供が出来親になれば、もはや家庭を作るほか無く、高校や大学教育や大学院教育などの高等教育を身につけることも、スポーツや文芸や音楽などのあらゆる訓連を要するものは身につかないということなのである。
つまり、子供には「小我」を抑制し、思春期の子供には「性欲」を抑制させる。そのためには、思春期は男女別学にすること。性欲は過度に刺激しないこと。これに尽きるのである。
ジョン・デューイはここでも間違いをしていて、子どもたちの自然な恋愛感情を育めというのである。これがジョン・デューイ教育法の第三の欠点である。これまた愚民化政策の一貫であったことがわかるのである。
つまり、教育を身につける前に性に目覚めると、二度と教育はつかない、ということなのである。
もちろん、人間だから、死ぬ気になってやろうと思えば不可能なことはない。が、死ぬ気にならなければならなくなるほどにより困難になるということなのである。
ところで、ちまたに子どもたちに性を対象にしたエッチゲームが氾濫しているが、その目的はもちろん愚民化である。まさにジョン・デューイの思想の信奉者たちである。在日韓国人や偽ユダヤ人の会社が行っている。つまり、悪魔主義者のメーソン企業がそういう愚民化政策を行っているわけですナ。
ちなみに、小中で性教育と称していたずらに異性に関心持たせる教育も、メーソンが仕込んだ愚民化政策の罠である。そういうことが分かっている。小学生にリアルな性教育は必要ない。中学生に性教育すればむしろそっちに捕われ集中できなくなる。サカリのついたメス犬にオス犬をさしだせばどうなるか?犬で言えることは人にも言えるのである。この時期の男女は性に関しては無知にさせておくのがもっとも自然なのである。この意味では、マンガ、ゲーム、TV、ビデオなど青少年への極端な制限が必要なのである。まあ、戦後の日本はまんまとメーソンの愚民化政策の罠に陥ったのである。
また、灘、開成、ラ・サールなどのいわゆる名門校は基本的に男子校である。女子校は名門校になれる。しかし、戦後男女共学化した戦前の名門はすべて平凡化した。その理由が男女共学であった。まさに共学による驚愕である。思春期は男女別学にすべきなのである。それが生物学の帰結である。戦前には天才児が多く育ち、戦後は皆無になったのは、男女共学がその原因である。
ここにもジョン・デューイが愚民化教育法だったことが証明できるのである。
(き)子供が大人になる時ーーここに人生のドラマが始まり、文学や音楽が始まる。
そして、最後に、自分の成長が止まり始める時が来る。あるいは、何かから卒業すべき時が来る。あるいは、自分の夢や理想と現実との間で葛藤する時が来る。
自分の子供の頃からの自分の夢を追い続けるか、夢を諦め次の段階に進むかの選択に迫られる時が来る。
これが何時の時代もどこの国でもいつも問題になる各個人の人生最大のテーマとなる。
諦めたくない、しかし、そのチャンスは見えない。
自分の子供の心ーー成長したい心ーーをいつまでも持ち続けたい。
自分は社会の中で何かの役割を果たしたい。
自分の置かれた家庭環境の中で、自分に課せられた大人の役目がある。
子供の心と大人の役目の葛藤が出てくる。
ここに人生の人生たる面白さ、ドラマが生まれるのである。
My Way from Def Tech OKINAWA LIVE
いや〜〜、人の成長って実に面白いものですナ。
おまけ:
deftech bolero 高音質 歌詞付
by kikidoblog | 2014-04-10 10:49 | アイラブとてつもない日本