科学界では「悪意がない」は争点にならない!:「バカだから間違う。嘘つきは去れ!」それだけヨ!
みなさん、こんにちは。
いやはや、利権こと理研(理化学研究所)vs小保方晴子の対決
は、予想通り、不毛なる仁義無き戦いへと発展し、両者のサラリーはすべて我々の税金で出来ているということから考えても、早急に示談して、次に持ち込むべきであろう。さもなくば、裁判費用にも裁判官や弁護士のために税金がかかり、何も関係ない一般国民だけが損をする結果になるからである。
さて、問題は、その争点であるが、どうやら小保方陣営の弁護士は、何をとち狂ったのか、その争点は
「悪意がない」
ということにしたらしい。以下のものである。
巧みに世論の同情誘う 「小保方陣営」の戦略にハマった理研
長期ドロ沼化の可能性もあるSTAP細胞問題。現時点でイニシアチブを握るのは、どうやら小保方さん側のようだ。
理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(30)の弁護団が21日、理研側に対し、不服申し立ての補充書を提出したことを明らかにした。不正行為を認定された画像について、「悪意のない間違い」などと改めて主張する内容だ。
小保方さん側がコメントや文書を発表するのは、4月9日の2時間半に及ぶ会見以来、これで6回目。本人こそ会見から、公の場には姿を見せないが、実に積極的じゃないか。
(以下省略)
しかしながら、この件は、民事でも刑事事件でもない。科学上の事件である。だから、いわゆる争点は争点足り得ない。ここを小保方晴子もその弁護士も理解していなかった。
まず、「科学論文の執筆者=科学論文を公表しようという者」は、基本的に「悪意は存在しない」。なぜなら、最初から人類の発展のために貢献しようとか、そういう目的があるからである。
一般人は知らないだろうが、ネーチャーなど科学雑誌には、そのそれぞれに膨大なる「投稿規定」(パンフレット並み)が存在し、その中でちゃんと「人類への〜〜分野への貢献を目的とした論文」というようなことが書かれているのである。その規定に同意するためのサインを行った誓約書付きで論文を投稿するのである。
だから、論文投稿者に悪意は存在し得ないのだ。
しかしながら、なぜ間違った論文や問題のある論文があるのか?
といえば、それは論文投稿者である、論文著者がバカだからである。当人のアホさ加減や不注意加減によって、論文に間違いが見つかるわけである。それ以外の何ものでもないのだ。
(あ)一番卑近なよくある間違いは、ケアレスミス。タイプミス。文章の置き場所のミスなどである。論文作成時に混入した間違いがそのまま残ってしまったというものである。
(い)二番目によくある間違いは、雑誌の編集者によって入ったミスである。編集者が著者の真意を勝手に判断して、単語やフレーズをより適切にしたいと思って変えたつもりが、改悪になったというようなものである。
こういうミスがもっとも多い。完璧なノーミスの論文は実はこの世には存在しないのである。だれもが完璧な美しい、ミスのまったくない論文を出したいのだが、それは不可能なのである。だから、どこかに必ず1つ、2つのタイプミスなどが入るのである。
これは本でも同じことである。校正を完璧に行ったつもりでも、かならずどこかに不備が見つかるのである。
しかしながら、こういうミスはだれでも犯すものだから、別段特に問題というものとは見なされない。
(う)三番目に多いのが、計算ミスや数式のミスである。理論的な論文の場合、数式やその数値計算やグラフなどが入る。そういうものをミスして書き込んでしまう。そういうようなミスである。
しかしながら、こういうものは、計算してみれば、結果が修正できるから、これもまた特に問題とはみなされないのである。そんなものだ。
だれもが計算ミスをするし、だれもが数式の書き損ないもするからである。その文脈(コンテクスト)から分かるものは問題ではないのである。
実際に理論物理の有名な論文で、大事な式が間違っていたというのも結構存在するのである。さらには、証明が間違っていたが、結果だけはあっていたというものもある。
物理の場合は、計算よりも「概念」が大事であって、あたらしい概念の創出を行う論文こそ最も大事なことであると考えられている。だから、多少計算が間違っていようが、証明に難ありであったとしても、結果オーライと言われる。
俗にこれは「クリエイティブエラー(創造的誤り)」と呼ばれるようになった。イギリスのノーベル物理学者のネービル・モット卿(Sir Navil Mott)はたびたびこの創造的間違いを犯した論文を書いたが、だれもそんなことで問題視しなかったのである。
大事なのは概念の実り豊かさとその結果としての実証性なのである。
(え)四番目に多いミスは、間違った図や表を書き込んでしまうというものである。これも結構多い。特にたくさんの図やグラフを含めた論文では、執筆者はかなり混乱するために結構間違いやすい。だから、基本的には本と違って、論文では出来る限り図やグラフは最小限にするというのが一般的エチケットである。
さて、翻って、小保方論文の場合はどうか?
この場合は、生物学の新現象の論文である。その実験的証明を行うことが目的の論文である。
こういう場合、論文の焦点は、その論文の目的とする問題とその証明である。目的は、「STAP細胞の存在をみつけること」。その証明は「STAP細胞の証明」ということになる。
したがって、もし私がこの論文を書くとすれば、こういう展開になるはずである。
(1)STAP細胞までのこれまでのあらすじ。まあ、おおよそこんな感じの論文を作るだろう。
(2)何がわかれば、STAP細胞の証明になるのか、の説明。
(3)そのための証明の手順の説明。
(4)論文で実際に使用する実験器具の説明。
(5)実際に行った実験の様相。
(6)実験結果の提示。
(7)実験結果とSTAP細胞証明との対比。
(8)結果の考察。
(9)まとめと著者それぞれの貢献度の具合。
(10)文献。
さて、そこで小保方論文で問題になったことをチェックすれば、
(1)→無断盗用でアウト
(2)→不明確でアウト
(3)→だいたいOK?
(4)→だいたいOK?
(5)→昔の別論文や他人の論文からの無断盗用でアウト
(6)→昔の別論文や他人の論文からの無断盗用でアウト
(7)→あいまいでアウト
(8)→めちゃくちゃでアウト
(9)→嘘だらけでアウト
(10)→インチキ引用でアウト
とまあ、だいたいこんな感じのようですナ。
というわけで、これは著者に悪意あるなし以前の問題。著者はバカか、精神障害者(妄想狂)か、あるいは、学者の適正なしのどれかという問題にすぎないということになる。
まあ、適当にこれまでのニュースで聞いたことから判断しての話だから、それほど当てになるものでもないだろうがナ。
自分がやっていることの出来不出来も、真偽も、自分で判断できない。つまり、自分が嘘ついたかも嘘ついていなかったかも、はては、自分が間違っているのかも間違っていないのかも自分で分からない。こういう人は論文を書くべきではない。ましてや科学者として相応しくない。
人間やめますか、それとも。。。。
というような感じの話なのである。やはり一旦入院して、精神と脳の検査を行った方がいいだろう。
だから、
どうしてこういう人がネーチャーに論文が出せたのか?
どうして理研のプロジェクトリーダーの職まで得ることが出来たのか?
どうして名門ハーバード大でポスドクになれたのか?
どうして早稲田で博士になれたのか?
どうして高校卒業できたのか?
。。。
どうして生まれたのか?
とまあ、俺としてはこっちの方に関心があるわけですナ。
21世紀最大の科学スキャンダル
これはそれなりの理由があったはずなのである。それにしてもハーバードも悪よのう。
いずれにせよ、「悪意ない」から「インチキ論文出して良い」となったら、科学の終焉ですナ。
分かるか?小保方の弁護士さんヨ(たぶん、この人らは在日ですナ)。
嘘がまかり通れば、もはや科学の世界はお隣の韓国のようになってしまうんですナ。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog | 2014-04-23 15:53 | 反日・在日の陰謀