U18W杯準優勝:日米野球の差は「ボーク、戦術、監督の違い」高野連ルールが障害だった!?
いや〜〜、昨日のU18野球W杯の準優勝は実に惜しかった。王者ベースボールの母国である米国代表相手に2-1の敗戦。それも、7回満塁のチャンスに、1ストライク3ボールで、もう一級「待て」のサインを出すべき所を出さずに打って凡退。大差で勝利できるチャンスを落として敗退したのである。
まあ、結果はともかく選手および監督コーチの方々はご苦労様でした。準優勝おめでとうございます!
日本1点差米国に敗れ準優勝/U18W杯決勝詳細(結果的には「清宮潰し」となった。1年生清宮は代打で良かったヨ。ダマスゴミと監督のせいで一生のトラウマを作ってしまいましたナ。)
(あ)「いかに監督が大事か」
さて、この勝負や先の日本vs世界ランク150番台のカンボジア戦のハリル監督の3−0のやっとの勝利。こういうのを見るにつけ、「いかに監督が大事か」ということを思い知らされる。
ハリル監督は、長らくアラブ人選手を扱って来た。アラブ人は主君(=王様)に絶対服従である。だから、ハリル監督が強権を発揮して、こうしろああしろと命令すればそれでもアラブ人は従う。
しかしながら、現代のゆとり世代の日本の若者は「ほめ殺し」しか通用しない。「命令」はタブーなのである。
どうもその辺のところがハリル監督はまったくご理解ないらしい。
ましてや、農業国で基本菜食主義国家だった我が国の青年たちに対して、
米食うな、体脂肪率1%台に落とせ、
命令。これでは日本人は腹が減って戦ができない。
今度のカンボジア戦の山口選手を見て、私のこの疑念が確信に変わったヨ。
山口選手は、野菜嫌いでタフで無尽蔵の体力の持ち主としてならして来た選手である。それが、このカンボジア戦、東アジア杯とまったく動きにキレがない。スピードもない。東アジア杯の方がまだましだった。
今回のカンボジア戦では、身体が細くなり、顔もげっそりし、まるで、計量前のボクシングの選手のような雰囲気だった。ハングリーである。
げっそり気味の山口蛍選手
ハングリーで力が出ないから、シュートも踏ん張りが利かず適当に蹴って全部枠外に宇宙開発である。ゴルフで言うテンプラである。
やはりハリル監督はそろそろ更迭すべきだろうと思う。日本代表クラスがみんな病人にされてしまいかねない。ロシア開催の頃には、ほとんどが廃人になっているのではなかろうか?
(い)その点、野球は健全である。
野球選手は、
どんぶり飯3杯運動。「食事も練習だ」
日本サッカー「土坪にはまる」2:「腹が減っては戦ができない」
お米のご飯→日本人の力と体力の源
世界ランク1位の野球選手の食事風景
(食べるのも練習だ→一番楽しい練習)
が徹底しているからである。
だから、日本のサッカー選手と野球選手を比べた場合、野球選手の方が筋骨隆々でちょっとでっぷりして落ち着きがある。
日本サッカー「土坪にはまる」3:「サッカー選手もどんぶり飯3杯食べろ!」
世界ランク1位の野球選手と世界ランク56位のサッカー選手の身体の違い
(1日6食、どんぶり飯3杯の野球選手)
(う)U18W杯監督はプロでないと無理だろう!
しかしながら、高校野球の選手は世界ランク1位クラスであったにせよ、U18日本代表の監督が、いくら甲子園優勝監督の大阪桐蔭学園の監督だったとしても、それで優勝できるほど世界は甘くはない。
なぜなら、相手の監督コーチは、MLBのプロである。
リーグ戦形式の大会ではどういうふうに勝ち上がって行けば良いかという計略に違いがある。
簡単に言えば、日本は一戦必勝。米国は最後に勝つ。
この差である。
アメリカはプロレスの国である。だから、スポーツはショービジネスである。ショービジネスでもっとも受けるのは、「大逆転ストーリー」である。
だから、日本のお釜の炊き方といっしょで、
はじめちょろちょろなかぱっぱ。最後に沸騰して炊き上がる。
このスタイルが米国式である。
実際、日本対米国の第1戦は、アメリカは日本の手の内を探る試合であって、なぜなら日本と決勝で闘う公算が一番高いわけだから、エースや秘密兵器を温存し、かなり手抜きの試合だった。
一方、日本は常に甲子園型の「一戦必勝」「負ければ後がない」方式で闘う。
だから、ずっと勝ち試合できて、最後に負けて「苦い思いをする」ことが多い。
これは、第二次世界大戦でも同じであった。最初から連戦連勝だが、最後の最後で負けてしまう。
まあ、国民性の違いと言えば、国民性の違いなのだが、もう戦後70年もつきあって来たのだから、そろそろ米国流とか米国式=白人種のことのやり方というものを覚えるべきである。
(え)あそこは1球待って欲しかった!
さて、日本vsアメリカの決勝戦に話を戻せば、この試合は7回の満塁のチャンスを「待てサイン」を監督が出し損なったことが直接の敗因である。
3ボール1ストライクで満塁だったら、普通のセオリー通りで行けば、必ず「一球待てのサイン」を出すべきだったのである。3ボール2ストライクになっても、次の一級がボールになるチャンスがあるからである。
こういう決戦の一番の肝の場面でミスをする。
これがアマチュアの特徴である。
やはり、世界大会で優勝するには、プロの監督経験者をU18W杯の監督に就任させるべきだろう。甲子園の延長でやっても勝てる見込みはない。
(お)野球の「高野連ルール」が日本の足かせになる!→「米国ルール」に合わせるべきか!?
また、「甲子園ルール」という「高野連ルール」が野球のプレーの運行上、日本選手には大きな足かせになっている。
一番の問題は、「牽制球の投げ方とボークの定義が違う」ということだろう。
この決勝戦でもオコエ選手が完全に牽制球に引っかかった。これはボークの定義が違っていたからである。
簡単に言えば、米国のベースボールのボークは「肩の動きで定義する」、一方、日本の野球のボークは「上げ脚(特に膝)の位置で定義する」という違いである。
牽制球の際、甲子園ルール(高野連ルール)では、ピッチャーが振りかぶった時の上げる膝が身体の中心軸よりセカンド側にくれば、投げに入ったことになり、牽制球はできない、したらボークということになっている。
準備動作と投球動作 - 投手のルール
グラブ側の足がプレートの後ろ縁を越えたら投球動作とみなされます。 以下の写真のような上体から牽制したボークとなります。
日本ルールでは、ピッチャーが振りかぶった時の上げ脚(膝)が身体の中心を超したかどうかだけで判断する。
しかしながら、米国ルールでは、ピッチャーの肩の位置が定まっているかどうかを見て、後は足の着地の位置で判断する。
だから、アメリカのピッチャーの上げ脚(膝)が自分の中心より後ろ側に振りかぶったから、オコエ選手はホームへ投げると思って2塁へ走ったのである。しかし、そこから牽制球が来てアウト。
実はこんなプレーはもう何年も前から頻繁に起こって来たプレーである。だから、どうしていつまでたっても学ばないか?
というと、小中高と10年以上も高野連ルールでやってきて、もう脳に染み付いてしまったのだから、いまさら変えようがないというのが、高校生の立場なのである。
また、逆に、日本(や韓国)のピッチャーがボークを取られるのは、振りかぶった時の揚げ足(膝)の位置ばかり気にして、プレートに足をつけた時の「肩の動き」を気にしないからである。
米公式ルールでは、ピッチャーがランナーを見る時にすこしでも肩の位置が回れば、もう牽制球を投げなければならない。しかし、日本のピッチャーは甲子園で良くやるように、一塁ランナーを見る時に、肩を揺らすのである。これでよくボークを取られるのである。
というわけで、
もし日本が国際大会で優勝したければ、やはり国際ルールを熟知し、なおかつ相手の戦術戦略や精神性をよく知る人間にやらせるべきである。さもないと、「毎度おなじみのちり紙交換」のように、「毎度おなじみの負け方」をするのである。
そして最後には
「力不足でした」
で終わる。
いやはや、実に残念な決勝戦だった。
俺個人としては、決勝は東海大相模の優勝投手、小笠原選手で行くべきだったネ。
こうした選手起用のローテーション、最後に誰を持って行くか、こういうことすべてが米国の方が慣れていたようですナ。
ところで、解説していた元横浜高校監督の渡辺さん。俺はどうしてここ最近横浜高校が甲子園に出れないのかよくわからなかったのだが、どうもやはり渡邊監督にあったようだ。
この解説でもそうだが、すべてがネガティブなところに目が行く。こういう強い傾向が目についた。
あるチャンスやある場面で、やるべきこと(やったほうが良いこと)とやってはならないこと(やらない方がいいこと)が必ずある。そういう場合に、渡邊監督は「やってはいけないこと」が先に目が行き、
「これをしたらおしまいだ」「これとこれだけはやってはいけない」
というようなコメントをする。
しかし試合中にこれをやると、選手はそのやっては行けないことが脳に残る。その結果、「むしろそのやってはならないことをやってしまうのだ」。
これはもう脳科学的にも証明されていることである。
例えば、ライバル校の選手が、勝って欲しくないチームに向って
「負けるなよ」
と声援を送る。
すると、「〜〜な」という否定の部分は脳がスルーして、「負ける」というネガティブなイメージだけが記憶される。その結果、実際の試合になると、ネガティブなイメージ通りの展開で負けてしまう。
そうやって「負けるなよ」と負の声援を送った奴がほくそ笑む。
こういうことが非常によく起こるのである。
だから、やってはいけないことは結果が起こった後で語るには良いが、やる前、起こる前には決して口に出してはならないというのが普通の鉄則なのである。
むしろいい結果をもたらすことを言え!
である。
だから、2死満塁で1ストライク3ボールの時には、
「今やって行けないことは三振ですね」
というようなコメントを言うのではなく、
「今やるべきことは、一球待てのサイン、見送りでしょうね」
というようなことを言うべきなのである。こうすると、選手も頭がクリアになって迷いがなくなる。
今回の甲子園でも、結局どこに勝者と敗者の差があったかといえば、どうも監督の持つ大事な場面での采配の差、つまり、積極性か消極性か、ポジティブかネガティブかの差だけだったように見えた。
ハリルホジッチ監督も顔からしてネガティブである。あれでは選手が萎縮するだけで良いサッカーはできないだろう。
やはり大橋浩司監督待望論だろう。
by Kikidoblog | 2015-09-07 10:36 | サッカー&スポーツ