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「篩(ふるい)の使い方には2つある」:「科学の篩」もやっぱりそうだった!?

篩(ふるい)
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篩の使い方には2つある。
1つめは、すくった粗い方をとる場合。
2つめは、落とした細かい方をとる場合。


みなさん、こんにちは。

以下は個人的妄想科学メモである。大半の人には理解不能だろうから、スルーでよろしく。

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とんちクイズです。

(あ)超能力予言者の触れ込みで有料相談し、たくさん本を書くが、「自分の予言を当たる当たらないでみるな」という無敵ブログ予言者とは?
(い)「深く」といいながら、ずっと広く浅く散漫でいい加減なかなり分裂末期的記事で読者を分裂気味にさせるブロガーとは?
(う)「考えるな、感じるんだ、お金は崩壊する、ヒャッハー」といいながら、「考えるな、買うんだ、ヒャッハー」とせっせと自前農産物を市販の2倍の値段で荒稼ぎするブロガーとは?
(え)どこぞの国の科学アカデミー科学者を自称しフリーエネルギー発電装置開発で資金援助を求めるが、一向に完成せず、逃げ回っている自称物理学者とは?
(お)日猶同祖論を撒き餌にして密かに日本人を一神教にしようと目指すクリスチャンは?
(か)他人の新著をみれば、その著者の守護霊なるものを呼び出して新たなる本を書く教祖とは?
(き)アセンション、アセンションと言い続けていまや本当にアセンションしてしまったヒーラーとは?
(く)地震予知サイトで商売しておきながら、一番危険な時期になるとデータ分析といって予知をやめてしまうという残念な地震予知サイトとは?
(け)年がら年中ネガティブな斜め目線の詩を書き続ける建築家ブロガーとは?
(こ)在日反日特報サイトでありながら、常に広告収入先が在日反日系アングラマネーなのはどこ?
(さ)世界平和を祈る放浪の旅人にして旅の経費のために自分の店の商品を売っている商売人ブロガーとは?
(し)レプティリアン撲滅サイトにして自分自身がレプティリアンになってしまったブロガーとは?
(す)ロスチャイルドvsロックフェラーの二元論にしていつしか反日親中急先鋭となった元米ジャーナリストとは?
(せ)単なる主夫にして意外に良い論文や本を出しているフリー理論物理学者はだれ?


全部正答できれば、あんたは偉い。この陰謀暴露系インターネット世界の通である。

ここで言いたいことは、

この世界は「虎穴に入らずんば虎児を獲ず」なのだが、往々にして「ミイラ取りがミイラ」「ゴミ処理屋がゴミになる」という場合が常である

ということだ。

アマチュアやら、精神やおつむの弱い人が陰謀系のことに首を突っ込むとろくなことがない。だから、得てしてネガティブな結果が訪れる。だから、お止めになった方がいいよ、と俺はずっと前から言っている。

凡人は凡人として生きよ。

適度に離れた場から「信じる信じないはあなた次第です」程度の距離感で自分の頭で考えるというようなレベルをお勧めしたい。さもなくば、何かの工作組織の餌食にならないとも限らない。


たとえば、フリーエネルギー発電機。

こんなものが素人が思いつきで作れるはずがない。もしそうなら、とっくの昔に科学者が実現していたはずである。NWOやらシオニストが誕生する前に完成しただろう。

もしフリーエネルギー発電機ができるとすれば、そこにはだれもが目を見張るべき、それまでだれも考え出したことが無いような興味深い新発想や新発見があるはずなのである。

それがインスピレーションでもたらされようが、エイリアンや宇宙人から教えられたのであろうが、自分の思考と計算の結果であろうが、そんなことはどうでも良い。得られた結果がいかに新規的かが大事なのである。

私がどこぞの予言者の「予見」なるものも無価値だというのは、使われた語句や概念に予言性がないからである。誰もが知っているフレーズの適当な差し替え組み替えに過ぎず、支離滅裂だからである。どこぞの自称科学者の新体系物理学も似たようなもの。

やはり理論物理学者たるもの、きちんとした、つまり理路整然とした、数学理論に基づいてフリーエネルギー発電装置を作りたい。

通常、我々の歴史(科学の歴史)を見た場合、新しい装置の誕生には、かならず新しい科学の誕生が双子の相棒として登場するのである。

振り子時計が発明された時には、ニュートン力学が誕生した。
蒸気機関が発明された時には、熱力学が誕生した。
ファラデーの発電機とモーターが発明された時には、電磁気学が誕生した。
テスラの交流発電機とモーターが発明された時には、スタインメッツの交流理論が誕生した。
真空管電子回路が発明された時には、量子力学が誕生した。

こういうふうにして新規テクノロジーはかならず新しい科学を生み出すのだ。

したがって、もっとも自然で健全な流れとしては、

フリーエネルギー発電機が発明された時には、〜〜〜が誕生した。

とならねばならないわけである。

ちなみに、井出治氏の「第三起電力」のフリーエネルギー発電機の発明に対しては、アメリカのEvans学派(AIAS)の「アインシュタインーカルタン–エバンス理論」が誕生したことになっている。量子物理学者が「スピンコネクション」という物理量から古典ゲージ場に寄与する部分があり、そこから第三起電力が生じるという理論である。(ちなみに、井出氏によると、このエヴァンス博士はイギリスの生粋のウェールズ人だとか。米国人ではなかった。)

偉大な発明には、かならず理論的根拠がともなわなければならない。

仮に「霊界通信」が可能になったとすれば、その時には「霊界物理学」が誕生しなければならない。

現実と理論、理論と実践、常に両者が手堅く結びついていないと再現性のある確実な発展は得られないのである。

というわけで、優秀で先駆的な実験家は、理論家が理論に気づく前に自分自身で何がしかのイメージやら何がしかの理論を見つけて仕事に入る。マイケル・ファラデーもそうだった。やはり、ニコラ・テスラもそうだった。

実験家の自らの実験で得た理論のイメージは、往々にしてその後の理論家が作り出した理論とは異なる場合が多い。理論を生み出すきっかけになった実験家はいつも自分の検証結果とは何かが違うよという印象を持つ。

そういう意味では、実験をしたことがない人によってできた理論は大幅な簡略化をともなっている。だから、かなり「絵に描いた餅」理論になる。「絵に描いた餅」は実際に臼と杵で餅つきして作った「現実の餅」とはまったく違うのである。実験家の実験した現実の現象と、理論家が描き出した現象とは異なるのである。

ファラデーは終生、マックスウェルの理論に異を唱えたし、同様に、テスラはスタインメッツの理論やアインシュタインの理論に対して終生異を唱えた。

やはり、「理論家のつくる網の目」をくぐり抜けてしまう部分が存在するのである。

残念なことは、通常の学問の世界では、「理論家のつくった網の目」にかかった結果だけを元に先に進むのである。だから、網の目より大きな小石だけ拾って何かを作る。そんな教育を行う。

これがどうやら今現在の全世界の停滞を招いていると私は考えるわけである。


19世紀の時代の科学者が研究した現象から現代の科学者の研究する現象を比べると、あまりに理論のきめが粗いのである。

例えば、19世紀までの科学者は、物質とエーテル(英語世界では理解不能のものはなんでもエーテルと呼んだ)は切り離せないものと考えた。

これが電荷と電気力線(のちの電場)、磁石と磁力線(のちの磁場)は切り離せない何かであると考えるようになった。だから、電気の元は何かの場のような空間に広がったもの(=力の元=力線)と切り離せないと考えた。

ゆえに、点電荷はそれ自体では存在し得ない。かならず、まわりに電気力線がある、と考えた。

電荷の周りに力線があるということとニュートンの遠隔作用は矛盾する。どっちが本当なのか?

ニュートンの遠隔作用の原理は、遠く離れた場所でも数学的な逆二乗法則に従う力が働く。その間には何もない。あるとすれば、だれにも感知不能のエーテルだ。そう考えた。

しかしファラデーは力は必ず力線によって伝達するのだから、遠隔作用は存在せず近接作用するしかないと考えた。

しかしながら、天文学的な遠距離相互作用は近接作用としてもよろしいが、じゃあ、ミクロな超近距離では離れたもの同士は近接作用なのか?遠隔作用なのか?どっちだ?そういう疑問が生まれた。

たとえば、仮に小さい原子同士を考えると、そこで近接作用をとることにすれば、小さい原子よりもずっと小さいものを定義しなければならなくなる。何が近接作用を伝達するか決めなければならないからだ。

こうなると、近接作用原理を取り続ける限り、永遠にミクロのミクロ、そのまたミクロ、そのまたミクロの何かで近接作用するという無限地獄に落ちてしまう。だから、結局どこかでターミネート(切断)しなければならなくなる。

つまり、天文学的マクロの遠隔作用原理に対しては電磁場で伝達する近接作用原理に置き換えることができる。しかし、ミクロの世界では、あるレベルで必然的に遠隔作用を認めねばならなくなる。

ファラデーはこれに悩みに悩んだのであった。
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マイケル・ファラデー
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"哲学者は、あらゆる示唆に耳を傾けるが、自分自身のために判断することを心に決めた人であるべきだ。見かけに偏見を持つべきでも、好みの仮説を持つべきでも、学派に属するべきでも、そして教義において師を持つべきでもない。"


19世紀の科学者たちはみんなでファラデーの悩みを解決しようと議論したのである。

ところが、20世紀以降の科学者はすでにそんな論争は知らない。遠い過去の図書館の中の文字にすぎない。

だから、ミクロの世界では、最初から点電荷の集まりで話をはじめて量子力学を作り上げた。逆にマクロの世界では、アインシュタインの一般相対性理論ができたのはいいが、そんなものは使わず始めからニュートン力学の遠隔作用原理で計算した。それが意外にいい結果を出す。

というような案配で、結局ファラデーの悩みはだれも答えずに今日に至る。

ましてやニコラ・テスラの超高周波超高電圧の世界の物理学や超瞬時現象や超過渡現象の物理学はほとんど手つかずのままである。

網の目からこぼれ落ちた砂。
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その砂山にこそ本当の残り香がある。

つまり、言い換えれば、19世紀の科学の中にこそ本当の科学の芽が残されている。


とまあ、これがここ10年来の私の思想なのである。



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  by Kikidoblog | 2015-09-08 11:49 | アイデア・雑多

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