みなさん、こんにちは。
以下は私個人に向けた妄想メモである。普通の人には時間の無駄だからスルーを。

いやはや、最近になって私はどうも世界の数学者の、なんと言ったら良いのかうまくは言えないが、ある種の高慢ちきな自尊心とでもいうのか、そんなものが分かるようになってきた。
そもそも高慢ちきな科学者の代名詞と言えば、理論物理学者だったが、昔は比較的謙遜的だった数学者も昨今は異様に高慢ちきに高揚したのだった。別段変わった進展はないので、これをメモしておこう。
先週の終末に知人からもらったデパート券を使おうと、徳島そごうの紀伊国屋書店へ行ったのだが、私は保江邦夫先生の2番弟子だった治部眞理博士の場の量子論の本
添削形式による場の量子論
を目指したのだった。残念ながらこの本はなかった。
それでしばらく物理と数学と生物と化学の本棚を見ていたのだが、やはり新書は数学に多い。そこで数学の本棚を見て回って2冊だけ勝って帰って読むことにした。以下のものである。
もちろん、保江邦夫博士のスピリチュアル系の本棚も見て回ったが、特にめぼしいものはなかった。というより、保江博士から謹呈していただいたのですでに読んでしまっていたからであるが。
数学の大統一に挑む

天上の歌―岡潔の生涯

いま読み始めたのはエドワード・フレンケルの本である。
実は私はこのフレンケルの名前は知っていた。というのは、ユタ大時代にこの本で自慢されている論文でその名前を見ていたからだ。
なぜなら、ユタ大の物理学部(学科ではない)の真横に数学部(学科ではない)があり、それらの中間に数学の図書館がある。私は数学の図書館の虫であって毎日毎日数学の古い論文を眺めていたのである。
また、数学の有名教授に
ハープ・クレメンス博士
という人がいた。この数学者はしばしば夏休みに森重文博士を招いて議論していたのだが、一度だけ私も森博士とお会いしたことがあった。そのうち、森博士はフィールズ賞を受賞し、私が帰国後(1990年秋帰国)、クレメンス博士もどうやらユタ大を去ったようである。
私はこのクレメンス博士の講義を取ろうと受講したのだった。が、さすがに途中で自分の研究の方が忙しくなってポシャってしまった。
こんな感じで、私は物理よりも数学の方に親近感を抱いていたものだ。だから、物理セミナーはおろかかかさずに数学セミナーも聞いていた。
そんな中で、非常に若くて元気のいい数学者が来たのだった。確かユタに来る前は、イギリス・ケンブリッジ大の
アティア教授
の下でPh.D.を取ったという若手だった。もう何十年も前のことだからすっかり名前を忘れてしまった。この若者が専門にしていたのが、「結び目理論」や「ブレイド群」というやつだった。
新しく赴任した若手准教授の研究は毎週のように連続講義があり、私もその講義を聞きに行ったのである。毎度何度聞いてもわからないのだが、それでも面白いから聞きに行ったのである。
そんな中に、フックス理論やフレンケル理論の話が登場した。だから、そういう名前を聞くと、その後で数学の図書館に行って早速その論文だけはコピー。私は物理学部でも有名な「金食い虫」「コピー魔」だった。
一応、ブレイド群とその統計物理学への応用の話は確か1990年のフィールズ賞となった。森重文、V.ジョーンズ、Ed.ウィッテン、ドリンフェルトらが授与されたのだった。
一応こういう人たちの論文はある程度読んでいたから、私も帰国後富士通時代に論文を書いたのだった。まあ、陽の目は見なかったが。
というわけで、あれから30年。
そのフレンケルさんが自伝を書いたわけだ。だから、こりゃ〜〜買って読まねば、となったのだった。
そんなフレンケル博士もまた東欧出身のマンデルブロー博士同様に旧ソ連のユダヤ人だった。
だから、おそらくだから、それ以外の理由はなさそうだが、マンデルブロー博士は出身のユダヤ社会のことはさておいて執拗にフランスの教育のユダヤ人差別に執着した
フラクタリスト――マンデルブロ自伝――

のだったが、まったく同じくフレンケル博士もまた旧ソ連邦のユダヤ人差別に執着したのだった。
成功者になればなったでその報復をする、それまでの恨みつらみをとことんまで執拗にあげつらねるというスタイルである。
俺はどうもこのユダヤ人スタイルがキムチ悪い。どうも性に合わない。なんとなく、トンスルランドの人間の人格と共通なものを感じるからだ。「恩を仇で返す」というやつだ。(実際、どんなに良い国であろうが、その国の中で最高に恵まれた人生を得られるものはほんの一握り。あとは無駄にに人生を過ごすものだ。俺とて例外ではない。だからといって、日本人はそれを苦にしない。そんなもんだと達観する。)
もっとも、彼らが自分を「ユダヤ人」と呼ぶのは、ここではすでに知られたことだろうが、我々が「偽ユダヤ人」と呼んでいるカテゴリーに入る。つまり、西暦600〜700年頃ウラル地方に存在したハザール帝国(カザール帝国ともいう)の人種が、ロシア正教とイスラム教のサンドウィッチになった時代、逆手にとってユダヤ教徒に改宗し、それ以降「ユダヤ人とはユダヤ教を信じるもの、および母がユダヤ人」とルールを変えることにより誕生した「新生ユダヤ人」のことである。
だから、本当は我々日本人のご先祖さんたちの方が、超古代エジプト、メソポタミヤ、インダス文明に端を発する縄文人の血筋や古代神代文字を残し、古代イスラエルの地で失われた10支族の血筋やカナン文字(カタカナ)を残す生粋の正真正銘のイスラエル人なのだから、何かと違和感を感じるわけである。我々歴史の長い真のイスラエル人の前に(実際に伊勢神宮を持つ)、宗教を信じただけでユダヤ人ぶってもらっても困るという感じですナ。
だが、彼らは日本のことは何も知らないのだから仕方ないといえば仕方ない。まあしょうがない。が、「自分が知らなことは存在しないこと」というのを信じているから、実に大陸的というのか、ちょっと困る。新興国や歴史のない国の民族観を表すのである。
さて、そんなフレンケルさんの自慢の本や、故マンデルブローの自伝を読んでよく分かるのは、現代数学に対する強烈なるまでの信仰である。これはかなりすごいものがある。
ところが、保江邦夫博士や故湯川秀樹博士や故岡潔博士など我が国の理論物理学者や数学者には、現代数学に対してそれほどの執着を持たないものが多い。確率変分学の創始者だったり、素領域理論の現代物理の創始者だったり、純粋な多変数関数論の創始者だったりというように数理物理や理論物理や現代数学の創始者であるわけだが、どうも我が国だけは他国とは異なっているように感じるわけである。
我が国の創始者たちは、必ずしも現代数学がすべてとはまったく考えていないのである。そうは考えていなかった。もちろん、私もそうである。
そこで、これはずっと長らく私は何が違うのかちょこちょこと振り返るように考えてきたのだった。最近になって、やっとその違いがわかりはじめたのである。
結論から言うと、
我が国の偉大な学者は、
数学では目に見えない世界を記述できない
と考えているようなのだ。逆に言えば、
数学は目に見えるものだけを記述する学問にすぎない
ということである。
ブレイド群であろうが、リーマン幾何学であろうが、すべて図示できるものである。計量という概念も目で計れることが前提である。重さは目に見えないがそれを目に見えるようにしたものが測りである。
目に見えないものを目に見えるものに変える。
ひとたび目に見える形にできれば、それは数学にできる。
これが現代数学の思想である。そしてさらに
ひとたび数学にできれば、他の分野にアナロジーが効く。
しかし私個人がいつも疑問に思うことは、つねにそれが可能かどうか、つまり、この世界のあらゆるものに適用できるのかどうか、ということである。
言い換えれば、ひとたび数学に直してしまうと、もはやこの世界の現実では無くなる可能性があるのではなかろうか?という疑問である。本来はどうも計量という概念が効かない物理的存在もあり得る。言い換えれば、時空というものが通じない世界があり得るということである。
この問題に1人だけ完全とチャレンジしたのが岡潔博士だった。
不一不二
の概念である。つまり、1にして同時に2。2にして同時に1なる存在がある。
それが「愛」「情(jou)」だと考えた。
不一不二の世界は計量空間にはならない。だから、現代数学化できない。岡潔博士はそういったのである。
難しい数学の問題が、図示して、それが図式化でき、数学化できれば、素晴らしい。それこそ現代数学の力だ。そうやって数学全体を大統一したい。それが「ラングランズ・プログラム」というものだという。
じゃあ、不一不二の世界はどうするよっていう話になるわけですナ。
にもかからわず、フレンケルさんの本の一番最後がこれまた
「愛の数式を探して」
とあった。
は〜〜???「探して」?
そして、そこには超絶なる複雑怪奇な公式が自慢されていた。探してみると、やはりすでにそれを画像にした人がいた。これである。
フレンケルの「愛の数式」
フレンケルさん、実はもう「愛の宇宙方程式」は発見されて解けているんですヨ。
ここを読んでいる人には周知の事実だが、保江邦夫博士がすでに「愛の宇宙方程式」を見つけている。それは、
宇宙=愛(The universe = love)

保江家元の「愛の宇宙方程式」は「宇宙=愛」だった!:愛は宇宙原理だった!?
であった。そしてその解も見つかっていた。
神に近づくには「素領域」と波長を合わせればいい!:唯物論は唯心論の一部だった!
ついに、愛の宇宙方程式が解けました: 神様に溺愛される人の法則
(私の名前も登場する!)
つまり、この流れで考えると、現代数学は唯物論の一部である。つまり、
現代数学⊂唯物論
ところが、不一不二の世界は「唯心論」の世界である。したがって、
現代数学⊂唯物論⊂唯心論
となる。
というわけで、いくら現代数学が発展してもあるいはいくら現代数学が統一されたとしても、それには大きなハードルがあり、限界がある。そういうことを理解しなければならない。そういうはずなのだが、どうも西洋人というのか、偽ユダヤ人というのか、西洋白人種というのか、あまりそういうことが認識できないらしいのだ。
おそらく、これが岡潔博士がずっと言いたかったのことらしいナア。つまり、西洋人は左脳(論理脳)と前頭葉(意識脳)と側頭葉、海馬(記憶脳)だけが特に発達して、どうも頭頂葉(把握脳、察する脳)の働きが鈍い。個別な詳細はどんどん分析できるが、総体的な把握が困難なのである。
かのマンデルブローを見てもそうだったし、このフレンケルさんを見てもそうだし、ブライアン・グリーンさんを見てもそうだし、スチュアート・カウフマンさんを見てもそうだ。これらのノーベル賞クラス、フィールズ賞クラスでもみな一様に頭頂葉の働きがない。
だから、木を見て森を見ない。それゆえ、ユダヤ人になってフランスの最高級の教育機関で最高の教育を受けたのに、ずっとフランスの文句ばかり垂れている。同様に、旧ソ連のそれなりの教育を受けてかなりいい数学者に育ててもらったのに、ずっと旧ソ連やロシアの文句ばかり垂れている。
だったら、ユダヤ人国家があるんだから、そこで他の民族、例えば、シリア人に高等教育すればどうだ!ということになろう。
ところが、こういう場合は、多民族は「ゴイム」だと言って、何もしない。それどころか爆弾を放り込む。
一方我が国の場合なら、我が国の国民の師弟には、支払い義務のある(さらには利息まである)奨学金しかもらえないが(公務員になれれば別らしいが)、他国の住人の師弟が我が国に留学する場合には、年300万円もの多額の無償の奨学金制度まである。
だから、馬鹿な支那人やら朝鮮人で大学が溢れかえる。
挙げ句の果ては、最近特に馬鹿になった安倍晋三政権の政策に見るように、我が国の若者は社員以上のアルバイト(ブラックバイト)やら非正規社員のために、年がら年中24時間体制で働き詰め。そこに欧米や世界のお馬鹿な若者が「日本大好き〜〜」と日本の反日メディアの放つ「日本紹介日本上げ番組」をYouTubeで見て洗脳されてはやって来る。そして、日本の若者の「いらっしゃいませ〜〜」を聞いて大喜び。
まるで我が国の若者は外人のために働かされている奴隷のようだ。それでも特に文句はたれないヨ、フレンケル。
まあ、身も蓋もない言い方をすれば、実はそういう戦略を練っていたのが、六本木ヒルズや帝国ホテルに居住すると言われている若手ロスチャイルド、ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェイムス・ロスチャイルドなんですナア。まったく困った奴だ。

(7番がそう)

ザ・イルミナティー劇場:ロスチャイルドvsロックフェラー、どっちもどっち!?
ロスチャイルドもロックフェラーもいずれもユダヤ人系(もちろん、偽ユダヤ人系)である。
まあ、フレンケルさんが「自分の苗字フレンケルはユダヤを示す」と言い、「ヨシフはユダヤ名だから差別された」と言って、旧ソ連のユダヤ人差別をさんざんにこけおどしたが、なんと言ってもそのソ連を作ったのは、
ヨシフ・スターリンだったのでは?
と俺は突っ込みたくなるんですナ。黙っているの?そこんとこ。まことに脳の働きが悪いんちゃうか?
ちなみに、日本にも昔から「ヨシフミ」という名前がある。なんとなくヨシフに似ている気がするが。
いやはや、世も末ですナ。
おまけ:
現代数学者と現代理論物理学者のおそらく90%はアスベルガー症候群らしいヨ。俺もやばいかナ?