我々の「謎の対談」本、いよいよ来週発売!:おまけ、物理学自体にも双対性があった!?
理論物理学の双対性
素粒子物理学「対称性が高いほど温度が高い」
物性物理学「対称性が高いほど温度が低い」
おまけ:
前の話が長くなったので、ついでにこちらにメモしておこう。
実は、このVolovik博士のものの見方や考え方には非常に素晴らしいものがある。ロシアのレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウの「ランダウ学派」に繋がる、ロシア流の重厚な考え方が見られるのである。私が個人的に崇拝するのは、Volovik博士のこの部分である。
つまり、このVolovik博士がどんなことを言っているかというと、次のような主張である。
この世界の物理学には、保江邦夫博士のやられている素粒子理論物理学と私がやってきたような物性理論物理学の大きく分けて二種類がある。
その前者の素粒子理論でいうところの「高エネルギー物理学」と、物性理論物理学でいうところの「極低温物理学」があるわけだ。
問題は、高エネルギー(通称「高エネ」)物理でいう「ビッグバン理論」と極低温物理でいう「超流動」は、ものの見方がすべて裏腹=双対的、あるいは、相反的だということなのである。
前者がビッグバン状態は極めて高温高圧で宇宙の特異点のようなものだと考えるに対して、後者は、宇宙の原初に対応するのは、超極低温の基底状態である超流動状態だと考えるのである。
ここには大きなパラドックスがある。というのが、長年のVolovik博士の主張なのだ。
素粒子論物理学者は、非常に高温から徐々に低温になって宇宙が構造変化して今現在の宇宙になったと考える。だから、冷えれば冷えるほど、宇宙の構造は複雑化し、豊かなものになってきたと考える。言い換えれば、対称性の非常に高い状態ほど高温状態の宇宙初期であり、徐々にその対称性が破れて宇宙が進化したと考える。
一方、物性理論物理学者は、高温になれば、エントロピーが増大し、物質の個性は失われ、すべては気体になってしまう。単調な世界しか高温では実現できない、しかし、極低温では、物質固有の性質が現れる。超流動現象や超電導現象が現れるのはこの極低温である。言い換えれば、高温では対称性が失われて個性は消えているが、低温になって初めて高度の対称性が現れる。
この見かけ上の逆の傾向は何を意味するのか?明らかに矛盾しているのではないか?だれもこのパラドックスを説いたものがいない。
これがVolovik博士の指摘である。ちなみに、この論文。
Superfluid analogies of cosmological phenomena
私が思うに、これは素粒子物理学者があまりこの世の現実の物質の性質、特に統計物理の本質を分かっていないからではなかったのかというのが、私の感想である。理論上は、統計物理学の枠組みを素粒子論の研究者も使うのだが、熱物理学や物性論の現象そのものの特性について、その意味するところはあまり理解していない(人が多い)ということが原因だろうと見る。
どういうことかというと、例えば、我々物性理論物理学者のみならず、我々一般人は、水の氷が摂氏零度で凍ることを知っている。つまり、我々は氷が冷たいことを知っている。
氷は人がそれを手で持てば冷たいがすぐに溶ける。しかし、仮にそれを知らない人がいたとして、その氷を手で持って溶かして蒸発させるのではなく、氷どうしを鉄砲のようなもので打って、氷をお互いにぶつけて一気に蒸発させるとしよう。そうやって、氷の内部には何があるか知りたいと考える人間がいたとする。
果たしてこの場合のエネルギーはいかほどか?
我々は、すでに氷の融解熱は80cal/gであることを知っている。さらに水の気化熱は539.8cal/gと知っている。ただし、1J=4.23cal。
物性物理学や化学では、氷を水蒸気に変えるには、1gの氷をまず0℃の1gの水に変え、それを100℃の熱湯に変え、それに気化熱を加えて1gの水蒸気に変えるまでの熱エネルギーが必要だと考える。これが、水(H-0-H)分子が氷や水である時の結合を解くために必要なエネルギーだと考える。
一方、素粒子物理学では、その氷の結合エネルギーを打ち破るために、高エネルギーの氷加速器を作って、氷どうしを衝突実験する。そのために必要なエネルギーは、何電子ボルトかと考える。これが高エネルギー物理の考え方である。そして、この結合エネルギーこそ、この氷の「質量」だと考える。なぜなら、アインシュタインによれば、「質量×c^2=エネルギー」だからと。
こういうやり方だと、冷えきった宇宙の真空の底にある素粒子の結合エネルギーを開放するために、莫大なエネルギーが必要になり、結果として、その質量は非常に重いものになる。そのための衝突実験の装置もCERNの巨大実験設備が必要になる。そういうわけで、こういう実験には非常に高エネルギーが必要になり、結局「高エネルギー物理学」と銘打ったのである。
しかしながら、考えてみれば馬鹿な話である。氷なら手に持てば溶ける。つまり、氷を蒸発させるには衝突以外に別の方法=熱するという方法がある。
はたして、宇宙の奥底にいる素粒子を「熱する」方法、「熱して溶かす方法」はないのだろうか?
もちろん、この場合の「熱する」は、必ずしもバーナーで煮るという意味ではない。あくまで「比喩」である。「電磁気的に煮る」ということもあり得る。要するに、力学的衝突ではない何か別の物理学的方法で、真空を煮る。そうやって素粒子を溶かす。そういう方法もどこかにあり得る。
こう考えると、素粒子は本来冷たいものであって、崩壊して粒子を放射する場合に限ってその放射粒子を受けたものは熱く感じるだけだという解釈も成り立ちそうである。不安定な核物質は、β線(電子線)やガンマ線やX線を出す場合には熱くなるが、何も出さない場合は冷たい。電球も発光しなければ冷たい。
はたして宇宙の初期は冷たかったのか、熱かったのか、これすら本当には理解できていないのである。
木内さんの見てきたように、宇宙の初期が完全無欠のパーフェクトの完全調和の世界だったとすれば(すなわち、もっとも対称性の高い状態だったとすれば)、おそらく冷たかったはずである。それが、崩れてエントロピーが増大すれば、熱くなる。
素粒子物理学者の言うように、対称性が最も高いにも関わらず、温度が最も高いというのは、「馬鹿な俺は天才だ」というような撞着語法なのである。矛盾しているのである。
その点、この撞着語法的な矛盾を指摘したVolovik博士は非常に賢い。
はたしてだれがこの大問題を解いてくれるのだろうか?
いつの日か真の天才が現る日を待つことにしよう。

by Kikidoblog | 2015-05-08 12:13 | 保江邦夫博士