「訓読み」と「音読み」の話:音訓で意味が逆転する!→「こっち見るな、愛さないで!」
ここ最近、徳島は比較的暖かく、北米の寒さの人には気の毒に思いつつ、秋のような日々。それゆえ、実に頭が働く。そこで、連日長文のメモとなっている。ついでに、最近気づいたことをメモしておこう。
(あ)「君が代」の「君(きみ)」意味
まずねずさんこと小名木善行さんの「君が代」の話はまさに目からうろこの話であり、すでに「古典」である。これである。
「君が代」の真の歴史1:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!
「君が代」の真の歴史2:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!
つまり、「訓読み(くんよみ)」(古代日本の大和言葉由来)と「音読み(おんよみ)」(古代支那の漢字由来)で読み方と意味が異なるということである。
我が国の古来からの訓読みでは、「君」=「きみ」=「き・み」となり、その意味は「き=男」、「み=女」、すなわち、「きみ=男女」となる。つまり、「きみがよ」とは、「日本男女の子子孫孫の唄」という意味になる。
そのルーツは実に古く、古事記のイザナギとイザナミ
の時代に由来する。このため、日本では、おじいさんを「おきな」、おばあさんを「おみな」と呼んだ。したがって、老若男女すべてをいっしょにして「きみ」と呼ぶ。
ところが、これを「音読み」すると、意味が全く違うことになり、むしろ意味が逆転する。「音読み」は古代支那中国由来の発音であり、「音読み」の「君」=「くん」は、日本語の「暴君」の時の「君」の意味に近い。ねずさんの説明ではこうなる。
もともと「君」という漢字は、「尹」に「口」で成り立っている字です。
「尹」というのは、横棒の部分が人間の手の形の象形文字からきています。
その手に「|(棒)」を持っています。
よく見ると、その棒が、ぐにゃりとしなっています。
これが何かというと、要するに「鞭(ムチ)」です。
つまり「尹」は、手にムチを持っている姿です。
そしてその人が「口」を空けて何か言っています。
要するに「君」という支那漢字の持つもともとの意味は、手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字なのです。
君が代を否定する恥ずかしい人たちより
要するに漢字の「君(くん)」とは、「手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字」
だったのである。(地獄絵の鬼さながらのものが「君」なのだ!)
したがって、「君が代」の意味も「君」の意味が、日本式=大和言葉の「訓読み」で理解するか、中国式=漢字の「音読み」で理解するかでまったく異なった意味になるわけである。これがねずさんの指摘である。
ははーー、誠にごもっともでござる。
とこういうことになる。
(い)「民主」の「民」の意味
次にねずさんは「民主主義」の「民」の意味もまた、「訓読み」と「音読み」でまったく意味が異なることを指摘する。
大和言葉由来の「訓読み」では、「民」=「たみ」。この意味は、「田畑で働く人々」
の意味である。(これが、日本の「民=たみ」のイメージである。)
ところが、これが古代中国の漢字由来の「民=みん」となると、意味が全く逆になる。ねずさんの説明はこうだ。
ちなみにその民衆の「民」ですが、これは字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないのかという理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
その道具で眼球を突かれ、目を見えなくさせられているから四角の中に目玉がないのです。
そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり城塞都市の塀の内側で、針で目を潰された人たちが「民」です。
その「民」に、「働け、働け〜!」と口を大きく空けて大声をあげてながら、「民」をムチでしばきあげている人たちが「君」です。
「君」は、ムチでしばきあげている人たちですから、「民」より上の人です。
だから「君」は偉い人、人に命令する人を意味します。
君が代を否定する恥ずかしい人たちより
つまり、奴隷商売の時に、逃げられないよう縄につながれた奴隷が「民=みん」であり、それを鞭打つものが「君=くん」
の意味なのである。
したがって、同じ「民主」という言葉でも、日本人は「民主=みんしゅ=たみが主=たみが上=男女が上→社会の上につくものは、社会に下につくものたちのためにある」という意味になる。
しかしこれが、半島人や中国シナ人には「民主=みんしゅ=みんが主=みんが上=エリートが上→官僚や両班が奴隷大衆を鞭打って痛い思いをさせて従わせる」という意味に変わるのである。
言い換えれば、日本語の「民主」の意味は、「シラス国」(つまり、すべてを老若男女に知らしめる国)の言葉であって、漢字の「民主」の意味は「ウシハク国」(つまり、わずかの王族貴族が奴隷大衆を統治する国)の意味である。
ところで、西洋はもちろん中国支那、南北朝鮮と同じ思想である。つまり、「ウシハク国」である。
どうやら、これは明治の頃には、我々の先祖の福沢諭吉やその同時代人が漢字を使ってさまざまな現代語を生み出し、それが当時日本に留学に来たたくさんの中国人や韓半島人に伝授されたから、それなりにオリジナルの意味(日本人の使う意味)が伝授されたのだが、戦後の中国韓国の「反日教育」の時代になると、日本人の「訓読み」のもともとの意味から程遠いものに変わってしまったという可能性が高い。
というわけで、今現在では漢字を使うと、ますますその意味が混乱を呼ぶのである。
(う)日本の政治団体名は「民主」を取り除くべきだ!
というわけで、私は最近、「自由民主党」とか、「民主党」とか、「共産党」とか、「次世代の党」とか、「公明党」とか見た場合に、どうもこうした政党名の中にある「民主」は取り除くべきだろうという結論になるというわけである。
正しく使っているのは、「民主党」だけだろう。もちろん、日本の民主党は在日韓国人主体の韓半島系の帰化人のパチンコ政党だから、この場合の「民主党」=「みんしゅとう」=「エリートが一般人を奴隷扱いする党」という意味で、古来の中国の漢字の意味を正しく使っているということになる。
しかし一方の「自由民主党」=「じゆうみんしゅとう」は、この漢字をそのまま中国人やら南北朝鮮人が見れば、「エリートが自由気ままに一般人を奴隷にするすばらしい党」という意味に誤解されかねないのである。
というわけで、私は「自民党」は英語名を前面に押し出すか、名前を変えるべきだろうということになる。「共和党」とか「日本党」とか、そんな類のものに変えたほうが海外のアジア人には受けが良いのだろうということになる。
ちなみに、今の自民党にもっとも近いのがアメリカの「共和党」である。この際、「日本共和党」に変えた方が良いのではなかろうか?
一方、「民主党」はそのアメリカオバマの民主党の内容からして非常に似ているからそのままでもいいかもしれないですナ。「民主党」とは、まさに「ウシハク党」ということになる。
ちなみに、「次世代の党」は「日本党」か「シラス党」とか、あるいは「日本シラス党」とか、そんなものが良さそうである。
(え)政界再編はこうすべきだ!
さて、今の政党名で考えるとして、どう政界再編すればよろしいかというと、おおよそこんな感じだろう。
今は
与党→「自民党+公明党」
野党→「民主党+次世代の党+エトセトラ」。
これはこうなるべきだと俺は思う。
与党→「自民党+次世代の党」
野党→「公明党+エトセトラ」
民主党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
共産党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
社民党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
いずれにせよ、国内の政治において「民」という言葉や「君」という言葉、「民主」や「君主」など、こういった漢字適用の専門用語は使用する場合に「但し書き」で、かならず「訓読み」の意味を添付して伝達しないと正しい日本語の意味が伝わらず、大方意味が逆転するらしい。
(お)あれ〜〜、「愛」も意味が逆転するとか?キモいナ。
最後の例が「愛」=「あい」である。
ねずさんによると、日本語の「愛」=「あい」の意味は、「愛」=「いとおしく思うこと」だという。これは我々には常識だろう。だから、我々日本人は、「愛」という漢字を見れば、だれもがそういうふうに読んでいる、解釈していると思っていた。ところが、やはりそれは間違いだった。
ねずさんによれば、こうなる。
同じことは、たとえば「愛」という漢字にもあります。
昔の人は、この「愛」を「おもひ」、「いとし」と訓読みしました。
ですから日本人にとっての愛は、対象を「いとしく思うこと」です。
ところが漢字の字源の意味する「愛」は、久みたいな部分が足を引きずるで、家の中にある何かに心を惹かれて後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられたなら、それを奪うという意味の漢字です。
昔、「愛は惜しみなく奪う」というタイトルの日本映画がありましたが、「愛=奪う」という発想は、まるごと漢字圏の人たちの発想です。
つまり、大陸のアジア人にとって、つまり特亜の人間には、「愛」とは、「サイコパスが何かに粘着してそれを奪う」という意味だというのである。
つまり、かつてのサイモンとガーファンクルの唄のダスチン・ホフマンの「卒業」の他人の嫁さんを略奪したサイコパスの異常な執着心、そういうものが「愛」だというのである。
要するに、いま中国人や韓国人が日本の仏像をおねだりしたり、欲しがって、盗みに入る。これが連中の考える「愛」だというのである。特亜の害人さんが「愛しちゃったのよ」という時の意味は、「略奪しますよ」という意味に近いらしい。
いや〜〜、これには恐れいった。脱帽だ。まさにそのとおりだからである。
彼ら韓半島人は、我々を愛しているのである。ぞっとしますナ。
「こっち見るな、愛さないで!」
というしかない。
いや〜〜、実にいい勉強になった。ねずさんに感謝。
ひえ〜〜、という感じである。なぜなら、私は「愛100%の男」だからである。
うそこメーカーで発見:「人類愛100%」の愛の男!
(これは日本語大和言葉の愛の意味ですぞ!俺は物欲ゼロ、粘着ゼロ、略奪ゼロのスーパーゼロ男なんですナ。特亜の君、きみらの愛といっしょにしないでナ。)
困った世の中ですナ。
by Kikidoblog | 2014-11-28 09:25 | 反日・在日の陰謀