「神は弱き者を助ける」から「第三次世界大戦はエイリアンの代理戦争である」まで
ここ最近はニコラ・テスラの後あたりから私はずっと保江方程式の理解と保江博士の主要な研究論文をほぼすべて勉強してきた。その合間に保江博士の一般著書のいくつか最近のものを読んできたのであった。そしてその中に現れた誰かや何かについてもその都度チャンスがあれば、参考文献を読んだりインターネットで調べて学んだのであった。
そうしてみるといくつか非常に興味深いことに気がついたというわけだ。今回はこれをメモしておこう。
(あ)神は弱き者を助ける
バックミンスター・フラーの場合
「神」という単語で何を表すかはまさに読む人によって決まる。「神」=「宇宙人」と見る人もいれば、「神」=「愛」とみる人もいるだろう。だから、こうした不定義語は誤解を呼ぶ可能性があるが、他に言いようがない。ここでは、「神」は我々にとってエイリアンでもいいし、UFOでもいい、知的高尚な存在でもいいし、宇宙の叡智でもいい、何でもいいが、とにかく我々が「神」と感じるものならなんでもいいということにしておこう。
さて、かつてバックミンスター・フラーについて拙著「フラーとカウフマンの世界」に書いたことだが、彼は、若いころ、親族のおじさんの会社に入って、いろいろ発明して協力したが、その会社の借金を受け継ぐことになり、後は自殺しか借金返済できないという立場に陥った。
そこで、ある湖に行って、入水自殺を試みようとしたのである。
ところが、その美しい自然を目にして、考え始める。どうしてこんなに自然が美しいのか?どうして自然は調和に満ちているのか?どうして湖の魚はその使用料を払わなくてもいいのか?人間である人間の努めや役割は何なのか?
自分がなんで死を選ぼうとしたのか?それは、自分のエゴのためだった。金持ちになりたい、いい家に住みたい、すごい人間だと人に見てもらいたい。歴史に名を残したい。うんぬん。こうしたことに囚われていたからだと。
すると、はたっとして気づく。魚が海を泳ぐことがただであるのと同じで、人が考えることはただである。つまり、人の勤めとはこの世界を考えることではなかろうか?人間だけが考えることができるのなら、それを追求していこうと。
こうして自殺を踏みとどまり、
自分のエゴのために自殺する代わりに、自分のエゴを殺して他人のために生きようと改心したのである。
そうして生きていくと、無数の発見や発明を行って、いつしか「20世紀最大の思想家建築家」となったのだった。
魚谷佳代さんの場合
淡路島の守り神、魚谷佳代さんの場合も同様だった。共同経営する親族の借金の返済に窮地に陥って、ついに山へ入って自殺しようと決意した。借金を保険金で穴埋めして完済しようと薬を飲んで自殺したのである。ところが、運良く姉が発見し、病院に連れて行って、なんとか生還したのである。
気がついた時に自分が生き返ったのはご先祖様のおかげだと感謝して、今後はご先祖様や神様のために生きようと決心したのである。そして
今後は神様の手足になって生きますと決意したのである。
すると、10数年経って次第に出来事が好転していき、紫苑の山の守り神のような存在になっていったのである。
安部山のばあさん(鞍馬寺の開祖の女性)の場合
保江博士のどこかの本か講演
にあったのだが、岡山の鞍馬寺の開祖の場合もそうであった。その女性がもうどうにもならなくなって自殺に踏み切る。ところが、木に縄を括りつけて首吊しようとした時に失敗する。しかしそこで神様に出会う。それ以来その神様の言いつけ通りに生きることによって、いつしか鞍馬寺の開祖として祀られるようになる。
(50分目頃登場)
「奇跡のリンゴ」の木村さんの場合
同じようなストーリーは「奇跡のリンゴ」の木村さんの場合もそうであった。これはすでによく知られている。
鈴木竜成の「宇宙人の柩」:UFO燃料Kを見たのは「奇跡のりんご」の木村秋則さんだった!
そして、保江邦夫博士の場合や木内鶴彦さんの場合は「末期がんからの生還」であった。同様な話は数多く存在する。
こうしてみると、いくつか疑問がわく。
(1)どうしてお金持ちや権威者に対してこういうことが起こらないのだろうか?
(2)どうしてフラーや魚谷さんや安部山のばあさんや木村さんのように、自殺という行動までしないと神様は出てこないのだろうか?
(3)自殺してもそのまま死んでしまう人と助かって生き延びる人の違いはなにか?
(4)保江先生や木内さんのように末期がんでも生還できる人と高倉健さんのように生還できない人がいるが、その違いは何か?
高倉健は神様を信じていなかったから死んだのか?あるいは、もう十分に豊かな生活をエンジョイした人だから神様はもう十分と判断したのか?助けようと思えば助けられたはずだ。こういう違いは何か?ということである。
こうした疑問が浮かぶのである。
そこで、もっとも端的に単純化して言えば、
神様や宇宙の存在は弱いものを好む。純粋なものを好む。自分の手足になるほうを好む。そんな感じのことかも知れないというわけである。これは別にキリスト教を信じるとかイスラム教を信じるとかユダヤ教を信じるとか仏教を信じるとかいう経典の内容を信じるということではない。むしろ、そういうものを超えたレベルの存在を信じるということである。その素質があるかないかによるのかもしれない。
正直、この違いがどこから来るのかは今のところ分からない。
(い)大発見は突如として完璧な形で出現する
保江方程式の発見は、保江博士がドライブ中の額の裏に映像として浮かび上がった式だという。理屈や証明は後で考えた。
ジャン・クロード・プティ博士の「双子の宇宙」の発見は、枕元に立った何者かが告げた話から生まれたという。理屈や証明や計算は後で行った。
シュレディンガー方程式の発見は、愛人との旅行中にふと思いついたという。理屈や証明や計算は後で行った。
ニュートン方程式は、ニュートンが林檎の木からりんごが落ちるのを見て見つけたと言われている。理屈や証明や計算は後で行った。
岡潔博士は、子どもと遊んでいたら大問題が解けていたとか、仏教の密教に弟子入りしていたら、大問題が自然に解けたというような経験をしている。
もちろん、ディラック方程式もそうだろう。
ということは、京大物理の統計理論物理学者として有名な佐々真一博士や他の日本を代表する理論物理学者がやっているような「日々の数学」「日々の研究」スタイルでは到達できない見えない天井が存在するということであろう。生真面目に毎日コツコツ計算していれば大発見に至るかというと、そういうことは全くない。0なのである。
むしろ、なにもしないで、日々考えている方が、時として突如真理が降ってくる。そういうものらしい。そんなときには、方程式が完璧な形で「出現する」、のである。「導く」のではない。「出現する」のである。
これはむしろ、スピリチュアルの世界の人たちが、「神が降りた」というのに近い。「方程式が降りる」のである。
私自身はいまだ保江博士のように方程式が降りてきたということはない。が、「解のイメージが分かった」ということはこれまで何度かあった。つまり、この問題の答えはこんな感じの条件を満たすものあろうというようなおぼろげな感覚から、その総体を見る感じである。一次元準周期格子理論の場合、分数排他統計の解をラグランジュの逆転定理で求める場合などがそうだった。まあ、この差は、我々物性物理学者がある方程式の解を求めていくのに対して、素粒子理論物理学者はより根本的な式を求めていくことによる違いから来るのかもしれない。が、いずれにせよ、まだ私自身は「方程式が突然頭に登場する」というほどのレベルに到達していないからだと考えておくのが自然だろう。
(う)UFOは愛魂で操作し、魂となって飛ぶ
かつてからつまり矢追純一博士の時代から、UFOこと空飛ぶ円盤は、何か精神で飛ぶとか、魂を持つらしいと長らく噂されてきた。
これについてはなかなか良いイメージで理解することが難しかった。しかし、保江博士の「UFOは愛魂で操縦する」や柳瀬博士の「魂は時空を超える」というような経験や主張から考えると、まさに「UFOは愛魂で操縦し、魂で飛ぶ」はずであるということになる。
「魂で飛ぶ」というよりは、さらに「UFOは魂になって飛ぶ」という方に近いのかもしれない。
反重力エンジンは単に反重力というにとどまらず、反物質という意味では「魂=物質ではないもの」に近いということになる。
木内さんが一旦死んで魂になり、その魂=愛の塊になって自由自在にこの宇宙の過去や未来や現在に飛んだ、それも一瞬にして飛んだという様や、エイリアンのUFOに拉致されてまったく同じような体験談を書いたビリー・マイヤーやアレックス・コリアーの話からすれば、どうしてもそういう結論にならざるを得ない。
UFOを見るとなぜか愛に満ちるとか、なぜか純粋な人になるとか、そういう不思議な体験談の多くも、やはり魂のような存在になってこの宇宙を闊歩しているのだということになるわけである。
保江博士の「愛の宇宙方程式」の言葉で言えば、
「人間=人+間」=「ヒト+魂」であるわけだから、人が乗る宇宙船の場合は
「UFO+ヒト=円盤+円盤の魂+ヒト+ヒトの魂」ということになるだろう。つまり、円盤とヒトは物理的存在だから、それらがそれぞれの魂と一体になって、いっしょに魂=愛に包まれて飛ぶということになる。
というわけで、かなり霊性の高い生命体でないと、空飛ぶ円盤を運転し、この宇宙の時空間を駆け抜けることは難しいということになる。ということは、今現在の我々には不可能である。
(え)どうやら現在の地球はエイリアンの代理戦争の感あり
アメリカの場合
エリア51のように、アメリカはグレイエイリアンとの共同研究によってリバースエンジニアリングから空飛ぶ円盤を作ってきた。ほぼ実用段階にある。すでにいくつかのモデルが完成しているらしい。
ロシアの場合
それに対して、ロシアにも2人の地球人型宇宙人がいるという。そしてその2人からリバースエンジニアリングでUFOを作り、現在2機持っているらしい。しかしその操縦はロシアのパイロットでは1、2分の運転しか持たない。精神的に霊性が弱すぎるのである。
このことは保江邦夫博士の本にあるロシアの研究所勤務の日本人女性の話に出ている。
中国の場合
一方、一説には共産党支那中国にも別の種族の宇宙人がついていると見られている。そして、そのエイリアンから円盤技術を習得中だと考えられている。今現在はステルス爆撃機の段階らしい。H-2である。
NATOの場合
したがって、NATOの欧州ももちろん何がしかのエイリアンと接触持ち、独自路線のUFO作製中であろうということになる。また、もちろん、「20世紀最後の真実」にあるように、旧ドイツのナチの空飛ぶ円盤は南米チリやブラジルやアルゼンチンの国境のどこかに存在すると見られている。
日本の場合
では、我が国は?
というと、残念ながら今のところ日本政府が本格的にエイリアンと共同研究してUFOをつくろうという気配はない。ちなみに、トヨタだけはまじめに研究中だという噂がある。
こうして考えてみると、もし第三次世界大戦が起こるとすれば、空飛ぶ円盤の戦いということになろう。しかしながら、その場合は、世界各国がそれぞれの独自のエイリアンの科学技術に基づいた円盤で戦うことになる。
かつての第二次世界大戦のドイツのメッサーシュミットvs英国のスピットファイヤー、英国のスピットファイヤーvs日本のゼロ戦、アメリカのグラマンvsゼロ戦というような戦いのように、アメリカのグレイUFOvsロシアのウンモ星人UFO、アメリカのトールホワイトUFOvs中国の未知のグレイエイリアンUFOの戦いというような事が起こるはずである。
つまり、今現在この地球で起こっていることは、かつての米ソ冷戦下のベトナム戦争やアフガニスタン戦争のように、宇宙人の対立によって引き起こされる地球人の代理戦争なのかも知れないのである。
この状況は、最初にメモした、神は弱きを助ける、という事実からすると、かなり矛盾しているように見えるが、この場合の宇宙人はやはり人型エイリアンにすぎず、まだ神様にまでは至っていない、霊性の低い存在だろうということになる。
はたして真実はいかに?
いずれにせよ、時間が解決してくれるだろう。今後が実に楽しみな時代である。

by Kikidoblog | 2014-11-24 13:26 | スピリチュアル