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「和の心」の象徴「和時計」:からくり儀右衛門こと田中久重の「自作自受」

みなさん、こんにちは。

いやはや、「怖いもの」といえば、地震、雷、火事、オヤジというが、昨今ではそれに第3次世界大戦と「朝鮮脳」と「怖いもの」のカテゴリーがますます増加中である。その御蔭で、再び、忙しくなりすぎてETの手も借りたいほどになってきた。が、俺に手を貸すETはまだいない。

さて、そんなご時世の中、すなわち、これほどまでに騒々しい世の中であれ、地道に一つのことをせっせと作業してつくり上げるという人間もいる。

最近、知ったのは、「和時計作りの職人」で、「全世界でたった34人しかいないスイスの独立時計職人」の中に選ばれた2人の日本人がいたということである。
バーゼルでの日本人独立時計師

写真左から菊野氏、私(ケンテックス社長)、浅岡氏、そして当社のNaoki
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スイスのバーゼルで和時計を作る
菊野昌宏
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2011年、日本人時計師・菊野昌宏が開発・製作に成功した「不定時法腕時計(和時計)」は、12の干支が書かれた駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する「自動割駒式和時計(じどうわりごましきわどけい)」です。
 不定時法とは、夜明けと日暮れ(昼)、および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、それを一刻(いっとき)とする時刻の表示機構ですが、日の出と日の入りの時刻が季節によって変化するため、一刻の長さは日々、変化していきます。江戸時代に日本で製作された和時計は、これに対応するため、季節ごとに干支の間隔が異なる文字盤に交換したり、移動式の駒を手動調整する機構などを開発しましたが、菊野昌宏が製作した「不定時法腕時計(和時計)」はかつての和時計を参考に、この機構を腕時計サイズにまで凝縮した世界初の腕時計です。この機構における駒は、夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まります。冬至では逆に、昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がります。
 また、この時計にはブルースチール仕上げされた不定時法針の他に、通常の時分針も装備され、定時法による正確な時刻も同時に読み取れるように配慮されています。
と東京で時計を作る浅岡肇氏
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独立時計師 Hajime Asaoka
@HajimeAsaoka

日本初の独立時計師、完全にオリジナルの設計/デザインに基づいて、中身のムーブメント、外装、文字板、針など全ての部品を自作しています。スイスアカデミー独立時計師協会会員。
である。

その1人の菊野昌宏さん
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がテレビでちょっと取り上げられたのをたまたま観たのだった。この菊野さんの特集はNHKの6月4日夜10時に放映とか。

そんな菊野昌宏さんのことは、マスゴミの放映を見てもらうとして。そもそもの「和時計」とはだれがつくりどんなものだったのか?と調べてみると、
からくり人形
(ちなみに、こういう日本の江戸時代の作品は大半が大英帝国博物館が所有している。たぶん、そのおかげで第二次世界大戦時のB29による本土空襲による火災消失から免れたのだろう。)
を創りだした、

からくり儀右衛門(ぎえもん)」=田中儀右衛門こと、
田中久重
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だった。

この田中久重が、中年になって挑戦したものが、「万年時計」こと
「万年自鳴鐘(和時計)」
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(この現物は壊れていて動かない)
だったのである。

この万円時計といわれた理由が、いったんゼンマイを巻けば、1年動き続けるということである。

天辺には、太陽と月の位置がわかり、日の出日の入り、太陽と月の高さを全部、3次元で自動表示する。側面には、月の満引き、西洋時計、などなどの時計がある。

そして、なんとこの田中久重の万年時計(=和時計)は、あの「愛・地球博」で復活再現されたのであった。これである。
東芝未来科学館
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複製された田中久重の和時計
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この愛地球博は、我が家も一家4人で行ったのだったが、あまりに暑くて外でマンゴアイス食って時間つぶししたから、すっかりこの和時計のことが気づかなかった。残念無念。見に行くべきだった。

昨日、私は奥さんといっしょにこの複製記録ドキュメンタリーをYouTubeで見つけてじっくり観たのだった。以下のものである。
田中久重の万年時計【Full & HD】
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この「からくり儀右衛門」が創りだしたものは、からくり人形や和時計だけではなかった。日本初の蒸気機関車、日本初の黒船。

そう、つまり、明治維新の原動力となった当時の世界最先端の蒸気機関の生みの親、メードインジャパンの創始者となっていったのである。

そして、この田中久重が最初に起業した会社、それが後の東京芝浦電気こと「東芝」であるという。

つまり、明治維新という革命期の動力源こそ、この田中久重が創りだしたのである。

まあ、吉田松陰先生もいいが、俺のような科学者としては、田中久重の方がドラマ性があるように思うがナア。

だれか、若い人、江戸末期の天才技術者、田中久重の歴史ドラマの脚本を書いてほしいものですナ。捏造なくお願いしますヨ。




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  by Kikidoblog | 2015-06-01 08:25 | アイラブとてつもない日本

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