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2012年 11月 06日 ( 2 )

 

銀行は救済、メーカーは見殺し。低品質が栄え、高品質が滅ぶ。なぜだ!?

みなさん、こんにちは。

かつて日本の銀行がバブル崩壊で息絶え絶えだった時、日本政府は、「つぶれるものはつぶせ」という国民の大半の声を無視して総額何十兆円もの救済を行った。そして10数年後のリーマンショックの時にも同じように銀行を救済した。

いま日本の大企業、それも戦後に誕生し、日本の戦後史を支えて来た、電機メーカーが息絶え絶えとなっている。その代表がすでに名前が消えてしまったサンヨーであり、ソニーであり、シャープである。

にもかかわらず、日本政府はまったく救済するそぶりもない。

いったいこれはどういうわけなのか?

といっても、理由は明白だが。

ミンス党日本政府は在日韓国民団によって育てられたために、韓国とのスワップ協定(もっともこのスワップという単語は、倦怠期にきた中年夫婦の「妻交換」というところからきたものなのだが)にいそしむ割には、日本企業に冷淡なのであるというわけである。

これまでの日本への貢献を考えれば、戦後史を飾り、日本の代名詞になったような企業は国がなんとかすべきである。一時国有化しても存続させるべきだと私は思う。さもなくば、海外の禿鷹企業に乗っ取られるか、分割解体されてしまうに違いない。

企業文化という言葉があるが、その言葉の通り、それぞれ大企業にはそれぞれなりの「ファミリー的文化」が存在する。住友系の会社には住友なりの、富士通系には富士通系なりの文化があるのである。

それを単に経済的な数値指標だけに基づいて切り捨てるというのは考えものだ。

なぜなら、大企業はこれまで日本のスポーツなり科学なりを実質的に支えて来たからである。単に税金を国に払って来ただけではない。1990年ごろまでに「メセナ活動」といって大企業は地方自治体にもさまざまな恩恵を施して来た。スポーツマンの活動にも企業チームという形で日本のスポーツを支えて来た。

とまあ、そんなわけで、この一時的な苦境の時代に破綻しかねない大企業は国が抜本的に支えるべきなのである。問題があれば、「チームジャパン」として山中博士の「iPS細胞研究」の場合のように、大学から専門家を募ったりあらゆることを考慮して、企業の苦境を乗り切らせるべきなのである。私はそう思う。

いまこそ再び「株式会社日本」、「日本株式会社」を復活させるべきなのである。

もう戦後はとうに終わった。タブーという単語は死語である。あらゆるタブーはすでに存在しない。朝鮮人は朝鮮人、在日は在日、シナ人はシナ人。偽ユダヤは偽ユダヤ、ユダヤ人はユダヤ人。それで良いのである。

日本の企業が危ういのなら、国民全体で救済すべきなのである。東日本大震災と同じことだ。

しかし、ミンス党政府は、似非企業の東電を救済し、真の日本企業のサンヨーやシャープを見殺しにするというのはどうしても理解できないところですナ。何でも良いけど、仙谷由人は二度と徳島に帰ってくるナ。瀬戸内海を渡らせんゾ。

まあ、ちょっと前置きが長くなったが、私がかねてから疑問に感じていることをメモしておこう。

一般に「良い製品は超寿命」である。良い製品は品質がいい。だから多少のことでは壊れない。それゆえ寿命が長い。

私はそう思う。

かつてのドイツ製はすばらしかった。ドイツのツアイス社のカメラは世界中のあこがれであった。ナチスドイツの映画でドイツ兵がいつも首からぶら下げていた双眼鏡は、すべてツアイス社のものだった。精密光学機器といえば、全部ツアイス社製である。

戦後日本が真似をしたのがツアイス社の製品である。オリンパス、ニコン、ペンタックスなどなどあらゆる会社のモデルになったのがツアイス社製品であった。レンズはツアイスじゃなきゃだめだというのが、こういった光学製品に趣味をもつ人間の鉄則であった。

しかし、そうやってドイツのツアイス社製などの真似をしてもの作りすると、古き良きドイツ人のように精魂込め鍛練に鍛練を重ねた製品となってしまうためにどうしても製品の品質が非常に高くなる。そのため寿命が長くなる。1つ買えば、一生使えるのである。

私が中学1年生の時に買った
五島製天体望遠鏡
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さようなら、金星ヴィーナスよ!:金星の太陽表面通過、次は105年後!
はさすがにいまではかなり古くなったが、光学系部分はいまだにカビすら生えず健在である。周りは傷だらけでかなり痛んでいるが、色収差もなければ、歪みもない。ほぼ完璧である。これまた五島製はツアイス製を模倣したからである。

こうなるとちょっと困ったことが生じる。1台買えば一生使えるのだから、せいぜい生産しても1人1台で終わってしまうのである。修理も必要ないから買い替える必要がないということになる。

ところが、これはバブル崩壊以降の世界の経済的空気の中では困りものとなる。なぜなら、増産体制で儲け主義に走ることができないからである。

こうなると、むしろ”わざと”壊れるように、何がしかのトリックや細工を仕込んで、自ら寿命を持つようにする必要があるということになる。

私の個人的印象では、日本製品はある時点からわざと壊れるように短寿命の製品になったということである。私個人の意見では、パナソニック製品は比較的すぐ壊れる。一番超寿命は私の観察した中ではサンヨー製品である。とにかくサンヨー製品は寿命が長い方であった。だからというわけではないが、私が家族を持ってからの家電製品はほとんどすべてがサンヨーであった。

しかし、超寿命の良品や高品質を作るサンヨーがなぜ倒産したのか?

ここに現代の経済学における何か詐欺的な間違いがあるように思うのである。

まあ、簡単に一言で言えば、「良い製品は儲からない」ということである。言い換えれば、「良い製品を作る企業は悪い製品を作る企業と競争で負ける」ということである。

洗濯機がまったく壊れず20年持つという洗濯機メーカーと、5年ごとに自ら半導体が崩壊して壊れる洗濯機メーカーとを比べると、前者は20年で1台しか売れないが、後者は4台売ることになる。4倍の収益となる。

これをよしというのが現代経済学者の御馬鹿な思考である。

しかし我々物理学者から見れば、前者の企業は地球資源を後者の1/4しか消費しない製品を作り、人類に貢献した企業ということになるはずである。

地球に4倍やさしい企業は1/4の収益しか上げられない。地球に10倍やさしい企業は1/10の収益しか上げられない。地球に100倍やさしい企業は1/100の収益しか上げることはできない。

これでは困る。地球に良い方がいい収益を上げるべきであろう。言い方を戻せば、100倍の超寿命の高品質の製品を作ることのできる企業は100倍の収益を上げるべきだろう。しかし現代の経済学ではそういうことは問題にもしないし、問題にもできない。

どうやればこの問題を解決できるのだろうか?
これが私が個人的にかなり前から気になっている問題なのである。

良い製品を作る企業(つまり、超寿命の製品を作る企業)の方が早く破綻するのである。粗悪な100円ショップが隆盛し、高品質の10000円ショップは100円ショップの1/100の寿命しかない。これでは困る。

1つのアイデアは、長寿命の製品を作る企業は、製造コストがその分1回ですむわけだから、資源消費が少ないわけである。逆に、短寿命の製品を作る企業は、製造コストがその分かかるわけだから、資源消費がかさむ。これを経済に取り込むべきだということになる。おそらく一番簡単なものは、粗悪品メーカーの利益に税金をかけ、それを良品メーカーに還元するということだろうと思う。

もしこういった制度というか、システムがあったとすれば、サンヨーは他のメーカーから補助金を受け取れたはずであり、破綻することは無かったに違いない。

いずれにせよ、ろくな製品を作らない会社が長生きし、成長できる社会や世界は明らかに間違っていると私は思う。粗悪品を作ったらすぐに滅ぶというような経済界こそ健全である。

その昔は「ダンピング税」というものがあったが、どうしてこの「ダンピング税」のようなものを復活させないのだろうか? サムスンやLGなどどんどんダンピング税を分捕れるではないか。海外の粗悪品メーカーからどんどん粗悪品税をつけて高品質でないと販売できにくくすれば良いのである。

とまあ、私がかなり前から個人的に考えていることを一応メモしておいた。

我が家はサンヨー製品に本当にお世話になった。どうもありがとう。


おまけ:
追記
中国製太陽光パネルに報復関税適用へ、米商務省
2012.11.8 08:54 [通商・貿易]
 【ワシントン=柿内公輔】米国内での中国メーカーによる太陽光パネルなどをめぐるダンピング(不当廉売)調査を進めていた米国際貿易委員会(ITC)は7日、米企業の損害を認める最終決定を行った。
 この決定を受け、米商務省は報復措置として最大約250%のダンピング課税と、同約16%の相殺関税を適用する方針だ。
 オバマ政権は太陽光発電産業をめぐる中国企業の不公正貿易への摘発を強化しており、商務省は中国製太陽電池のダンピング調査も進めている。今回もオバマ大統領の再選翌日に中国への厳しい姿勢を改めて示した格好だが、中国側の反発が予想される。

ほらね、俺の言った通りだっただろ。

  by Kikidoblog | 2012-11-06 20:58 | アイデア・雑多

大学教授たちの「不都合な真実」:もっと積極的に大学教授を貧乏にしよう!

みなさん、こんにちは。

今回は私の個人的印象である。まあ妄想のようなものだから、普通の人はパス。

––––––

私はいつもそして長らく思っていることだが、一言で言って「大学教授の年収は高すぎる」。この場合、同じ大学教授でも医師や看護婦などの人の命を扱う大事な人々は例外である。もっと高くしてやらないといけない。
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2009/05/31 これが有名私大の職員の年収だ!より拝借


昔から日本の国立大学とそこから派生した私立大学や高専(高等工業専門学校)の場合、一般に「講座制」というシステムをとってきた。これは戦前のドイツに範をとったものである。教授1人の下に、助教授1人、助手2人というのが講座制であった。今では、助教授は准教授へ助手は助教と名前を変えたらしい。いわゆる「ソープランド方式」というやつだ。

だから、というわけではなかろうが、大学教授は自分が企業経営者のような気分に浸り、いっぱしの町工場の経営者気分で部下を扱ったものである。研究室は町工場だから、教授は経営者、つまり、その町工場の「社長さん」なわけである。それゆえ、自分の給料は国家公務員でありながら、大企業の経営陣なみ、大企業の重役並みの給料を欲しい。そうあるべきだと永年、文句を言い続けて、いまや電通の言うところの「A層」にランクさせるというところまできたわけである。

まあ、そういうふうにいわれても普通の人々、つまり、「B層」の人々には、よくわからないに違いない。言い換えれば、大学教授にそういわれたら、そんなもんですかとしか分からないだろうということである。

しかしながら、私は連中の行っている仕事の中身もその程度も分かるから、言えることだが、大学教授は週三回大学に通えば良いというのが基本的なノルマである。あとは好き勝手に研究しても良いし、遊んでもいい。週三回というのは、週3単位の授業を受け持つということである。これはアメリカでもどこでもだいたい同じようである。実際、ユタ大のマチス博士は週3回しかお目にかからなかった。あとは自宅の豪邸で勉強しているという話であった。

日本人はその民族性から勤勉であるため、比較的毎日大学へ勤務するという人が多い。だから、一般人は大学教授も毎日普通のサラリーマンのように仕事をするために通っていると思っているだろうが、そんな義務はない。自分の研究をしたいから通っているにすぎない。スポーツで言えば、自主練をしているわけである。

さて、そんな感じの大学教授たちの給料だが、いくら名物博士といえども、週3単位前後の授業、あるいは、もっと多い人ももちろんいるだろうが、そういう授業の仕事と自分の研究の両方を行ったにせよ、年収1000万円は高すぎる。(もちろん、それ以外に論文1本に対して1800万円もの研究費ももらえる。さらに書籍費、出張費、謝礼、講演費など至れり尽くせりの世界である。)
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なにせ、何も生産しないからである。販売もしない。要するに消耗するだけの仕事である。実質的にはヤクザと同じで社会のお荷物であるわけだ。もっともそういっちゃ、おしめえーよの話だから、普通はそうは言わないにすぎない。

私がユタ大にいた当時、1980年代後半、ユタ大の大学教授の平均年収はどんなに有名な教授でも5〜6万ドルだった(医者は8〜10万ドル程度だった)。当時でも日本の大学教授たちより大分安かった。しかし物価が日本の1/3程度だから結構リッチで優雅な生活をしていたというのが現実であった。おそらく今でもそれほど大きくは変わっていないはずである。

これを見ても日本の大学教授は年収が高すぎると私は思う。せいぜい半分でいい。

なぜなら、一言で言えば、たいした研究をしていないからだ。大半がいまだに欧米の有名研究者の信者かコバンザメ、あるいは言い方を良くすれば、研究協力者というところにすぎないからだ。本当にオリジナルの研究を行った人物にたいしてだけ高級を与えればいいのであって、普通の教授はもっと貧乏で結構。その代わりに助教授、准教授の給料を教授並みに揃えるべきだろう。そしてポスドクや大学院生の給料をよくしてやるべきだろう(ついでに、秘書や非常勤などの非正規雇用を減らし、待遇アップすべきだろう。)

日本の大学というのは、基本的に共産主義で運営されているのだから、本当なら全員一律で同じ給料でもいいはずなのだ。だいたい大学の所有者や創立者すらいまや存在しないし、訳が分からず、大学の意思決定ですらできず、大学としての統一された行動すら取れないというような組織なのだから、高級は必要ないのである。
(ついでにいえば、研究でもそうで、これといったビジョンも戦略もなく、行き当たりばったりに好き勝手に研究している。だから日本の研究者が研究しても人類の将来がどうあるべきというような人間の生き方を見通すような発想に基づくものはないし、そういうものを若手に義務づける仕組みも指導者もいない。簡単にいえば、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのようなタイプの学者が育たないということだ。)

ましてや学長や理事長さんなど名誉職で無給で結構毛だらけ猫は灰だらけ、お前のケツは糞だらけで結構なのだ。学長や理事長が高級と高額退職金や高級謝礼などをもらえるから、大学が腐るのである。無給でも大学運営したいという高尚な人間だけが集まれば良いのだ。

大学教授の給料を半分にすれば、おそらく、大学教授はもっと働くようになるだろう。逆説的だが、私はそう分析する。

だいたい大学教授がアルマーニの背広をきるなどもってのほかである。Jリーガーやメッシのような大選手が着るならわかる。それだけ世界中の若者たちに夢や希望を与えているからである。何も与えない単なる大学教授は、普通のシャツにしがないスラックス程度で結構なのだ。それが、ノーベル賞でもとってやっとアルマーニを着る。これが正当な発想だろう。

高校生に毛が生えた程度の男女に、もう古くさくなった教科書の内容を授業する程度で年収1000万円はないだろう。詐欺行為である。とまあ、私は大分前からそんなふうに感じるのである。

だいたい、大学教授が、MacProにMacBookにiPhone5にiPadにiPad-miniに。。。と全部所有できるというようなこと自体が間違っている。大学教授は古びた90年代のパソコンを自分で修理しながらまだ使っている。そんな感じがいいのである。(私は1台はまだそうやって使っているが)

大学教授にお金を与えすぎるから増長してのぼせ上がり、いわゆる「御用学者」になってしまうのだヨ。百害あって一利なし。

もっと積極的に大学教授を貧乏にしよう!

ところで、かのピック田中眞紀子は、「iPS細胞の山中博士に洗濯機をあげたい」とかなんとか相変わらずおばかなことを言っていたが、奥さんがお医者さんで自分が大学教授、それも天下の京大の大学教授、それも年100億円もの研究費を得ている学者さんが、自宅に洗濯機がないと考えるということが驚きであった。

私は自宅の20年前に買ったサンヨー洗濯機をこれまで何度も修理していまだに使って来ているが(今は亡きサンヨーだが)、山中博士はおそらくそういう機械いじりを趣味にしているのであって、金がないから洗濯機を買えないというはずがないではないか。簡単に見積もっても、山中一家は年収数千万円はもらっていると思うヨ(私が気になるのは朝鮮ハゲだがナ)。そんなことも分からないのだろうか? ほんとに顔も腐っているが頭も腐っているナ。ピック田中真紀子は。

  by Kikidoblog | 2012-11-06 00:23 | アイデア・雑多

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