私の2014年ブラジルW杯観戦記10:チーズにあたって下痢の悪魔のフライト!
後先になるが、「私の2014年ブラジルW杯観戦記10」として、3泊7日の「コートジボワール戦突撃ツアー」のフライトのことを忘れない内にメモしておこう。3泊7日ということは、行き帰りの4日間は飛行機の中ということである。行きのフライトは、生涯忘れることの出来ない悪夢の2日間になったからである。
(あ)行き帰り3回のフライトでレシフェまで往復
行きのフライトは、私の場合、関空からエールフランス航空でパリ・ドゴール空港、パリ・ドゴール空港からエールフランス航空でサンパウロ空港、そして、サンパウロ空港からアビアンカ航空でレシフェへという3回のフライト。パリで10時間待ち。サンパウロで数時間待ち。
帰りは、レシフェのタム(TAM)航空でサンパウロ空港、サンパウロ空港からエールフランス航空でパリ・ドゴール空港、パリ・ドゴール空港からエールフランス航空で関空への3回のフライト。サンパウロで2時間待ち。パリで2時間待ち。
こういうフライト日程だった。
(い)もっとも揺れたのは日本海から上空
さて、今回のフライトで一番飛行機が上下に揺れたのは、なんと日本海上空であった。
オカルト的一説には、朝鮮半島は「魔の結界」が貼られた地球上でもっとも悪魔的場所であるというものがある。だから、人であろうがなんであろうが、朝鮮半島にすむと邪悪になるというのである。韓国の都市伝説である。
関空から淡路島上空を跳んで、岡山上空を通過し、日本海を渡るときになんとジェットコースターのようにかなり揺れたのである。それ以外は、揺れても大したことはなかった。
エールフランスは、韓国と北朝鮮を迂回して、まるで「韓国と北朝鮮を避けるかのように」して、モンゴル、ロシアの上空に入っていった。
(これは、座席の背中に付いているモニターテレビの映像)
(う)行きの最初のフライトの食事に出たチーズにあたってひどい下痢に
エールフランスの「エアバス」の最初のフライトと次のフライトにはそれぞれ2回の食事があった。私は初めてエールフランスに乗ったのだが、非常に親切で感じのいい航空機会社だった。おすすめである。フランス人のキャビンアテンダント(CA)は「コンス(朝鮮お辞儀)」もしないし、英語も分かるし、非常に感じの良い人達だった。
最初に出た食事は、洋食と和食の選択があり、私は迷うこと無く、和食を選んだ。こんなものだった。
エールフランス、パリ行の和食
私は、昨年の9月以来、「ナス科(=トマト、茄子、ピーマン、ジャガイモ、キュウリ、唐辛子など)」を食べないことにしたから、この食事の中の赤ピーマン炒め、ミニトマト、ジャガイモ、キュウリ等は食べることが出来なかった。
これは非常に美味しくてありがたかった。飛行機のフライトで何が楽しみかといえば、やはり飲食である。エールフランスでは、ドリンク(コーラやジュース等)の他にコーヒーやら、ワインとシャンパンのサービスがあったので、実に楽しみであった。ワインとシャンパンはさすがフランス製、実においしかった。
そして、ワインの肴にと、「つい食事についていたカマンベールチーズを食べた」。
実は、私には後々これが命取りになってしまったのである。
関空発から10時間後くらいに、今度は2度めの食事の時間になった。これである。
この時もまだ、私は快調そのものだった。だから、この二度目の食事にもチーズがついていたが、ワインの肴にと食べてしまったのである。
また、この最初のフライトの10数時間は、絶好調だったので、日本から読もうと持っていった、保江邦夫博士の
量子力学と最適制御理論―確率量子化と確率変分学への誘いとついでに読もうと思っていたマンデルブロー博士の
フラクタリストをちらりと見て、まずは日本ですでに1/3ほど読み始めていたマンデルブロー自伝を先に読もう、読み進んでいたのである。
実に面白い自伝であった。これは、この最初のフライトの後半までにはすでに読み終えることができた。
しかし、マンデルブローの悪魔の階段が私の腸を襲い始めたのである。
突然、私の下腹部が
ぐるぐるぐるぐるぴ〜〜〜〜〜〜
と言い出したのである。いわゆる「ピーピー」になったのである。
「うわっもれそうだ。やばいぞ」
と肛門を閉めると、今度は、その瞬間から肛門直前に溜まった腸内ガスが一気に私の腸内を上昇し、
ぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぐぐぐ〜〜〜〜〜〜〜〜
と鳴り始めたのである。
幸い最初のフライトは、関空のエールフランスのチェンクインの係のきれいな女性が気を利かしてくれたようで、座席に余裕もあったせいか、左側の3人の座席の窓側を一人で座っていたからよかった。漏れそうになるたびに、すぐに飛行機のトイレに駆け込む。
すると、また腹の中を下痢便がぐるぐるぐるぐるぴ〜〜〜〜〜〜となり、肛門を閉めると、今度は腹がぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぐぐぐ〜〜〜〜〜〜〜〜と音を立てる。
この繰り返しで、へとへとになって、やっとの思いでパリ・ドゴール空港につくと、即座に便所
に直行便(びん)で直行便(べん)。
いや〜〜、まいった。
しかし、悪夢はそれからだった。
(え)サンパウロ行きで下痢が最悪に
なんとかパリ・ドゴール空港で下痢を処理していると、すこし良くなった感じがした。そして、待ち時間は10時間もあったのである。せいぜいドゴール空港をいろいろ歩きまわって気を紛らわせるほかなかった。だから、本来ならここでちょっと眠らないとまずかったにもかかわらず、便所とイスを行ったり来たりすこしも眠ることが出来なかった。
というわけで、ドゴール空港のあっちこっちのトイレで用をたす始末である。
そうこうする内に、待ち時間も消費でき、ついにエールフランスのサンパウロ行きに乗ることが出来た。
この便には、もうほとんど日本人がいなかった。そして、ワールドカップ応援でブラジルにゆく西洋人や南米の人たちでごった返していた。
私が得た座席は、これまた関空の日本人美人フロントが気を利かせてくれたので、右側3人座席の窓側。そして、私の左には巨漢のチリ人、その左には小柄なブラジル人女性が座った。
最初は何気ない顔をして、普通にトイレへ行った。だからそれほど問題はなかった。だがフライトは12時間ほどある。なにせ大西洋を斜めに横断するのである。
そうこうしている内に、最初の食事が出た。
サンパウロ行きの食事食事内容は、徐々にラテン系に変わった。だから、メインはポテトとパンとトマトベースの野菜である。そしてチーズ。
もはや私が食べられるものがなくなった。
しかし、下痢に次ぐ下痢で私の体内にはもはや食料の残骸は残っていなかった。だから、腹ペコも腹ペコであった。また、エコノミー症候群にならないように、水分補給もしなければならない。そんなところで極度の下痢で脱水である。
もはや食べるしかない。
そこで、なんとか、チーズベース、トマトベース、クリームベースを避けて、チャーハンのようなものだけを食べ、水分を補給したというわけである。
ところが、
食べるやいなや、私の腸で悪夢が起こった。
再び、私の腸が悪魔と化したのである。
また私の下腹部が
ぐるぐるぐるぐるぴ〜〜〜〜〜〜
と言い出し、
「うわっもれそうだ。やばいぞ」
と肛門を閉めると、肛門直前に溜まった腸内ガスが一気に私の腸内を上昇し、
ぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぐぐぐ〜〜〜〜〜〜〜〜
と人が聴けるほどの音で鳴ったのである。
この繰り返し。
最初のフライトでは、一人で座っていたから即座に便所に行けて良かったが、今度は左に巨漢、さらにブラジル人女性。その二人に
「イクスキューズ・ミー」
といって、どいてもらわなければならい。
最初の2回はそれでも良かった。
ところが、そのうち、チリ人が爆睡。ブラジル女性も熟睡中。
一方、私の腹は悪魔となっている。
私は必死で下腹部をもがき、肛門をぐっと締め、なんとかして時間稼ぎする。すると、腸が高音を立てる。ヒア汗ものである。しかし、なんとか1時間ぐらい我慢すると、もはや噴出寸前、強引に隣のチリ人を叩き起こし、
「すまん、最初のフライトで食べたカマンベールチーズで腹がおかしくなったんだ」
と弁解して、叩き起こす。チリ人は
「しょ〜がね〜〜なあ〜、なんだ、この東洋人は?」
という顔をして、しぶしぶ座席をゆっくり立つ。
ところが、私がトイレに入ってからが長い。終わったと思えば、また腹がぐるぐるぐるぴ〜〜と言い出す。10分以上頑張って、トイレを出ると、二人が立ってこっちを睨んでいる。
「いや〜〜、すまん。すまん」
というこの繰り返しだったのである。こうなると、もはやチリ人もあっちむいてホイである。そこで、私が座席を交換しないかと提案したところ、最初はどうしてというふうだったが、何度かしたら、トイレから戻ると、もうチリ人は窓側に自分から移動して熟睡していたのであった。
ところが、悪魔はまだ終わっていなかった。
何回かトイレをした頃、どういうわけか、
私の座席のあたりから臭いうんこの匂いが立ち込める。
くん、くん、くん
と密かにしらばっくれて臭いをかぐと、どうやら
「俺の尻の穴あたりからだ」
ということが判明した。
「やべ〜〜、ついに俺としたことがおもらししたのか?」
「これでは、日本代表としてブラジルに応援にいく日本男子の名がすたる」
「まずいぞこれは〜〜」
という感じになった。
そこで、隣のチリ人とブラジル女性の顰蹙(ひんしゅく)ものの視線を感じつつ、トイレへ行く。そして、トイレのなかで、自分のパンツやらズボンやら服やらをチェックする。どこかにうんこがついているんじゃないかって。しかし、幸いどこにも匂いもなければ、うんこもついていなかったのである。
匂いの根源が謎のまま、自分の座席に座る。
すると、また
「俺の尻から匂いがやってくる」
もはやしらばっくれるほかない。
すると、ハイテクのエールフランスの航空機、上空から俺めがけて、フランスのシャネルの香水が噴出される。プシュー。すると、辺り一面がいい匂いにつつまれる。
すると、前や後ろの座席の白人がこそこそくすくすしゃべり始める。
これじゃ、まるでうんこの匂いの根源が俺ではないか
という感じになってしまったのである。
こうなると、変な東洋人を演出する他ないのかといろいろ悩んでいると、また下痢が発達し、便意をもよおす。
そこで、今度は真ん中ではなく、後ろの最後尾のトイレで用を足す。
その時気づいたのである。
なんと最後尾のスペースにラテン系の外人が何人か立って酒を飲みながら何かを食べている。それが実に臭い。我々日本人がいう「うんこの匂い」なのである。これが後ろに充満し、前の座席の方へ流れていっている。
これで、私は合点した。
「あのうんこの匂いは俺の肛門のではなかった。あいつらの仕業だった」
と。
「いったい何なんだ、あの臭い食べ物は?」
というわけで、なんとか安堵して、ブラジルサンパウロ空港に到着したのであった。もちろん、空港に着くやいなやトイレへ直行便。その時のヘロヘロ状態の私がこれ。
(ヘロヘロ感が良く出ているナア。)
そして、脱水で腹ペコ状態で何とか、座る場所を見つけたのが、「私の2014年ブラジルW杯観戦記1」のあのイザキさんとフェリッペさんの空港レストランであったというわけですナ。
まさに命がけのフライトだった。
(お)レシフェ行きにもチーズパンが出た!
最後にアビアンカ航空でレシフェに4時間のフライトだった。この時は旅行会社の現地スタッフの日系ブラジル人女性がいろいろ手配してくれてたいへん助かった。
現地スタッフがチェックインを補助してくれ、無事にフライトを待つだけとなった後に空港レストランで簡単に食事とオレンジジュースとコーヒーを飲んだのであった。
そして、フライト。しばらくして、軽食が出た。写真にはとらなかったが、
コッペパンをチーズにつけたようなパン
であった。それがアルミフォイルに巻かれていた。
さすがに私は遠慮した。
あとは、レシフェの3日間もチーズにはご遠慮していただいたというわけである。
つまり、トマト、ジャガイモベースとチーズベースのブラジルの食事では、もはや私が食べることができるものがほとんどなかったのである。
おまけ:
行きのフライトの途中で、ロシア上空で一回だけいわゆるケムトレイル機とすれ違った。
ドイツやパリ上空にはもうすでに無数のケムトレイルが張り巡らせていた。(ケムトレイル航空機とすれ違う。)

by kikidoblog | 2014-07-01 10:48 | 2014ブラジルW杯