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超古代ミステリー3:スサダミコの長い旅路とティルムン=東日本国は関東日本王国か?

みなさん、こんにちは。

先日、超古代ミステリー1&2をメモした。以下のものである。
超古代ミステリー1:超古代エジプト王はどうして日本人に似ているのか?
超古代ミステリー2:スフィンクスの鼻を壊したものはだれか?

この最後の方で、高橋良典氏の「超古代神代文字」の研究から分かった、「東日本国」(シウカラ)のことをメモした。この部分である。
その一方で、我々非西洋人の世界(=金髪碧眼ではない黒髪の人種、今で言うセムの世界)は全世界に広がっていた。そして、、黒、の五色人が平和的にスメラミコトの統治下にあった。この時代には人種差別もなかった。彼らの髪の毛は黒かった。(クル族のクルは黒髪(くろかみ=krokami)の黒髪族というところから来たという可能性もある。)

そこで、西洋人型のルーツの古代アッシリア系の民族が始めて自世界の外へ挑戦し始めた。それが3000年前であるという。ヨーロッパ・ユーラシア大陸を「ヨモツクニ」と呼んでいた。

その結果、スサダミコとアッシリア人は当時のほぼ全世界で戦争を起こしたという。アフリカ、地中海、メソポタミア、インダス、西アジア、東アジア。

そして、アフリカで苦戦を強いられ敗戦した。その時代の最後の王がツタンカーメンである。エジプト捕囚である。

その次は、メソポタミアのカナンに住んだが、そこでも厳しい戦いの末敗戦した。その名残が、アッシリア捕囚とバビロン捕囚である。

スサダミコの1団は、ヒマラヤを挟んで海ルートとヒマラヤ山脈の北の山ルート(=シルクロード)とずっと北方の北ルート(=契丹ルート)の三方向に別れた。

インダスの地に住み着いたクル族はインダス文明をペシャワールで築き始めた。しかし、そこにもアーリア人の名乗るアッシリア系の西洋人の一群が入って厳しい戦いを起こした。それがインドの聖典マハーバーラタに残る戦いであるという。そこには、金髪碧眼白人の胸厚族と黒髪族の戦いとして描かれているという。黒髪族には皮膚の青いものもいた。

クル族は西アジアから中央アジアそしてチベットへと進み、チベット仏教の祖先を生んだ。ここがラマ教のルーツである。ブータンやチベット人が日本人と遺伝的に似ている理由である。

クル族は、色の白い、西洋人に似た人種も含まれていた。その一団は海を越えて北米大陸や南米にも進んでいった。マヤのケツァルコアトルや南米のビラコチャ伝説を生んだ。

クル族は中央アジアに進出し、古代中国の夏王国を築いた。そこへも東欧から金髪碧眼の古代トルコ系の人種が入ってきた。そして、夏王国はどんどん東へ押されていった。

そして最後に朝鮮半島の北端に高麗国(クル族の国)を築いた。

しかし、そこへもトルコ人とアジア人の混血した漢族あるいは漢人(あやひと)なる民族が戦争をしかけてきた。そして、古代高句麗は激戦したが、最後の最後に日本列島の九州に来たのである。

それが倭国。邪馬台国だという。

というわけで、古代高句麗と古代邪馬台国はほぼ同じクル族ルーツだったのである。

しかし、古代高句麗のクル族=日本人の先祖の一部が朝鮮半島を去った後、そこに住み着いたものは古代中国由来の漢人やその周辺の民族なのである。

その時代、金、朴という2つの種族がいたらしいが、この2種族は非常にたちが悪く、超古代においてもスサダミコの言いつけを守らなかったという。

どうやら、今の支那人と韓国人朝鮮人はこの古代の金族と朴族の子孫のようである。まったく今も変わっていないのである。事実、支那人は漢人(あやひと)、北朝鮮は金族、韓国が朴族とみれば、まったく古代といっしょだから面白い。超古代からこの3民族は日本人と対立していたのである。

最北方ルートは、騎馬民族の西夏、契丹ルートのキルギス人のルートである。現在のトルコ、キルギス人などの言語にだいたい数千の日本語との同音同意語が存在するという。これがその理由である。そして、キルギスの先祖の契丹人が「契丹古伝」を当時の言語=神代文字で書き残したのである。その証拠がこれ。
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日本列島に流れ着いたスサダミコの子孫は、スサダミコ時代にすでに日本列島に住んでいた日本人、すなわち、スサダミコの先祖と始めて一緒に住むようになったのである。

このスサダミコの系列の一派が「古代イスラエルの失われた10支族」である。この呼び名は、あくまでバビロン捕囚で古代バビロニアというアッシリア系の白人種に支配混交された民族のものである。つまり、その後西洋でユダヤ人と呼ばれるようになった人々の見方や観点にすぎない。彼らはアッシリア化(=バビロニア化)されたのである。白人顔に変わったのである。今の南米と同じである。

したがって、失われた10支族の問題は、実際には、ユダヤ人の知らないもっと大きな流れの中の動きだったのである。


これは、ユダヤ人のゼカリア・シッチン博士が、古代シュメール文明の楔形文字の研究から発見した、古代王朝の研究、通称「第10番惑星ニビル」の王様の話があるが、その中に登場する「ティルムン」という国がある。古代シュメール人は、「神の国」と崇め奉った「東方の日の出国」のことを「ティルムン」と呼んだのである。

高橋良典氏の説では、この「ティルムン」は、「契丹古伝」という古代契丹人の神代文字によって記載された内容から判読すると、それこそ「東日本国」という漢字でかかれた、「しうから」と発音されて呼ばれた、契丹から見てもさらに東の日出る国のことだというのである。

高橋良典氏は、超古代語の神代文字の時代では、言語の「アナグラム」によって、
ティルムン(東日本国)→ティムン→ティプン→ジプン→ジポン→ジッポン→日本
Tirmun→Timun→Tipun→Jipun→Jipon→Jippon→Nippon
と変わったはずだと考えた。

したがって、古代シュメールの研究者であったゼカリア・シッチン博士のいう、古代王国の神の国「ティルムン」こそ、我が国「日本」だったのだろうと推論したのである。

さて、昨日偶然見つけたのだが、あるい意味シンクロニシティーであるが、古代日本には、いわゆる九州や畿内の「倭国」や「邪馬台国」の他に、「東日本国」があったのではないかという研究があった。それを紹介した番組が存在したのである。私は見たことはなかったが、それを見つけたのである。これである。
【歴史ミステリー】勢力範囲は大和王権を凌いでいた!?関東日本王国の全貌が明らかに!!

関東平野一帯に「日本」という名前の国家が存在したということを検証した研究の番組である。この番組では、「東日本国」ではなく、「関東日本王国」という名前を使っている。しかし非常に似ている。また、契丹古伝に書かれたのと同じように、邪馬台国よりももっと日の出に近い、日出る国として「日本」を定義しているのである。

その「日本国」すなわち契丹古伝のいうところの「東日本国」(すなわち、ジパング=ティルムン)は、超古代から関東に存在したのである。

実は、これこそ、もしこの地球上でノアの大洪水のような事が起これば、中東のアララト山ばかりではなく、もちろん日本の富士山も一番最初に人々が船でたどり着いた場所になるわけだ。だから、超古代から日本の関東に人々が文明を築いたとしても何も不思議はないということを証明しているのである。

そして、日本の竹内文書によれば、スサダミコ(=すさのうのみこと)は日本のスメラミコト(=天皇)から当時の世界は5つのブロックに別れ、五色人がそれぞれの地域に住んでいた。そして、日本から一番遠い地のアフリカブロックの統治者として天皇からスサダミコが使わされたというのである。

ところが、「超古代ミステリー2」にメモしたように、そのスサダミコはアフリカの現地人からは「スダス王」と呼ばれていたが、今から3000年前〜2700年前になって、西洋人の祖であったアッシリア系民族、すなわち、長身で胸が厚く、金髪碧眼の種族の攻撃を受け始めたのであるという。そして、徐々に東へ東へと押しやられていった。

超古代エジプト文明、超古代シュメールとメソポタミアと地中海文明、超古代インダス文明、超古代中華文明、そして超古代の北中南米文明の5つのブロックが徐々にアッシリア人(=アーリア人)に侵入されて、徐々に駆逐されていったのである。

そして、そのそれぞれが古代エジプト文明、古代シュメール文明(=アッシリアとバビロニア文明)、古代インダス文明とアーリア人化されたのだというわけである。つまり、支配混血によって、顔と体型が西洋人化したのである。

これが、アフリカの黒人にも西洋人のような頭蓋骨や堀の深い顔の黒人とアジア人的な小柄でマイルドの顔の黒人がいる理由だろうと考えられる。もちろん、インドはインド・ヨーロッパ語族というように、3000年前にはアーリア人に占領されて、彼ら白人的支配層が「バラモン」となった。

その後、西洋人の大航海時代になって、ついに北中南米もアーリア人化されたのである。その後は承知のように、北米のインディアンも西洋人化、中米のマヤ族も西洋人化、南米のインディオも西洋人化したわけである。ある意味、今のアメリカは、古代のインドで起こったことを繰り返しているに過ぎないというわけである。

そうして、結局日本人のスダス王ことスサダミコは、遠く東の果ての日出る国ティルムンへの帰還を目指したのである。その途中、メソポタミア時代に当時アーリア人に滅ぼされたエジプト人の一派を引き連れてといっしょになって、出エジプトを果たした。

その出エジプトに太陽神ラーの教えを教えたものがスサダミコであった。すなわち、その相手がモーゼである。ここに西洋のユダヤ人の祖が誕生。しかし、スサダミコはクル族を引き連れてアーリア人のアッシリアの残忍な攻撃を逃れて、さらに東進した。

これをそのモーゼの子孫は、「アッシリア捕囚」と理解するようになったのである。実際には、アッシリアに捕らえられたのではなく、闘いながらさらに東進したのである。

こうして、長い旅を最後には東日本国まで続けていった。

上の番組にあるように、「関東日本王国」の大王は、メソポタミア文明にしかない文様の刀を持っていた。そして、武士(しゃむらい)である鎧や馬具で満ち満ちていた。そして、そういうものの埴輪が無数に存在したのである。

まさに契丹古伝の記述、旧唐書の記述、すべてがほぼ一致するのである。

つまり、スサダミコはアフリカから日本に帰還した民族であった。その時すでに、スサダミコをアフリカへ送り出した日本国が帰りを待って存在したのである。

これが、西洋人やユダヤ人(=偽ユダヤ人)にとって謎の一つ、どうして古代イスラエルの失われた10支族は直接日本を目指したのか?という疑問の答えである。つまり、行く前から行く先を知っていたということである。さらには、古代エジプトからも途中を無視して直接に日本を目指すものがあったという事実である。これもまた彼らも日本を知っていたからだということになるだろう。ティルムンを知っていたのである。

というわけで、超古代ミステリーの最大の疑問の答えは、日本という国は、倭国や邪馬台国ができるずっと昔、はるか昔から関東に存在したということになるだろう。

とまあ、そういう可能性をその番組は彷彿させてくれるのである。スサダミコ=スサノウのミコトの子孫は、倭国と邪馬台国(=大和朝廷)を生み出した。これが後々京都の祇園祭を生み出す。したがって、アフリカ、メソポタミア、シルクロードの長旅の記憶が祇園祭に記録されているというわけである。単に古代イスラエルからというだけではないというのがこれで理解できるのである。

おまけ:
以上のことは単なる私の妄想ではない。即興で書いているため細かい部分には問題はあるかもしれないが、大筋ではそのとおりだった可能性が高い。なぜなら、日本の古史古伝研究者や神代文字研究者が実際に世界中の古代遺跡を調査し、古代の岩窟文字や線文字が日本の神代文字の豊国文字とその変形などで解読した結果、アフリカのスダス王がスサダミコだったこと、インドの聖典を作った元の民族がアジア系(アーリア人ではない)のクル族だったこと、そういったことが解読されたからである。多くは、高橋良典氏の著書
日本語に秘められた謎:「NWOvs日本」と「超古代世界語は日本語だった!」

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太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎
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に含まれている。そこで、スサダミコ=スサノウのミコトは「東大国(しうから)」の尊であった。東の果てに理想郷があったのである。世界に分かれて統治していた日本の尊たちの目はいつも日本(=東大国)を向いていた。それが、いまもって世界中の人たちが我が国日本を「世界中でもっとも行ってみたい国」とする根底にあるものなのである。現代のユダヤ人やイスラエル人も、ロスチャイルド王朝と呼ばれるイスラエルの国歌にそれを留めている。



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  by kikidoblog | 2014-08-03 22:56 | ミステリー

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