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個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?2

ヒトの双対性

保江邦夫博士「ヒトを見たら神様と思え」
井口和基博士「ヒトを見たらヒトモドキと思え」

保江邦夫博士の秘技「ハトホルの神降ろし」
井口和基博士の秘技「奥さんの髪下ろし」

保江邦夫博士の弟子「無数」
井口和基博士の弟子「皆無」


みなさん、こんにちは。

今回もまた私的メモである。であるからして、普通の人にはどうでもいいことだろうから、無視無視。スルーして欲しい。


最近なぜ私が保江邦夫博士の全著作に目を通そうかと考えるようになったかというと、それは、前に
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
でメモしたように、私と保江邦夫博士というのは何から何まで逆、裏腹のように見えるからなのである。その意味で、比較すればするほど絶妙にその裏腹関係が面白いから、いったいどこまでそれが通じるのか、どこかに例外が出てきて、両者が一致する場面があるのか、というようなことを探すためなのである。

さて、「重なりあう」という場合、2種類の重なり方がある。私はそう考えている。

まず第一のものは、普通の重なりあう仕方で、拝む時に両手を合わせるように重なるという場合である。つまり、2つの別のものが同じ場所に重なり合うことである。
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これに対して、もう一つの場合は、祈る時のように両方の手の指をお互いに嵌めこむようにして重なるという仕方である。2つのギア(歯車)が歯を互い違いに組み込んで合う、というような場合である。つまり、2つの別のものが決して同じ場所を占有するのではないが、お互いを補完しあうような形で重なりあうことである。
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(本当は自分の頭で想像して貰えばいいのだが、たぶんわかりにくいので図を用意した。)

実はこれと同じことが人間の行動や趣味趣向の場合にもあるというのが私の理解である。

まず「あの人と合う合わない」「韓国人と日本人は合う合わない」というような場合は前者のようなことを念頭に置く。意見が合う。考え方が合う。好みが合う。こういうものは、すべて両手を重ねるような合い方である。だから、この場合は、意見が対立し始めると同じ場を占めるためにうまくいかないということが起こる。

もう一つの場合は、あまりお目にかからないから分からないだろうが、私はこの噛み合う形の裏腹な合い方をしているのが、私と私の奥さんの場合であると思っている。多分具体例をあげないとイメージ出来ないだろう。

私と奥さんは、ふたりともアンパンが大好きである。しかし、私は中のアンの部分が好き、奥さんは外のパンの部分が好き。だから、かならず分け合うことができる。私も妻もモチが好き。しかし、私は白いモチが好きだが、妻は色のつくモチが好き、だからよもぎモチは妻が、白餅は私がいただく。だから、取り合いにならない。食パンなら私は中、妻はミミが好き。これまた取り合いにならない。料理をすれば、奥さんは作るほうが好き、私は後片付けが好き。だから、分業できる。私はあまり寝なくても問題ないが、妻は寝ないとダメ。だから、奥さんが寝ている間読書や研究ができる。これまた問題なし。

というふうにしてありとあらゆることがすべて裏腹。これは私と私の奥さんの関係である。これまで一度もこういう関係の人を我が家をおいては見たことがない。しかしながら、本来、男と女というものは、そういうものであった。すべてが陰と陽の裏腹なものだったのである。私はそう思う。

「裏腹」「真逆」と、ここで私が言っている意味はこういうことである。

ところが、私が保江博士の研究論文や著作の本を見れば見るほど、読めば読むほど、私と保江博士の関係ももまた、私と奥さんの関係のように、すべてが裏腹なのである。だから、興味をもったわけである。

例えば、Aで始まってBで終わる一本の紐があったとしよう。そして端をつまむとしよう。それを見ている2人の人間がいるとすれば、2つの可能性に対して2人の人間がいるのだから、計4通りの可能性が生まれる。どちらもAをつかむか、どちらもBを取るか、AさんがA、BさんがBをつかむか、AさんがB、BさんがAをつかむの4通りである。だから、こういう場合には、普通かならず両者が同じものを興味を持つということが往々にして起こるはずなのである。

ところが、私と私の奥さん、私と保江博士はいつもつかむほうが逆になるのである。裏腹なのだ。そもそも、どちらかがその紐に関心を持たなければ、そういう問題は起こらない。例えば、私と妻のどちらかがアンパンが嫌いというような場合。あるいは、私が理論物理学者で保江博士が数学者というような場合。

そこで、私と保江博士の場合はどうか?と私は本をいろいろ読みつつそういう部分をピックアップもしているのである。

例えば、私も保江博士も理論物理学者だが、保江博士は素粒子論、私は統計力学熱力学。補完しあう。同様に、私も保江博士もディラックやシュレディンガーの仕事に非常に関心をもつ。しかし、保江博士はどちらに対しても初期の基本の方に関心を持つが、私の場合は、彼らの晩年の研究に関心をもつ。

ディラックに対しては保江博士は初期のディラック方程式に関心を持つが、私は晩年の場の理論の無限大の困難に関心を持つ。シュレディンガーに対しては、保江博士は初期のシュレディンガー方程式の導出に関心を持ったが、私は晩年のシュレディンガーの「生命とは何か?」に関心を持つ。

つまり、保江博士は彼らがしたことやできたことに関心を持つが、私は彼らがしなかったことやできなかったことに関心をもつ。だから互いに補完しあう。

数理科学、数理物理学に対する認識もお互いの著書で述べられたことを比べても全く裏腹だった。

保江博士は「理論物理学は理論物理学者にはできず、本当の進歩は数理物理学者だけが成し遂げた」と見ている。ところが、私は「数理物理学者は数学者に近く、本当の物理学は理論物理学者でなければ無理だ」と。つまり、保江博士は「理論物理は糞だ」というのに対し、私は「数理物理は糞だ」と考える。我々はどちらも理論物理学者であり、同じような教育を受けてきている。が、そういう裏腹の認識をとっている。

物理のやり方もどうやら根本的に裏腹である。

保江博士の場合は、根本原理は1つ。真の根本原理を見つけれさえすれば、後はそれをこの宇宙自然界ひいては霊界までも含めてすべてを理解できるはずだと考えている。ところが、私の場合は、おそらく根本原理は無数。あらゆる問題にはそれに相応しい解き方があり、宇宙を理解する場合にはそれに相応しい、霊界を理解するにはこれまたそれに相応しい考え方があるはずだと考えている。ともに、霊界にも関心を持っているのである。

物理の理解の仕方も裏腹である。

保江博士の場合は、理論を掘り下げ、理論のより基礎、より根本の疑問を解けば、それが本当の理解に繋がると考える。しかし、私は、理論の正しさやその理解が正しいかは、これまでにないものへの応用ができて初めて分かるのだという考え方である。これまた裏腹なのである。

まあ卑近な例で料理を取り上げれば、料理を作る場合も、美味しい料理を作るには、良い素材、料理法、いい組み合わせで料理することが大事だというような考え方が保江博士のものである。これに対して、美味しい料理を作るには、調理器具まで含めて見事な後片付けが行われた清潔なキッチンでなければ不可能だというような考え方が私のものである。

別の言い方をすれば、問題が分かればもう100%解けたに等しいと考えるのが保江博士のものだとすれば、問題は100%解けてみないと分からない、問題提起と問題解決はまったく次元が違うのだというのが私のものである。

とまあ、こんなふうに体験から教育から、すべてが真逆の裏腹だと私は感じるのである。

まとめるとこんな感じか?
ヒトの双対性2

保江邦夫博士「リッチな片親の下に生まれる」
井口和基博士「非常にプアな両親の下に生まれる」

保江邦夫博士「大学までスポーツせず軟弱だったが、大学から合気道に励む」
井口和基博士「大学までサッカーのエースだったが、大学からスポーツから離れる」

保江邦夫博士「球技は嫌いだが、武道の達人」
井口和基博士「球技の達人だが、武道は嫌い」

保江邦夫博士の受験「すべてAO入試」
井口和基博士の受験「すべて厳しい試験の一発勝負」

保江邦夫博士の大学院生活「大学院を渡り歩くがたくさんのいい指導者に恵まれる」
井口和基博士の大学院生活「大学院を渡り歩くがあまりいい指導者に恵まれず」

保江邦夫博士の物理観「数理物理こそ最上のもので、理論物理は糞」
井口和基博士の物理観「理論物理こそ最上のもので、数理物理は糞」

保江邦夫博士「欧州フランス的なアバンギャルドな抽象数学的アプローチが好み」
井口和基博士「欧州アングロサクソン的な古臭い具体的実証的アプローチが好み」

保江邦夫博士の物理「確率的取り扱い」「量子力学的」
井口和基博士の物理「決定論的取り扱い」「古典力学的」

保江邦夫博士の物理「関数解析的」「抽象空間」
井口和基博士の物理「代数解析的」「現実空間」

保江邦夫博士の脳理論観「量子脳理論ですべて解決、ほとんど終了」
井口和基博士の脳理論観「時期尚早、量子脳理論など無意味、時間の無駄」

保江邦夫博士「家も地位もお金もクレジットカードもマイカーもある大学教授」
井口和基博士「家も地位もお金もクレジットカードもマイカーもない主夫」

保江邦夫博士「たくさんの売れる本の著者」
井口和基博士「たくさんの売れない本の著者」

保江邦夫博士「ブログ持たず」
井口和基博士「ブログ持つ」

保江邦夫博士の格言「明日できることは今日するな」
井口和基博士の格言「明日死ぬと思って今日生きろ」

保江邦夫博士「物事はいい加減ほどいい」
井口和基博士「物事は徹底的ほどいい」

保江邦夫博士「愛魂の達人」
井口和基博士「憎魂の達人」

保江邦夫博士「臨死体験あり」
井口和基博士「臨死体験なし」

保江邦夫博士「世界一周経験あり」
井口和基博士「世界一周経験なし、しかし、その程度は家の周辺を走っている」

保江邦夫博士「グローバルに生き、ローカルに考えよ」
井口和基博士「ローカルに生き、グローバルに考えよ」

保江邦夫博士の本の作り方「人前で話すのが得意、話してから書く」
井口和基博士の本の作り方「人前で話すのが苦手、話すように書く」

保江邦夫博士「女性と魂を重ね合わせるのが好き」
井口和基博士「女性と体を重ね合わせるのが好き」

更に追加。

保江邦夫博士「人に可愛がられるタイプ」
井口和基博士「人に恐わがられるタイプ」

保江邦夫博士「先生に好かれたタイプ」
井口和基博士「先生に嫌われたタイプ」

保江邦夫博士「常に偉大な先生に入門するタイプ」
井口和基博士「常に我が道を行くタイプ」

保江邦夫博士「他人より自分が大事」
井口和基博士「自分より他人が大事」

保江邦夫博士「自分の研究がとても重要だ」
井口和基博士「自分の研究などどうでも良い」

保江邦夫博士「他人からご好意をもらい自分が得して、自分が成功していくタイプ」
井口和基博士「他人に好意を注ぎ自分は損して、他人を成功させるタイプ」

保江邦夫博士「周りは変わらずとも自分が変わる」
井口和基博士「自分は変わらずとも周りが変わる」

保江邦夫博士「女の子二人」
井口和基博士「男の子二人」

保江邦夫博士「お金に縁がある」
井口和基博士「お金に縁がない」

などなど永遠に続く。

たぶん、

保江邦夫博士「93歳までの長命」
井口和基博士「比較的短命」


いや〜、これまで私が出会った研究者や理論物理学者の中でこれほどまでに興味や関心の方向は一致するが、見事なまでに裏腹人生のお方には出会ったことがない。実に面白い。

ところが、昨年の4月28日に我々はヒカルランドで対談した。それも2日にわたって延々18時間も。いったいどんな話だったのやら?どういうわけか、俺は自分の話したことをまったく覚えていない。記憶喪失か?

というわけで、私の保江先生の本の読書がまだまだ続くのであった。


おまけ:
ところで、今知ったのだが、保江邦夫博士の研究のさきがけとなったエドワード・ネルソン先生のご著書が、インターネット上に無料配布されている。以下のものである。
Dynamical Theories of Brownian Motion
だれか翻訳しないか?

おまけ2:
もう一つ。馬小屋で生まれたイエス・キリストが結局生まれた馬小屋のような洞窟の中で息を引き取ったというように、あるいは、狼に育てられた子供が一旦は人間社会で育ちそれなりの知恵をつけたとしても、最終的にはやはり森へ帰ったように、人というのは自分が生まれ落ちた場所、生まれ育った場所に戻るのではないか、という予想を私は持っている。私自身が、それほど恵まれていない環境でもなんとも感じることなく、平然と生活できているというのは、実は私が生まれた家が非常に貧しい両親の下に非常に狭く、また隣が作業場だったために非常にうるさい家だったからではないかと思う。そのせいか、私はまったく騒音が気にならない。どんな場所でも読書できる。自分が生まれた場所はどんな家だったか、3歳までにどんな家庭環境で過ごしたかというのは、幼児忘却でいずれ思い出せなくなるが、結局、自立して今いる自分が住んでいる場所というのは、生まれた状況に非常に似ているのではなかろうか?私は無一文の家に生まれ、今も無一文である。それでも特に何も感じない。やはり「三つ子の魂百までも」はこういう意味で真実だろうナア。保江博士の場合は、公務員の父親のもと普通の生活をしている場所に生まれた。片親だから母の愛は受けられなかったという状況である。したがって、結局、いまのリッチな生活を求めたのも最初に生まれた場に戻っただけ。愛魂や愛を求めるというのは、結局「失われた母の愛」を求めて、「母を訪ねて3千里」だった可能性が高いのではなかろうか。おそらく、保江博士にとっての「マリア様」はお母さんなのである。



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  by Kikidoblog | 2015-01-28 09:45 | 保江邦夫博士

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