愛魂の力:1961年の「キング・オブ・キングズ」に「イエスの活人術」が描かれている!
保江邦夫博士の「愛魂」といえば、「イエスの活人術」すなわち
汝の敵を愛せよである。
「唯心論武道の誕生」(写真は、モンセラート修道院の天使長ミカエル像 沼波義彦氏撮影)
この本によれば、イエスの活人術のもっともその場面にふさわしい場面が、1961年の「キング・オブ・キングズ」
King of Kings Official Trailer #1 - Viveca Lindfors Movie (1961) HDという映画に登場しているというのであった。
King of Kings-Sermon on the Mount.
そこで私はその場面がYouTubeにないかいろいろ調べたのだが、残念ながらその場面はまだないようである。
そのかわりに1927年製作の昔の映画草創期の無声映画「キング・オブ・キングズ」が存在することを見つけた。以下のものである。
(Silent Movie) The King of Kings (1927) - [1/16]
(この中にイエスの起こす奇跡の数々の場面がある。)
以下#16まで次々と見れる。
ところで、今問題にしている「イエスの活人術」というのは、そういうイエスの起こした奇跡の中でも、大男の暴漢がイエスの首を締めにかかった時、
まるで赤子を寝かしつけるようにして暴漢を倒したという場面のことである。
保江先生の上の本には、保江邦夫師範がそれと同じことを「愛魂」を掛けて実践した場面の分解連続写真が載っている。
大事なところは、イエスに抱き倒された札付きの悪い暴漢はその瞬間から心を入れ替えた別人のような人間となって人々に尽くすような良心的な人物に変わったという点である。
これが、「活人」という意味であり、その技を「活人術」と呼ぶらしい。
つまり、イエスと出会った人々それぞれが、盲の目が開き、売春婦が淑女となり、暴漢がボディーガードとなり、悪政と豪奢の限りを尽くした王女がシスターとなる。
言い換えれば、暗黒面シスに陥っていた者共がみなイエスに跪くと光輝面に出ることができ、幸せな日々を送ることができるということである。
驚くべきことは、曲がりなりにも、イエスほどではないにしろ、保江博士の「冠光寺眞法」の愛魂道で愛魂を掛けられると、だれでも思わず笑って幸せな気分になり、その後もずっと何かいいことが続くというのである。
愛魂の活人術である。
そういうものを全く信じず、むしろ疑っていた、まさにイエスのキング・オブ・キングズでは暴漢として描かれていたような、炭粉良三さん自身も愛魂を掛けられてから徐々に何かが変わってきたという。そして、ついに自分でも愛魂開眼した後は、それまでとはまったく人生が変わって好転してきたのだというのである。
ここに、イエスの活人術の姿を見るのである。
イエスの活人術=愛魂道
というのが保江邦夫博士の極意である。
言葉でこうやって述べることは簡単(でもないが、たぶん誤解に導くだけだろうが)なのだが、その愛魂をかける精神状態にどうやって持っていくかを「日々刷新の精神(これもイエスの教え)」で身に付ける他ないのである。
こうしてみても分かることは、日本の合気道、特に、大東流に端を発する合気道は非常にキリスト者のものと似ているのである。むしろ、ローマヴァチカンのキリスト教(教義中心主義)で失われてしまった元のキリスト教の原型に非常に近いような感じがするのである。
ところで、(ここからは私個人の妄想のようなものだが)そのイエスの時代に古代ローマ帝国を実質上金融や文化などあらゆる知的な面から所有したのがユダヤ人であった。かつての大英帝国やいま現在のアメリカ帝国と同じパターンである。
古代ローマ時代に、その当時の田舎であるナザレからイエスが登場したように、今現在の西洋中心主義からすればかなり田舎である、日本の岡山とか東北から、野山のイエスが誕生したとしても俺は驚かないよ、というわけである。
歴史的環境は古代ローマの時代と瓜二つなのである。
なぜなら、当時は「ポエニ戦争」という、当時の西洋世界の「世界大戦」である、第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争、第三次ポエニ戦争を起こして、地中海文明は激変したからである。
そうやってローマが地中海文明の統一的支配者となったのである。
そしてそんな最中にそこへイエスが登場したのである。
というわけで、近代において、なぜアルバート・パイクが今後3つの世界大戦を起こしてイルミナティー、フリーメーソンの世界統一を目論むかといえば、やはり古代のポエニ戦争がモデルになっていると私は見ているわけである。
となると、一旦ローマ帝国が世界支配した頃にイエスが登場したように、ひょっとしたら次の第3次世界大戦後に再びイエスのような人物というより神的存在が登場するとしても何ら不思議はない。しかもここ日本から。
なかなかおもしろそうな時代に近づいてきたようである。
お楽しみはこれからだ。
by Kikidoblog | 2015-11-06 10:09 | 保江邦夫博士