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「双対性」この魅惑的な概念:高橋秀俊ファンの言葉「仰るとおりでしたヨ」

みなさん、こんにちは。

今回は、個人的な物理メモである。普通の人にはあまり良くわからないはずだから、スルーを。

数学には、ディリクレ境界条件というものとノイマン境界条件というものがある。これは、物理では、固定端境界条件というものと自由端境界条件というものにあたる。

要するに、境界、すなわち壁、にあたると、そこでゼロになる場合と、最大になる場合の2つの極端な条件があることになる。

波が固定端に衝突して跳ね返ると、位相が逆転して戻ってくる。上を向いた山波が下を向いて跳ね返るのである。一方、自由端では、上を向いた波はそのまま跳ね返る。

境界でゼロになるということは、逆にそこでは速度が最高になれる。一方、境界で最大ということは、逆に速度がゼロということになる。

ブランコで大波小波と振っている時、振幅最大の位置は一番前か一番後ろである。その時は方向が逆転するために一瞬速度がゼロになる。一方、振幅ゼロの最下点では、位置エネルギーが速度エネルギーに全部変わっているから、最大速度の位置になっている。そして、その位置の前後でブランコの速度の方向(つまり、ブランコの進行方向)は変わらない。

このように、固定端と自由端は双対になっている。デュアルなのである。

この世界のあらゆるものには、こういう双対性がある。この問題を非常に私好みに説明しているものがある。比較的最近見つけた古い本だが、「数理と現象」という高橋秀俊博士(故人1985年逝去)のものである。以下の本。
『数理と現象』
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(もう絶版で、アマゾンにもない。)


この双対性(デュアリティー)というもの、バカにしてもらっては困る。

というのは、この自然界のかなりのものにこれがうまく生かされているからである。

一番有名なものは、爬虫類の視覚と哺乳類の視覚との違いである。ジュラシックパークで、ティラノサウルスに襲われそうになった時、

「動くな」「動くと見つかる」

という場面がある。

これは、爬虫類の視覚は、「静止したものが見えず、動いているものを認識する」ようにできているからである。一方、我々哺乳類の視覚は逆にできていて、「動いたものが見えにくく、静止したものを認識する」ようにできているのである。

言い換えれば、哺乳類はディリクレ境界条件(固定端)、爬虫類はノイマン境界条件(自由端)なのである。

同様に、流体は固定端境界条件、電波は自由端境界条件になっている。

ここら辺から、一気に飛躍しよう。

この世界がそういう双対性を知っているとすれば、つまり、この宇宙が双対性を基にして生まれたとすれば、我々が見ている宇宙は「固定端」の世界だけかもしれない、ということになる。

つまり、ひょっとしたら、この世界のどこかに同時に「自由端」の世界が存在している可能性がある。

この自由端の宇宙の世界の住人、人間がいたとすると、

「止まるな」「止まれば見つかる」

といって、始終動き回っているに違いない。ちょうど、恐竜の前の我々の逆をしているはずなのである。

実際、我々の目は1秒間に16コマ程度で連続に見える。だから、映画はそれ以上にしてある。1秒間に32コマで十分。テレビは走査線が1秒間に72コマ(画面)が切り替わるば、それで十分なのである。パソコンもいっしょである。

ということは、これ以上の速さで動いているものがいると、我々の目には見えない。

はたして、そういう生物が存在できるのだろうか?

そういう疑問がわく。

あるいは、彼らにとっては静止していることが、我々にとっては運動しているようにみえる。そういう可能性もある。逆に我々が静止していることが、彼らにとって運動していることにあたる。

こういう組み合わせもあり得る。

実際、電気と磁気との関係はこういうものである。

つまり、我々の世界が電子を基にした電気をベースにした世界であるとすれば、彼らの世界は磁気単極子(モノポール)を基にした磁気をベースにした世界ということになるだろう。

数学的には、位相がπだけずれた世界である。直交した世界ということになる。

この2つの世界が同時に存在しているとしよう。

はたしてこれが双子宇宙というものだろうか?

時々、この2つの世界の境界が共有される時がある。すると、そこが時空の割れ目となって行き来できる。

磁気の世界から来たものが電気の世界に姿を見せれば、おそらく光り輝く。逆もしかり。

我々の世界で流体として見えているもの、物質として見えているもの。こういうものは、むこうの世界では、電磁波のように見えないものになる。逆に、我々の世界で電磁波のように感じるものや見えないものが、向こうの世界では見えるものになる。

はたしてこの双対性は、この世とあの世の双対性を表しているのだろうか?

かつてガモフやリチャード・ファインマンが、全てが逆の世界として、すべての素粒子が反粒子と入れ変わった世界を想像した。反物質でできた世界である。物質と反物質が出会うと光になって消滅する。だから、もし反物質の人間と物質の人間が出会って握手すれば、その瞬間に爆発して光となる。

この場合の交換はあくまで粒子と反粒子の交換である。つまり、電気の正負を入れ替えたものである。電荷の双対性である。

私が言っているのは、これとは異なる。磁気と電気との交換。電子と磁気単極子との交換である。静止と運動との交換である。見えるものと見えないものとの交換である。

約10年ほど前私と当時名大の青本和彦博士とで、準双対性というものを発見した。これは口で説明できるものではない。分数や無理数の電荷や磁荷の間の双対性である。

この世界はまだまだ分からないことばかりというわけですナ。


ところで、私は高橋秀俊博士の感性のファンになったのである。昔の東大生は本当にすごかった。そういうことをこの高橋博士が教えてくれる。いまの東大生とは出来が違う。これは、かの仙谷由人の革マル派の学園紛争の時代で終焉したのである。

高橋秀俊さんは「ロゲルギスト」というグループのボスであった。いくつか「物理の散歩道」という本を書いている。また、日本で最初の電子計算機を独自に作った科学者である。
スーパーコンピューター ランキングの行方と計算科学の世界

日本独自の論理素子、パラメトロン素子を用いた独自設計によるPC-1とその発明者・後藤英一氏(左)と高橋秀俊氏 (提供:後藤英一夫人)
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物理が専門だが、電子回路、流体力学、工学など多分野で理論実験の両方に秀でた日本ではまれなタイプである。というより、むしろ日本は平賀源内のように、あるいは、仁科博士のように実験理論両方できる多芸多才が多かったのだが、それが西洋流で分化専門家に格下げされたというのが本当のところだろう。だから、高橋秀俊博士は数学もすごかったらしい。

噂では、この人は晩年の1985年頃、ちょうど私が阪大の大学院生だった頃、量子力学より古典力学の方が大事だと言っていたという話だった。が、その当時は「何言ってんのこの老教授。耄碌したのか?」と俺は思っていた。

が、今になってみると、まさに私自身が同じことを考えてやっているから面白い。まったく私はいま古典力学しかやっていないのである。なぜなら生命の基礎を理解するには、まさに古典力学と熱力学の拡張が必要だが、それが実に難しいことだからである。

高橋秀俊博士の慧眼には恐れ入るばかりなのである。一読の価値あり。



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  by kikidoblog | 2014-09-02 10:29 | アイデア・雑多

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