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「不一不二」とは何か?:岡潔博士、グリア博士、フラーの解釈



みなさん、こんにちは。

「不一不二」(ふいつふに)

私がこの言葉を知ったのは、岡潔博士の著作からである。
岡潔 「人とは何かの発見」:いまこそ岡潔博士の言葉に耳を貸そう!

岡潔 「人とは何かの発見」の解説
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岡潔博士の「自然科学観」、「自然科学は間違っている」:いや〜〜、実に鋭い!

言葉というものは、いわゆる「未定義熟語」というように、外側の枠として、つまり、1つの言葉のシンボルとして理解したり覚えたり発音することは簡単だが、その真意を理解することはとてつもなく難しい。そういうものである。

この「不一不二」について岡潔博士はこう言っていた。
【 8】 個人主義と物質主義

そうすると人が現実にその中に住んでいる自然は、単に五感でわかるようなものだけではなくて、無差別智が絶えず働いているような自然でなければならない。

ところが無差別智というのは個に働くのです。だから無差別智の働きというと個の世界の現象です。しかし個の世界は二つの個が一面二つであり、一面一つでなければならない。こういう世界です。だから個の世界は数学の使えない世界です。。

これに反して、物質的自然は数学の使える世界です。だから人は物質的自然には住んでいないのです。

物質さえわかれば全てわかるという考え方、間違ってますが、これを物質主義といいます。また肉体とその機能とが自分であると、そういいましたね。肉体とその機能とが自分であるというのも間違いですね。まあ間違ってるとはっきり言えないまでも、自然科学の間違いから来てるということでしょう。これを個人主義というのです。

肉体とその機能とが自分であるというのが個人主義、物質がわかれば皆わかると思うのが物質主義。どうも物質主義、個人主義が間違った思想の基だと、そう思います。

で、自然科学は間違っている。それから仏教はどういうか一応聞きました。この後、自分の目で見、自分の頭で考えて行ってみる。
また、こうも言っていた。
【6】 数学の使えない世界

この、第2の心の世界ですが、二つの第2の心は二つとも云える、一つとも云える。
不一不二と云うんです。不一不二と云ったら二つとは云えない一つとも云えないのですが、この自然と自分とは不一不二、他人と自分とも不一不二、こう云う風。
この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。物質はここから生まれて来て、又ここへ帰って行っているのだと云う意味になることを、山崎弁栄上人が云って居られる。
そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。

花を見れば花が笑みかけているかと思い、
鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、
人が喜んで居れば嬉しく、
人が悲しんで居れば悲しく、
人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない。

こんな風です。

つまり、個というものは、別々のものだが、全体として1つでもある。つまり、1つとも言えないし、2つともいえない。つまり、数の概念が使えない。だから、数学では扱えない世界である。そういうものである。

これが、岡潔博士のかつての主張であった。

ところが、最近、スティーブン・グリア博士の本
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UFOテクノロジー隠蔽工作
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を少しずつ読んでいるところだが、岡潔博士とまったく同じことが議論されている箇所があったのである。

「UFOテクノロジー隠蔽工作」というタイトルからすると、一見この本はハイテクの空飛ぶ円盤の話だろうと思えるが、実際、私もそうだろうと思って図書館から借りたのだが、読んでみると、実はこの本は、グリア博士の自伝であって、自分がいかにしてスピリチュアルになっていったかという話が主であった。つまり、この本はスピリチュアルの本なのである。

なんとこのグリア博士は、スピリチュアルの修行から学業に入って医者になっていったのだが、その修行中にまるでインドの聖人のように、座禅を組んで瞑想中に宙に浮き上がったというのである。

こんなスピリチュアルに開花した結果、かなり素早く医者になれたというのである。

さて、そんなグリア博士がこう言っている箇所がある。6章「言語を超えた”一体性”」である。
 スーフィーの伝統に、宙に浮いて水の上を渡るよう、師が弟子に教えている話がある。弟子は水際に立ち、知的判断を試みながら考える。「どう考えても私は水より重い。だから私は水中に沈み、溺れる。」師は弟子に向かって言う。「自分自身を後に残し、そうして水の上を歩くのだ」
 これは恩恵である−−私はこれを実効ある恩恵と呼ぶ−−こういったことを霊的に達成する道を見出すべき恩恵。あなたはそれを実習し、その道が自ずと開かれるようにしなければならない。
 あなたのハートでそれが可能であることを知る必要がある−−普通の意味での信念で何かを信ずることではない。あなたは「そうなる」と自身に言い聞かせるべきで、そうするとあなたはそれを為している。そうなるのはあなたの自我のせいではなく、あなたの中に立っているより大きなマインドからそうさせるのである。
 これを実現させるのはひとつのパラドクスである。一面では、私たちの個別性というのは媒体であり、それを通して無限なるものが現れ、表出される。このことを理解してしまえば、霊のための透明な媒体という概念がわかる。だから一方では、それが起こり得るための個別性が必要である。同時に他方では、より大きな”神格”をして光り輝かせ、こうしたことを起こさせるように、あなたは自己から充分に自由になっていなければならない。そうすると、それが起こる。
 不可視の領域からの助けもあって、このことをほとんど独力で見出したおかげで、私は青年期を生き延びてきた。もし見出だせなかったらならば、二十歳になる前に死んでいたに違いない。。。。

たぶん、言わんとする所は、一方では個別の系(閉じた系)でありながら、他方では宇宙に開かれた存在(開放系)である、というようなことか。つまり、普通の我々物理学者の言葉に翻訳すると、
閉鎖系でありながら、かつ開放系である系
というものであると言えるかもしれない。

果たしてそんな物理系は、数学化できるか?

岡潔博士は、それは不可能といった。普通の数学では無理だと。

しかしながら、岡潔博士の死後もっとも発展した分野にカオス力学系とフラクタル力学系、つまりフラクタル=自己相似の系がある。
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この自己相似形というものは、個が全体の中にあって、その個自身の中に自分を包む全体がある。こういう意味では、不一不二の系である。そう見ることも可能である。

つまり、我々物理学者の言葉で言えば、「不一不二」というのは、「自己相似形」の系ということになる。自分の内を見つめれば、自分の中に自分を含めた宇宙全体があり、自分の外を見つめれば、自分を包む宇宙全体が自分の中にあって宇宙全体と繋がっている。そんな感じのシステムであるだろうということになる。

実は、20世紀最大の建築家思想家と言われた、バックミンスター・フラーも同じ問題を考えていた。フラーの詩(1972年)に次のものがある。
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環境とは誰にとっても 「自己」以外のすべてのもの
宇宙とはそれとは反対に 「自己」を含むすべてのもの
宇宙と環境との唯一の 境界は「自己」− それは経験する思考者

つまり、フラーによる「自己」=「個」の定義は、宇宙全体と自分以外のすべてとの交点だというものである。言い換えれば、自分というものは、自分の内部と自分以外の外部に分けた時、自分以外の外部と自分を含めた宇宙全体との共有部分のことであるという認識である。したがって、自分が存在する場所は、自分の身体と自分を含めた宇宙との境界にあるということになる。

これが、フラーの考えるところの「不一不二」である。

人がスピリチュアルなことを考える時、不思議とフラクタル図形のようなイメージに惹かれる。そこには何らかの理由があるのだろうということになるが、フラクタル図形においては、その内部にあるどの部分へもエネルギーが伝播するときには、あたかも自分を包んだ外部宇宙からエネルギーが振り注いだかのように見えるはずである。

つまり、フラクタル図形の内部に存在する部分である個々のものは、つねに自分自身が宇宙全体と繋がっている感覚を持つと同時に、系全体のエネルギーの流れは、宇宙から自分にやってくるかのように感じるのである。

はたして自分自身がこういうことを信じたとして、その瞬間に自分が宙に浮かぶことができるだろうか?

いやはや、修行あるのみですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-02-22 11:14 | スピリチュアル

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