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米本位制こそ「ゲセル理論」そのものだった!?:ユダヤとニダヤ、この詐欺的民族!?

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”お金は老化しなくてはならない。
お金は最後には消え去らなくてはならない。
お金は身体の中の血液のようなものであるべきだ。”----シルビオ・ゲセル

ミヒャエル・エンデの最後の遺言:「シルビオ・ゲセルの理論より


みなさん、こんにちは。

いまや世界の金融の99.9%は偽ユダヤ人のオリガルヒが握っている
【New World Order】イルミナティの本当の正体を暴く!? 【新世界秩序】
というが、それはアタリマエのことで、そもそも貨幣は金の保管預り書として出発したものだったからである。

ちょうど、ホテルにバッゲージを預けると、ホテルが預かり証のキーホルダーのようなもの
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を渡してくれる。これの金庫版、つまり、貸し金庫の鍵が、通貨の始まりである。

自分の貸し金庫の鍵を、自分が預けた金の量に合わせて、プレミアムキー、ゴールドキー、シルバーキー、カッパーキーというように分別し、それをさらに紙に分割して中身を一時的に使えるようにしたものが、紙幣の始まりである。

したがって、西洋社会ではローマ時代以前からの金庫番はユダヤ人(=偽ユダヤ人)だったから、ユダヤ人が金融事業に精通したのはアタリマエのことなのである。

ましてや、キリストが生誕し、本来のスピリチュアルな精神の流布の時代が過ぎると、ローマカソリックが「キリスト教」の名のもとに、一般人を金融業から離れるようにするために、金を扱うのがキリストの精神に反するという教義とすることによって、むしろ逆に、ユダヤ人による金融業の独占が見事に続けられたのである。

ローマ時代の貿易の雄といえば、地中海貿易を支配していた古代フェニキア人であった。フェニキア人は金髪碧眼のアングロサクソンのルーツとなった民族で、ローマ帝国との三度の世界戦争であったポエニ戦争で、当時の地中海を追放され、北欧、スコットランドに逃げ延びた。そして、後のバイキングとなって復活する。

このフェニキア人の通貨は「牛」であった。牛を飼って、牛が仔牛を生むことを利子と考えた。牛をあっちこっちへ持ち運んで貿易をしていたのだが、さすがに牛はかさばるから、そのうち、金の牛型ブレスレットに変えて持ち運んだ。牛交換のための金の紋章が、金の通貨の始まりであった。

このフェニキアの金通貨の保管場所を管理していたのが、ユダヤ人であった。そして、金の代わりに金の保管預り書として紙幣を発行するようになったのである。

というわけで、西洋白人社会の一番最初の「通貨」は牛であった。

牛には寿命がある。しかし、牛は子を生む。牛は食べた牧草に比例して成長し、数を増やす。牧草は土地面積に比例する。また牧草は1年草であり、1年の太陽活動に応じて生育する。したがって、牛は1年の太陽活動に合わせて、生育する。

この事実と、冒頭のシルビオ・ゲセル理論の通貨の定義とを比べてみよう。要するに、シルビオ・ゲセルが念頭に置いていた通貨とは、牛やヤギなどの動物であった。つまり、肉の元であったことが明らかである。西洋人にとって肉はほぼ主食。だから、言い換えれば、食料のことであったと考えられる。
つまり、シルビオ・ゲセルのいう通貨とは、主食のことである。
そういうふうに考えるのが自然だろう。決して、紙の通貨のことではない。つまり、切符やクーポンや預り証のようなものではない。

さて、そこで、我々の日本に目を向けると、どうか?

食料の主食にして通貨はあっただろうか?

驚くべきことに、我が国の通貨は米であった。武田信玄は100万石の大名であった。こういう時の経済を表す「100万石」とは、米の産出量を表している。米の産出量は、それを食べることができる人の数を表す。東京が1200万人の大都市だというところを、昔は1200万石と呼んだのである。

ところで、「米1石」とはどれほどか?

というと、
石 (単位)
1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当する。 日本では、1食に米1合、1日3合がおおむね成人一人の消費量とされているので、1石は成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされ、示準として換算されてきた(1000合/1日3合で333日分)。 なお、面積を表す日本の単位である反は、元は米1石の収穫が上げられる田の面積として定義されたものであった。
とあるように、ほぼ「1石=100升=1000合」のことである。だいたい1人の1年分の米の量である。

というわけで、もしある大名が「100万石」と言えば、100万人が1年間生活できるに充分な経済力のある国だということを意味したのである。

我が国は、長らく米を主食にして、米を実際に通貨としてきた。江戸末期に西洋人が我が国に来るまで、基本的には米本位制の米通貨であった。そして基本的には、今現在も米本位制である。

これを見ても、西洋人の白人学者や偽ユダヤ学者の吹聴する、「〜〜理論」などを信奉するまでもなく、我が国の伝統というものは、何時の時代もその時代の最先端をごく自然な形で進んでいたのである。マルクス理論、ケインズ理論、シルビオ・ゲセル理論とか、西洋人が発見したとか言うような問題ではないのである。

非常に単純明快。人間1人が1年間に主食として食べなければならないものを基本通貨と呼べばそれで全てが解決するのである。

なぜなら、資本通貨を増やしたければ、米なり牛なりを育てて収穫する他ないからである。

かつて、20世紀の天才建築家と言われたリチャード・バックミンスター・フラーが、来るべき真の通過は太陽のエネルギー収支を換算できるものであるべきだと言っていた。それには、石油エネルギーが一番いいのではないか。1人が1年間に必要とするエネルギー源としての石油量、こういうものを基本通貨とすべきだと考えた。

これも1つの良いアイデアであるが、主食を通貨とするほうが早いのではないか。主食を育てる間に、米や小麦は太陽から人間が得るべき必要なエネルギーを計算して収穫されるからである。

例えば、米1石(1人が食べる1年分の米)を育成するのに必要な土地は、1反である。この面積は、1反=300歩=300坪=約10アール=1000平方メートルである。

つまり、主食を通貨にした場合、「通貨を発行する」という意味は、米作りということになる。西洋では、カーボーイが牛を放牧すること、モンゴル人なら羊を飼うことに対応する。要するに、こういう場合には、「通貨を発行する」には、「痛みが伴う=労働が必要」ということになる。

ところが、偽ユダヤ人の銀行家が、「通貨を発行する」場合は、これとは異なる。単に、数字上、あなたにローンを組ませる。その瞬間に新たなる通貨が定義されるのである。だから、いくら通貨が増資されたところで、現物は電子情報でしかなく、電子情報では人は生活できない。まあ、我々が電気を食う、電子回路のロボットならそれでもいいが、生物は生物を食べなければならないから、結局いくら電子マネー、紙幣マネー、金マネーが増えようが、それが人間の食料になることがない。

というわけで、偽ユダヤ人の経済学者の大失敗は、おそらく、通貨のこの面を無視したことだろうと俺は考える。基調通貨は、やはり人間の主食でなければならない。

とまあ、こんなことを最近は、俺はよく考えるのである。


昔の日本人は賢かったんですナ。

米本位制に戻すべきである。そうすれば、すべてがうまくいきそうな予感がするのである。

まあ、もともと偽ユダヤ人は土いじりは嫌いらしい。本を読んだり、芸術などはすきでも、実労働を馬鹿にする。だから、手を汚さずにできる話を考えて、紙幣を考えたのである。(この点もパチンコ景品所を作って儲けた鮮人と似ている。ユダヤとニダヤ、おそらく昔は同じ民族だったのだろう。)

ユダヤ人も自分の庭で家庭菜園をやってみたら、少しは頭が変化するのかもしれないですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-03-01 10:22 | コンスピラシー

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