科学者と一般人の間には「深くて暗い川がある」:それでも今夜は船を出す!?
黒の舟唄/野坂昭如
みなさん、こんにちは。
いやはや、小保方「おほほ細胞」と利権STOP細胞の件は史上最悪の展開のようですナ。同時に、科学の「か」の字も知らない、科学者の努力の中身の「ど」の字も知らない、トウシロウが取らぬ狸の皮算用やら欲の皮だけつっぱらせて、なんだあかんだあとうるさいこと。シャラップ!だ。
この件に関しては、優れた日本人論のネズ氏も同様だった。いやはや、あきれ果てた。百人一首だけやってくれ。
[緊急投稿]国は小保方晴子さんを護れ!韓国人の思考は、上下関係だけ。理屈ではなく、数にまさるものが勝つ。というようなことをあれだけのたまっておきながら、科学者内の真偽の問題に、一般人を巻き込んで抱き込もうとする戦略に見事に乗ってしまった。上手の手から水が落ちるというやつですナ。
(こういう思想で科学を語られると、金を生まない科学者は死ね、というようなことになりそうで困るナ。ネズ氏の底が知れたナ。STAP細胞研究は小保方以外の不正しない人がやれば良い話で、彼女は嘘つきなんだから永久追放しかないのだ。それはやる前からわかっていたことだろ。)
かつてジャック・モノーだったか、CPスノーだったか、昔読んだ本に「2つの文化」という言葉があった。探すと、スノーだった。以下のものである。
二つの文化と科学革命
この時代の西洋世界では、科学に疎遠な一般人と科学者との間に「男と女の間の深い河のような溝がある」ということを論じたものである。
ちょうど今現在の日本がそんな「2つの文化」の時代に入ったようである。
まあ、これは一般人がお金持ちになったという証明であるし、一般人にある程度教育がついたということでもから、必ずしも悪いことではないにちがいない。
さて、そこで本当の問題はなにか?
というと、実は、その科学者の方に問題があるのである。あまりこのことは知らされていない。日本でも世界でもこういう問題をあからさまに批判してきたのが、私を含む若干名程度のものだが、最近では、例のフランスのJPプティ博士もその1人である。
つまり、科学者が増えすぎて、競争が激しくなりすぎて、研究職や大学職を得たかったり、有名になりたかったりするにつれ、一種の「売名行為」や「はでな命名」の言葉や概念を弄するようになったということである。
たとえば、いわゆる表の科学の「標準科学」の分野ではこんな感じ。
宇宙論では、ブラックホール、ダークマター、ビッグバン、。。。。。。
素粒子論では、超ひも理論、万物理論、隠れた次元、10次元、。。。。。
物性では、量子コンピュータ、光コンピュータ、。。。。。
分子生物学では、iPS細胞、STAP細胞、不老不死、。。。。。
などなど、ジャーナリスティックなウリナラファンタジーのような美辞麗句が続くわけである。
かたや、我々かなりアウトサイダーの研究分野ではこんな感じである。
反重力、テスラ波、フリーエネルギー発電機、空飛ぶ円盤、UFO、放射能除去装置、 。。。。。
実は、一見すると、どれもが「夢の様な科学」の雰囲気を持っている。方や、下の方の私が研究中の分野はオカルト的な怪しい空気を醸し出す。
なぜか?
ここが問題なのである。
上の標準理論の世界では、儲かるのは大企業。下の系列では損するのが大企業だからである。だから、わざわざそういうふうに一般人を「洗脳」しているのである。大企業や学会が認めないものは、事実無根のオカルトだよってナ。
ところがどっこい。
実際には、上で上げたものでは、iPS細胞以外はどれひとつ完成していないのである。本当の意味で証明されたものは何もないのである。iPS細胞とて、同様。人に施してみるには問題が山積みなのである。あくまで可能性の世界に過ぎない。
つまり、何をいいたいかというと、「可能性の世界に過ぎない」ものがあたかもすでにそれがそこに本当にあるかのように思っているということなのである。嘘も百回言えば真実になる、というどこかでよく聞く話と同じなのである。
物事は、ある言葉とその定義によって解釈する。だから、さまざまな解釈があり得る。が、その中で自分に都合いい解釈だけを認めて、それを金と権力でゴリ押しする。そういう傾向がひどくなったということなのである。
ブラックホールはあくまでアインシュタイン理論の解にすぎない。これは単なる数学式だから、この元のアインシュタイン方程式が間違っていれば、もちろんブラックホールはもともこもない。アインシュタイン方程式は、特殊相対性理論の延長だから、エーテルが存在しないということが前提になっている。だから、もしこの宇宙にエーテルが希薄であっても存在すれば、それで終わりである。
なぜかこういうことを言わない。
同様に、ひも理論はそのアインシュタイン理論を前提にしている。だから、結論は、以下同文であろう。
逆に、今度は、私が研究しているようなものは、エーテルがあれば、すべて正しくなる。つまり、標準理論とは裏腹の関係にある。いわば、カウンターサイエンスなのである。だから、オカルトではない。双対的なのである。
したがって、可能性の世界で考える限りでは、どちらにも分があるのである。
さて、STAP細胞も同様である。これは、韓国のウリナラファンタジーのようなもの。偽ユダヤのシオニックファンタジーの一種なのである。嘘も百ぺんつけば真実になる。京都に「百万遍」というところがあるが、百万回も嘘をつけば、もう真実のようにマスゴミ世界では振る舞うのである。我々は偽ユダヤ人のついた嘘や共産支那人のついた南京大虐殺捏造や韓国人のついた従軍慰安婦捏造のうそで懲りているはずであろう。
しかしながら、これが科学の世界でも同じだということは、「2つの文化」の平凡人の文化に住む人にはなかなかわからないのである。
ダークマターなんていうものは、STAP細胞と同じで、あったらいいなというような仮説に過ぎない。
だから、それを証明するのである。
元来科学者ほど「保守的人種」はいないもので、実験的に証明されず、理論的論理的にも証明されず、ましてや計算も出来ず、再現もされず、というような言説は一笑に付されてしまうのである。バカにされて終わりである。見向きもされない。
だから、寝食削ってまでして、計算や数学的証明に明け暮れるのである。実験家なら実験的証明に明け暮れるわけですナ。
きっとこの時の努力の様や集中力の様をみれば、人はクリスチャン・ロナウドの高等サッカー技術を見た以上の感銘を受けるに違いない。それほどに集中するのである。
岡潔博士に至っては、3日寝ずで考えたというほどである。こんなことが、ロナウドにできるか?私には出来ない芸当である。
本当に真実を見つけた人なら、あらゆる質問や疑問に対して、簡単明瞭に過不足無く瞬時に答えられるものである。
泣きわめいて感情に訴えたり、怒ったり、そういうことをする必要はないのである。
センセーショナルな美辞麗句は詐欺の十八番、常套手段である。同様に科学においても、あまりにファンタスティックな美辞麗句のついた概念には要注意なのである。それは、標準科学であろうが、オカルトであろうが、カウンター科学であろうが、同じことである。
しかしながら、科学者の科学者たることは
我々は歴史に学ばない
ということなのである。いつの日か空飛ぶ円盤を作ってみましょう、という心意気である。
そのためにこそ、地道に証明や再現実験が必要なのである。そういうことを一つ一つ積み重ねていく以外に道はないのである。
俺はそう思うがナ。まあ、俺にはどうでもいいことだがナ。
おまけ:
「科学の大発見」はもうない?
ノーベル賞の受賞理由となる業績の発表から、実際に選考されるまでの期間は以前に比べて長くなっている。このことは、科学の世界にはもう画期的な大発見の可能性が残っていないことを窺わせるものだと、かつてのベストセラー『科学の終焉』の著者ジョン・ホーガン氏が改めて指摘する。
「科学の大発見」はもうない?
科学界で“ネタ切れ”が起きていることを窺わせる兆候が、近年いくつも確認できる。とりわけ、万物の根本原理を探る基礎物理学の分野でそれを感じる。私は1996年の著書『科学の終焉(おわり)』(邦訳:徳間書店1997年)の中で、こうなることを既に予測していた。
4月9日付けで「Nature」誌オンライン版に掲載された指摘も、こうした兆候のひとつだ。科学の業績が発表されてからノーベル賞を獲得するまでの期間が以前より長くなっていることを、フィンランドのアールト大学で複雑系を研究するサント・フォルトゥナト(Santo Fortunato)教授らのチームが指摘している。
この傾向は生理学・医学賞では比較的目立たず、物理学賞で最も顕著だという。1940年以前の受賞者のうち、20年以上前の業績を評価されたのは、物理学賞ではわずか11%、化学賞で15%、生理学・医学賞で24%だった。ところが1985年以降にはこの数値は跳ね上がり、物理学賞で60%、化学賞で52%、生理学・医学賞で45%となっている。ノーベル賞は存命人物のみを対象としているので、もしこの傾向が今後も続けば、今世紀末には受賞まで生き長らえる研究者はいなくなってしまうとフォルトゥナト教授らは書いている。
「Nature」誌への短い寄稿の中では、フォルトゥナト教授らはノーベル賞の今後についての懸念を表明するに留めている。しかし同じチームは別の未発表の論文の中ではもう一歩踏み込んで、ノーベル賞の授賞決定の遅れは「自然科学の基礎研究の分野においては、新発見が認められるまでに要する時間が増しているという共通認識を裏づけるもののように思われる」と指摘している。「この傾向はやや心配である」。
これを読んで思い出したのは、「アインシュタイン以後、天才科学者は絶滅した」とする小文である。著者は心理学者のディーン・キース・シモントン(Dean Keith Simonton)氏で、やはり「Nature」誌に昨年掲載された。科学者は科学の発展の犠牲になっているとシモントン氏は指摘する。「理論と装置(の発展)によって、今では宇宙の誕生の瞬間や宇宙空間の果てまでが探索できるようになった」ため、現在の科学研究とは「既に確立された、特定の分野の中の知識」に何かを付け加えることでしかなく、飛躍的な重大発見は望めないというのだ。私も『科学の終焉』の中で、同じようなことを書いている。
もちろん、すべての物理学者が同意見だというわけではない。イギリスの天体物理学者のマーティン・リース(Martin Rees)氏は、ノーベル賞について正反対の見方を示している。授賞の遅れは「候補者の数が増え続けている」ことの現れだというのだ。
リース氏の考えでは「かつてないほどの数の人が、初期の受賞者の大多数と同水準の業績を達成している」とのことだ。そのリース氏も「素粒子物理学の分野には確かに若干の停滞が見られる」と認めている。
近年、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)での実験を通じてヒッグス粒子の存在が確認されたことは、素粒子物理学の勝利であるとともに、この分野の問題を示してもいる。ヒッグス粒子の存在が確認されたことで、その存在を最初に提唱したフランソワ・アングレール氏とピーター・ヒッグス氏が2013年にノーベル物理学賞を受賞したが、この提唱は実に半世紀も前に行われたものだ。
LHCでの実験で裏づけられたヒッグス氏らの仮説は、素粒子物理学の基礎となる標準理論(標準模型)の花形選手と目されている。しかし、「森羅万象のほぼすべてを説明する理論」と言われている標準理論も、実際には物事を完全には説明できていない。そこで物理学の世界では、この数十年ほど、標準理論の克服を目指して、さまざまな「統一理論」が提唱されている。これらの中で特に人気が高いのは、9またはそれ以上の次元の超空間において振動する微小な弦を万物の根源に据えるものだ。
しかし、この弦理論をはじめとするさまざまな統一理論の根拠はまだ明確でなく、それゆえノーベル賞の対象ともなりにくい。近年のノーベル物理学賞は、標準理論などの既存の理論の発展に貢献した研究に授与されており、万物を説明しうる新たな優れた仮説が評価されることはない。
基礎研究の時代は終わったという私の見方が、むしろ間違いであれば良いと思う。例えば1990年代後半に宇宙の拡大が加速していることを発見した天体物理学の2つの研究チームは、2011年にノーベル物理学賞を受賞した。この発見はまったく予想外で、宇宙に関する私たちの理解がまだ不完全であると感じさせるものだった。
さらに先月には、宇宙にあまねく存在するマイクロ波の観測によって、初期宇宙における“インフレーション”が裏づけられたとの研究が発表された。インフレーション理論は、私たちの宇宙がビッグバンの直後に超光速で膨張したとする画期的なものだ。この理論は、私たちの宇宙全体が、さらに大きな「マルチバース(多宇宙)」の中に含まれる小さな泡沫のひとつにすぎない可能性すら示している。
ただし、私はまだインフレーション理論には懐疑的だ。この理論にはさまざまなバージョンがあって、それゆえ事実上すべての観測結果を「予測」できることになっているが、それは実際には何も予測できていないのと同じことだ。弦理論にも同じことが言える。マルチバース理論については、私たちの宇宙のほかにいくつ宇宙があると仮説を立てても、その宇宙は定義上、観測不可能なのだ。
そして、このように純理論的な仮説に人気が集中していることこそが、これ以上新たな発見は望めそうにないと考える最大の理由である。
とはいえ、もし今後の観測によって新たに十分な根拠が見つかり、インフレーション理論がノーベル賞を受賞するのであれば、それは嬉しいことだ。物理学者で、マルチバース理論を支持する立場のマックス・テグマーク(Max Tegmark)氏は、インフレーション理論はノーベル賞を「狙える」位置にあると考えている。
だがもしインフレーション理論にノーベル賞を認めるのであれば、急がねばならない。この理論が初めて提唱されたのは30年以上前のことで、提唱者のアラン・グース(Alan Guth)氏は現在67歳、アンドレイ・リンデ(Andrei Linde)氏も66歳になっている。
Photograph by Rex Features, AP
by kikidoblog | 2014-04-11 16:10 | マスゴミ