1941年ヒトラー総統、松岡洋右外相訪独を大歓迎!:真実の歴史がいま蘇る!?
百聞は一見にしかず。
いよいよ「真実の歴史」の映像がこれまたYouTubeに出てくるようになったらしい。以下のものである。実にすごい映像である。
1941年大日本帝国の松岡洋右外相のドイツ帝国訪問のものである。
海外「俺達は嘘の歴史を教わった」 日独の蜜月を伝える貴重映像に外国人衝撃(おもしろいので、拙コメントを赤字で入れた。)
映像は1941年に、当時の外務大臣であった松岡洋右が、
ドイツ、イタリア、ソビエト連邦を歴訪した際にベルリンで撮影されたもので、
ベルリン市民の熱狂的な歓迎を受ける様子が紹介されています。
Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 1/2
大変貴重な映像に、外国人からは様々なコメントが寄せられていました。
Part2はこちら リクエストありがとうございましたm(__)m
Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 2/2
■ これはまた素晴らしく貴重な映像だな~。
投稿してくれて本当にありがとう。 アメリカ
■ この映像凄いなぁ!! この2カ国の盟友関係がずっと続くといいね!! アメリカ
■ 彼らは世界を征服し、他の国を従えさせることを夢見ていた。
4年で連合国に倒される結末を迎えるわけだけどね。 タイ→これまた誤解の大嘘。松岡さんが何をしにドイツに行ったのかは後述。
■ 友達が2ヶ国しかないと、これくらい熱狂しちゃうもんなんだろうねw カナダ→第一次大戦敗戦で疲弊しきったドイツに無償の資金援助を行ったのが当時の日本。これを日本がドイツを作ったという言い方がされることもある。今の中国と韓国を資金援助したのが日本だったのとまったく同じこと。今も昔も日本はいい意味のお人好し。英米は一銭も援助しないから。
■ 当時の日本も国家社会主義的な国だったわけ? フィンランド→日本は天皇制。天皇制は社会主義国でも共産主義国でもない。
■ 日本とドイツの美しい友情が見れてよかった。 フィリピン
■ こんな歴史的な映像は他に観たことないぞ! アメリカ
■ 素晴らしい映像だ。ようやく日独をいたずらに悪く描いてない映像を目に出来た。
俺は歴史の授業で、アメリカのプロパガンダを聞くのにうんざりしてたんだ。
もちろん日本とドイツは悪いことだってやっただろうさ。
だけど正直、歴史的に観たらアメリカとイギリスのほうが差別的な国だろ。
何でアメリカとイギリスだけが讃えられてるのか。
それは、2カ国が自分たちの好きなように歴史を作ってるからだ。 アメリカ
■ 戦争に勝った者が歴史を書くわけだから。
この世界には、WW2以前にだってホロコーストの事例はあったんだ。
だけど連合軍は、過去に例を見ない戦争犯罪としてプロパガンダに利用した。
誰もアメリカで起った日系人強制収容所とかについては何も言わないだろ。
戦争は地獄だ。どちらかが正しいなんてことはない。
戦争に加わった国、全てが悪事を行ってるんだ。 アメリカ
■ 誰が正しいのか。
残念だけどそれはいつだって、勝者が決めるものだからね。 ドイツ
■ 俺、当時のドイツはアジア人が嫌いなのかと思ってたよ。 マレーシア
■ 同盟国として日本を選ぶ……。負けて当然だわな……。 ブラジル→ブラジルに渡った韓国人の意見だナ。日本を選んだのではない。日本がドイツを復興させたのである。
■ 日本は同盟国として素晴らしい働きをしただろ。 デンマーク
■ 日本は枢軸国の中で一番最後に降伏したんだよ。
だって日本はドイツとイタリアよりも強かったから。
日本を降伏させるために、原爆まで使う必要があったんだ。 アメリカ
■ 連合国は対日本より対ドイツにもっと力を入れてたからでしょ。 国籍不明→アホか?日本と連合国が戦った広さと場所を考えろ。ドイツと連合国は欧州とアフリカのみ。日本はインドとアジア全土からオーストラリアまでの広範囲だ。
■ 日本以上にドイツに友好的だった同盟国は今も昔もなかった!
紙の上だけじゃない、本物の友情が2カ国にはあったんだ。 ドイツ→全く正しい。日本人は人種や文化や宗教でみない。この世界への価値貢献度で見る。だからアフリカの黒人マラソン選手でもインド人の物理学者でもその価値に応じて人を賞賛する。そういう国。逆に反日や不遜犯罪者には厳しくしつけする厳しい国。
■ どうして日本人をアーリア人種として見てたのかが分からないんだよなぁ。
ヤマト民族は東洋のアーリア人だって見なし方をしたりさ。
それでアメリカ人のことは「劣等」って思ってたんでしょ??? アメリカ→米人は劣等ではなっく、鬼畜と考えた。怪物くんだよ。褒め言葉さ。
■ 当時のドイツは、全ての人種に対して差別的だったわけじゃないんだな。
自分たちのイデオロギーを取り入れてくれる国なら迎え入れてたんだ。 アメリカ
■ ドイツは日本も他のアジアも一掃するつもりだったと思うけどね。
結局その地域の人たちは、アーリア人種ではないんだから。
単に日本を利用してただけ。そして日本はその事に気付かなかった。 アメリカ→こいつの洗脳は深い。ヒトラーの「わが闘争」を読んでいないな。ヒトラーは日本人を非常に高く評価していた。ましてやヒトラー時代のずっと前の欧州は「ジャポニズム」のブームがあった。やはりバーガーばかり食っているとバカになるんだな。
■ 混乱してるぜ。 アーリア人至上主義だったっていうなら、
枢軸側が勝った時、ドイツはは日本をどうするつもりだったんだろ? カナダ →ヒトラーは遺伝的にユダヤ人だったことが証明済み。ユダヤ人はセミであってアーリア人ではない。
■ 歴史的な瞬間を今こうして目にすることが出来るとはね。 ホンジュラス
■ ホント何でこの2カ国が同盟したんだろうなぁ。
当時のドイツって、白人至上主義を標榜してたはずなのに。 アメリカ
□ こんな過去があるのに、ネオナチがアジア人を迫害してるのは何でだ? ドイツ
■ だって彼らに本当の思想なんてないもん。 ニュージーランド
■ ヤツらは何かを学んで行動を起こしてるわけじゃない。
当時のドイツはアジアよりもロシアに対して敵意を抱いてたんだ。
なのにネオナチはロシアにいるんだよ。ハハ。 国籍不明 →ネオナチはアングロサクソン系の偽ユダヤが作ったもの。悪魔主義者の別名にすぎない。ナチスとは異なる。イスラムとアルカイーダが全く違うのと同じ。
□ ああ、俺は単に皮肉を言っただけなんだ。
今までここドイツで、外国人を排斥する残念なヤツらを見てきた。
外国人たって、単なる学生や旅行者なのにな ドイツ
■ 偉大な国日本。あの国の歴史を見るに、彼らは不屈の民だね。 エクアドル
■ オーッ、これ凄いなぁ。
ドイツ人でも日本人でもないのに、ちょっと嬉しくなっちゃったよ :)
実際のところ、真実ってものは勝者が握るものなんだ!!!
ドイツと日本は、連合国側が描いているようなモンスターではない。
そのことに世界中が気づき始めてるぞ!!!!
南米からのメッセージでした。 イギリス在住
■ 日本とドイツは負けて当然の国だった! マレーシア→日本がマレーシアのオランダを駆逐し、学校を建てマレー語の教育を授けたことを忘れたのか?日本がなければ、君らはいまだに裸の奴隷だよ。そのほうが良ければ今からでも元に戻すよ。
■ 当時のドイツと大日本帝国。
この2カ国の関係は、多文化主義の究極の形とも思えるね。 シンガポール
■ 俺はドイツと日本を支持する。欧米列強なんか倒して欲しかったね。 スリランカ
■ 話す時は何語を使ってたんだろ。通訳者を通してたのかな。 フィリピン→当時の外相クラスはドイツ語が話せた。今と違って天才級の秀才しか国家公務員になれなかったのだ。
■ 日本がドイツに愛されていた理由の1つは、日本には多くの空母があったからだな。
当時強力な海軍を保有していた国は、唯一日本とアメリカだけだったから。 カナダ→そうじゃない。日本が無償の資金援助を何十年も続けたからだよ。戦後の中国と韓国は日本のODAや資金援助や技術援助によって発展できたが、それをまったく感謝しなかったが、当時のドイツはこの映像のように最大級で謝意を示したというだけのことさ。
■ 誰かが日本とドイツの「戦争犯罪」をちゃんと調べれば、
すべてでっち上げられたものだってことが分かるのに。
ドイツと日本が立ち上がる日はいったいいつなんだ? アメリカ→アメリカ人は、イギリスの貴族が米人をいまだに植民地の子とみなしている事実を知るべきだ。つまり、英国貴族王族が諸悪の根源。
■ ロシアがこの狂乱の渦から世界を救ってくれた。 リトアニア→アホか。こいつも洗脳が深い。フィンランドとリトアニアが独立できたのは、日本が日露戦争でロシアに勝ったからだ。そんなことも知らないのか。
■ 今じゃ日本とドイツは、世界一発展した国になってるじゃないか。 +23 ドイツ(?)→この映像にある自動車はすべてドイツが開発したベンツやポルシェ。これが戦後の自動車時代の基礎になった。
■ 学校がこの映像を歴史の授業で観せてくれたことなんか一度もなかった。
俺は基本ナチスは、アーリア人種と見做さない人たちを憎悪していたのかと思ってた。
その解釈じゃ、なぜドイツと日本が同盟を組んだのかを一生理解出来なかったと思う。
だけど今、俺たちが学んだ歴史は嘘だったんだってことが分かった。
歴史はおそらく、勝者によって書かれるものなんだろう。
だけど、真実はいつだって、1つなんだ。 +7 アメリカ→その通りさ。戦前戦中戦後にかけて、米国では英国王室貴族の後押しを受けた偽ユダヤ系米人によるハリウッドが情報操作しているわけだ。
それにしても、こういうものをみて分かることは、今現在のどこの国でもまともな歴史教育を行っていないナということである。これがアメリカ(実際には英米)に始まる「愚民化政策」の結果である。ローマ・クラブの「グローバル2000」や「アジェンダ21」や「世界人間牧場化計画」の作戦に世界中がまんまとはまってしまったということだろう。
その結果、自国の真の歴史も知らずに、恩人を悪人呼ばわりするバカ民族だらけになったのである。このマジックが実は大英帝国のお家芸である。そうやってインドを数百年奴隷国家として支配したのである。
さて、最初の映像の話に戻り、この映像は、大日本帝国の松岡洋右外相が、ドイツに渡り、ナチスドイツのヒトラー総統と会談するために行ったものである。
何をしに行ったのか?
もはや我々もあまり知らない歴史である。
日独同盟樹立に行ったのか?あるいは、ヒトラー総統を見に行ったのか?はたしてどうだったのだろうか?
これについて結構面白いものがウィキに出ていたので、それをメモしておこう。以下のものである。
松岡洋右
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は日本の外交官、政治家。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。敗戦後、極東国際軍事裁判の公判中に病死。
四国同盟構想とその失敗
ドイツ総統官邸でヒトラーとの会談に臨む松岡
松岡は世界を、それぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきと考えており[11]、日本・中国・満州国を中核とする東亜ブロック、つまり大東亜共栄圏(この語句自体、松岡がラジオ談話で使ったのが公人の言としては初出)の完成を目指すことを唱えていた。松岡は世界各国がブロックごとに分けられることでナショナリズムを超越し、やがて世界国家に至ると考えていた[12]。この説は満鉄時代からの彼の持論であり、内外の研究者に協力を仰いで研究を進めていた[13]。松岡はこの構想を実現させるためには、各ブロックを形成する他の指導国家と協調する必要があると考えていた。
松岡は外相就任当時、「独逸人ほど信用のできない人種はない」と語っており[14]、ドイツに対して好感を持っていたわけではなかった。しかし就任当初からドイツ・イタリア・日本による三国同盟を唱える陸軍の使者が松岡の元を訪れ、三国同盟を推進するよう働きかけていた[15]。武藤章軍務局長もその一人であり、もし承諾せねば内閣をつぶすまでだと意気込んで松岡の元を訪れた。対談後、武藤は松岡も三国同盟に賛成であるかのように認識していたが、松岡自身は武藤を丸め込んだと考えていた。しかし松岡は自分の議論に酔う悪癖があり、度重なる陸軍の接客と「議論」を行う中で、次第に三国同盟に傾斜していった[15]。
当時ヨーロッパはドイツの軍事力に席巻されており、松岡は遠からず西欧ブロックがドイツの指導の下形成されるであろうと考え、1940年の8月頃から三国同盟案を検討するようになった[16]。一方で当時中国問題を巡って日米・日英関係が悪化していたことも影響した。ドイツはたびたび日中和平の仲介を行うよう松岡に働きかけ、ドイツに対する松岡の心証は改善されていった[17]。陸海軍からの三国同盟推進の動きが活発となる中で、小幡酉吉・松平恒雄・吉田茂といったOB達をふくむ外務省の一部は日独提携に強く反発していた[10]。しかし松岡の方針はなかなか定まらず、推進派の白鳥敏夫外務省顧問(元駐伊大使)は「松岡の三国条約に対する態度はちっともはっきりしない。」といらだちをみせ、辞職をちらつかせて松岡の決断を迫った[10]。松岡はこの時期暴漢に襲われることもあり、外務省顧問を務めていた斎藤良衛は陸軍や右翼の指示によるものであったと考えている[18]。
一方で松岡は伊藤博文の影響もあって昔から親ロシアを唱えており、伊藤門下の親露派の首領を自ら任じていた[18]。松岡はロシアブロックの指導国家ソビエト連邦にパキスタン・インドへの進出を認めることで、その東進を防げると考えていた[19]。松岡は「軍部の主張する三国同盟に乗ったと見せかけ、ドイツが日ソの仲介を買って出れば、軍部の反対を抑えたまま日ソ関係を構築できる」とし、「ドイツを通じてソ連と手を結ぶには、今を置いては好機はない」と語っている[18]。
8月13日、松岡はドイツの使者ハインリヒ・ゲオルク・スターマーと会談し、三国同盟への交渉を本格的に開始した。ドイツの外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップもまたソ連を加えた日独伊ソ四カ国同盟を構想しており、スターマーに託されたリッベントロップのメモでは日ソ関係の仲介が提案されていた[20]。自らの構想と同様の提案に、松岡はドイツ側に好感を抱いた。また松岡は日独の提携はアメリカに脅威を与え、西欧や東亜への介入を防ぐことができると考えるようになった[21]。また条約締結後にアメリカの世論は沸騰するだろうが、日本の真意がわかればアメリカ人の心証は一転するであろうと極めて楽観的であった[14]。以降、一刻も早く同盟を成立させるよう促したドイツや陸軍の運動もあり、松岡は三国同盟成立に邁進することとなった[22]。松岡は極端な秘密主義をとり、交渉は松岡の私邸で行われた。しかも出入りに用心させたため、新聞記者やアメリカ大使館関係者ですら同盟交渉に気づかなかった[23]。
日独伊三国軍事同盟は1940年(昭和15年)9月27日成立した。しかしそののち独ソ関係は急速に悪化し、その情報が日本にも伝えられ、四国連合はおろか、日ソ関係の改善の橋渡しをドイツに期待することもむずかしくなってしまった。これはソビエトが四国連合参加の条件として、多数の領土要求をドイツに出してドイツの怒りを買ったためである。
この状況の急変に直面し、松岡は自ら赴いて外交的駆け引きをすることを決意し、1941年(昭和16年)3月、同盟成立慶祝を名目として独伊を歴訪、アドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニの両首脳と首脳会談を行い大歓迎を受け、両国との親睦を深めた。この際、ドイツから、対イギリスへの軍事的圧力の確約を迫られるが、「私は日本の指導者ではないので確約はできない。帰国後貴国の希望を討議する」と巧みにかわしている。往路と帰路の二度モスクワに立ち寄り、帰路の4月13日には日ソ中立条約を電撃的に調印、日本が単独でソビエトとの相互不可侵を確約する外交的成果をあげた。シベリア鉄道で帰京する際には、きわめて異例なことにヨシフ・スターリン首相自らが駅頭で見送り、抱擁しあうという場面があった。この時が松岡外交の全盛期であり、首相の座も狙っていたと言われている。日ソ中立条約締結前、イギリスのチャーチルは松岡宛に「ヒトラー(ドイツ)は近いうちに必ずソ連と戦争状態へ突入する」とMI6情報部から仕入れた情報を手紙として送ったが松岡はこれを無視し日ソ中立条約を締結したとされる。これは後年、極東国際軍事裁判の公判でイギリス側の証拠としてこの手紙が提示され明らかにされた。
というように、この一番最後の状況の1941年の独伊歴訪の際のドイツ訪問の映像が、このYouTube映像である。
ところで、ドイツは第一次世界大戦で敗戦。疲弊に継ぐ疲弊を遂げていた。毎日を生き延びるために、女性という女性は街で娼婦をしなければならなかったというほどひどい状況だった。当時のドイツはすでに欧州の科学大国に名乗りをあげていたが、そのドイツ科学界も衰退を余儀なくされた。
その困窮を救ったのもまた日本人であった。作家の星新一さんの父、星一さんであった。これは以下の本に詳しい。
明治・父・アメリカ星一氏は、アメリカへ自費留学し、そこでアメリカの医薬の進歩を痛感した。帰国後、星製薬を作り、当時の大企業に育てた。近代日本の経営者のルーツである。その富で「星薬科大学」を作り、日本に近代的な科学的「製薬業」を根付かせたのである。それが、晩年に「星製薬疑獄事件」というでっち上げ事件によって廃業した。その星一さんは、戦前にドイツと誓約を結んでいた。第一次世界大戦で疲弊したドイツ化学会を救うための資金援助するというものだった。自分の会社が大変な時期であったにもかかわらず、星一はその約束を果たした。最後にはもう会社を失い、お金もなくなったが、自宅を売り払って、ドイツを救ったのである。
戦前の日本はこういう感じで、困窮し疲弊したドイツを経済援助したのである。
今は昔の物語である。
未来は現在の判断にかかっている。現在の判断は過去の歴史や過去の情報にかかっている。だから、誤った歴史を元にすれば、誤った行動が生まれるのである。正しい歴史、真の歴史に基づけば、不必要な誤りを避ける事ができる。真の歴史を知るということは、それほど大事なことなのである。
by kikidoblog | 2014-05-20 09:24 | 真の歴史