個人的メモ:唯心論武道、唯心論物理学、我々の認識の外にあるものに触れること!?
ここ最近、私は保江邦夫博士の
「唯心論武道の誕生」という本をやっと手に入れて読んでいた。
やっと読み終わったのだが、この本は、著名な理論物理学者である保江邦夫博士が大東寺流佐川合気道の弟子保江から徐々に愛魂道の「冠光寺眞法」の保江師範に変わって行く最初の頃の出来事を描いたものだった。
もちろん、「冠光寺」というのは「聖母マリア様由来の道場」という意味である。
その極意は
「なんじの敵を愛せよ」の一言である。あるいは、随伴する極意として「なんじの隣人を愛せよ」がある。
この一言を実践することがいかに難しいか、これはいまの日中、日韓、米ロ、イランイラク、インドパキスタン、イスラエルパレスティナ、ボスニアクロアチア、独仏などの関係を見ても明らかだろう。
なんじの隣人を愛することは非常に難しい。ましてや、なんじの敵を愛することがいかに困難なことであるかはいわずもがなのことである。
しかしながら、我らが保江師範はその極意を得た。
これにより、人生が大転換していくのである。そして、いまや我々がよく知るあの「愛魂」の保江師範となる。
その最初に
「合気開眼―ある隠遁者の教え」し、その次が最初にあげた本である。多分2009年頃の話である。(合気道の植芝盛平の合気道をまだ道半ばだと言える人はなかなかいない。)
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?3
この本の特徴は、2人の重要人物の著作(他にもたくさんのものが紹介されているが)が特に興味深い点である。
(あ)1つ目は、もちろん天才中込照明博士の
唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決である。
この本の主題である「量子モナド」に関して、我々トウシロウにもイメージできる形で簡単に説明されているのである。これが私には非常にありがたかった。なぜなら、中込博士の本はなかなか私には買えないほど高いからである。
(い)2つ目は、いまや保江先生の野山道場の三銃士の一人となった炭粉良三氏の文章である。「合気私考」である。フルコンタクト空手の師範代であるような強者であった炭粉さんが、どうして保江師範の愛魂道に行き当たり、いかにして自分も「愛魂開眼」できたのかという内面の話である。
これも私には実に興味深いものだった。
ところで、この炭粉良三さんはその何年か後、たぶん3年後におそらく「合気私考」からさらに発展した内容だとおもうが、それを本にしたためたようである。以下のものらしい。
合気深遠
本日(4月10日)発売「合気深淵」より
「NPOコムニタ活人塾」設立記念パーティ
その他にも、いまや合気開眼した炭粉師範もたくさん本を出しているようである。以下のもの。
合気解明(2010)
合気真伝(2010)
合気流浪(2011)
合気解体新書(2013)
零式活人術(2014)
零式活人術II(2015)
さて、話は昔話になるが、おそらく45年ほど前。1970年代のこと。私は野球部からサッカー部に入って間もない頃だが、当時は硬い土の上でサッカーをやっていた。運悪く背中から落ちれば、なんとか後頭部を打たないように顎を引いて落下しても必ず背中を強打する。いくら良い受け身をして落ちてもそれは避けられなかった。数分まったく息ができなくなる。
それでも何とか試合は続けたのだが、後遺症として体中が痛む。時には、腰椎がずれる。
そこで、当時甲府市の西の方に会ったお寺の「長生館」という場所でなにやら骨接ぎや整体をしてくれるというので、時々週末に通ったのである。
台座の上で正座すると、うしろから背骨に膝を当て、前でクロスした両手を後ろから持ち、背中を反らせるようにして背骨をコキ、コキと鳴らして元の位置へ戻す。そんな技=術式の骨接ぎだった。
私はその術よりも、そこで白い服を着て治療にあたる若めの男たちの「目」にいつも印象を持ったのである。
だれもが実に「澄んだ美しい目つき」をしていたのである。
そこに通ったのはほんの1年程度に過ぎなかったが、それ以来、何十年も「あの清々しい目は何から来たのか?」とずっと疑問に思っていたのである。
武道の技の骨接ぎだから、おそらく柔道家だったのだろうと長らく思っていた。
しかしながら、最近になって保江先生の合気道の話を知るようになってからは、「あれは合気道の人だったんだな」と考えるようになった。おそらく間違いないだろう。
長生館という言葉からも長生きするというわけだから、合気=愛魂をかけつつ整体すれば長生きするというような意味合いからのものだろう。
実際、青木師範のコースにもそうした整体のコースがあるようである。
http://www.shintaido.com/course/ippanka/
妄想一発:「そろそろ日本から世界人類の救世主が登場するはずなんだがナ」!?
というわけで、私にとって「合気道者の澄んだ瞳」こそ、あの「愛魂」が発露だったに違いないと思うのですナ。
いずれにせよ、「愛魂」を身につけた日本人力士、横綱の登場を期待したいものである。きっとそんな横綱は目が澄んでいて力任せではなくとも相手が見事にすってんころりんと投げられてしまう。そんな愛魂の横綱となるはずである。
心の修業あるのみ。
by Kikidoblog | 2015-11-05 09:51 | 保江邦夫博士